4話 儀式と覚悟
「彼は……シンはこの国の宮廷直属の騎士だった。いわば国王専属の何でも屋みたいなものだね。宮廷騎士と言えば表に出せないような、国王直々の命令を受けて職務を遂行する立ち位置だ。敵国の密偵や重要貴族の暗殺、宗教組織への潜入捜査と、とにかく四方八方を飛び回っていた」
「いきなり物騒だな」
どれも聞いたことのない話だった。
そういえばジークは、自分の父親の過去を何も知らない。
クラウスは話を続ける。
「その中でも、一番重要な任務は神霊に関わるものだった」
「神霊?」
ジークの疑問にクラウスは補足をする。
「神霊っていうのは、魔物の中でも最も最高位に君臨するカテゴリーだ。かつては数百種類が存在したと言われているけど、現存する種類は僅かに四柱のみ」
クラウスは懐から紙を取り出し、そこに四つの名前を記していく。
イブリース
フェンリル
コカトリス
ヨルムンガンド
「この四柱が現存する神霊と言われている」
「他の数百種類はどうなっちまったんだ? 最高位の魔物なんだろ? なんだってそんなに数が減ったんだよ」
当然の疑問だ。
数百種類から四種類ではもはや絶滅だ。
隕石でも落ちたか、氷河期でも来たのか。
それにしたってあまりに数が減りすぎだ。
それに対してクラウスは澄ましたような声で答えた。
「この四柱に全て殺された」
ジークは思わず立ち上がる。
「な……なんでそんなことすんだよ! おかしいだろ! 同じカテゴリーに属する魔物は、仲間同士で殺しあったりしない! 冒険者なら誰でも知ってることだ! スライムはポイズンスライムを攻撃しないし、グロウバッドはバッドを襲わない!」
「神霊は他のカテゴリーとはそもそも違う概念なんだ。ただ一柱になるまで殺しあう。彼らはそれを儀式と呼んでいる」
儀式……。
物騒な単語にジークは身構える。
「神霊は儀式によって最後の一柱になるまで殺しあい、最後に残った一柱が、この世界を支配する神の力を得ることが出来る。各地に伝わる伝承によると、そういうことになっているらしい」
要するに、神の選別……。
「神になるといっても、具体的に何が起きるのかは分からない。ただ一つだけ分かっているのは、彼らは"ただ一つの夢"を賭けて争っているということ。つまり勝利者には、何でもひとつだけ、願いを叶える権利が与えられる」
「そんなことやってんのか……俺たちの知らないところで……」
ジークは椅子に腰かけると、息を吐くように呟いた。
「人間には到底及ばない争いを、数百年に渡って続けてきた。その果てに残った最後の四柱が、現在の神霊だ」
「で、国王は俺の親父を使って神霊の何を調べていたんだ? 何をしようとしていたんだ……?」
「国王は、この争いに人間である自分も参加しようと考えた。そのための方法を、シンは探していた」
「そんなことが出来るのか?」
「結論から言えば、方法は見つかった。ただ、シンは国王の目的を知って、その方法を隠匿して、宮廷からも姿を消した」
「悪い目的だったのね」
リルが軽蔑するような口調で吐き捨てた。
「国王の目的は、神になった自分の手で、人類を間引くことだった。敵国の人種を絶滅させ、自国の人種を繁栄させる。侵略戦争なんてせずとも、神になれば確実にその願いは成就される。とんでもない人間だ」
クラウスは明確に嫌悪の混じった声音でそう吐き捨てた。
ジークはクラウスがそんな表情をするのに僅かに驚いたが、ジーク自身も、顔には出さなかったが、彼と同じような感情を抱いていた。
「命を賭けてでも叶えたい夢ってのが、そいつにとってはそれなのか」
共感は勿論、理解することすら難しい。
人種による選民。人が人を間引く。
まるで、家畜に対する扱いだ。
「シンはその考えを知って、国王に儀式への参加方法を伝えることを取りやめた。そして、自ら儀式への参加を試みた」
「おいおい急展開じゃねえか! 俺の親父はもう死んでるぞ!」
クラウスは「まあ落ち着いて聞いて欲しい」とジークを椅子に座らせる。
「シンが行ったのは『人類に参加権を残すこと』だけだ。彼自身はこの争いには参加しなかった。宮廷から狙われた彼が参加しても勝てる見込みは薄い。国王に見つかれば参加権を横取りされる可能性があったから」
「確かにそれなら納得がいく。それにしても参加権を残すってのは、どういうことだ?」
「話は逸れるけど、二人は魔法使いの杖の作り方を知っているかな」
唐突にそんなことを聞かれるが、知らないはずもないことだ。
ジークは当たり前のように答える。
が、リルは隣で「そうなんだー」といった表情で彼の話を聞く。
「当然、冒険者なら誰しも知ってることだ。聖樹か新樹から削り出した木材で、職人がひとつひとつオーダーメイドで作る。それが魔法使いの杖の作り方だ」
リルの背後の壁に立て掛けられている杖を取って、ジークはそう言った。
クラウスはその杖を興味深そうに見ていたが、そんなことは今はいいという風に元の話題へと戻す。
「そう。言うなれば、魔法使いは神樹の体を借りて、自身の魔力を魔法へと昇華している」
確かにそう考えることも出来る。
「神霊をはじめとした魔物族は杖を使わずとも魔法が使える。そしてカテゴリーが高位になればより強い魔法を扱える。神霊の儀式は、言うなれば一つ上の"神"というカテゴリーに上がるための手段だ。ここでシンはひとつの仮説に辿り着く」
クラウスは人差し指を立て、
「神樹は意思を持たない魔物なのではないか、と」
ジークはそれに息を飲んだ。
「もしそうなら、『神樹』の核を使って人間に似た新しい神霊を造ることも可能だろう。意思の無いものに意思を宿すことが出来れば……」
「そんなことが……人間に出来るのか?」
ジークの問いにクラウスは話の核心を告げる。
「その完成形が、僕だ」
クラウスの言葉に、ジークは息を飲んだ。
今目の前に座っているクラウスは親父の作った魔物で、しかも、その中でも最高位のカテゴリーに属する"神霊"なのだ。
「信じられないといった様子だね」
「いきなり信じるほうが無理のある話だ」
クラウスはジークの反応に少しだけ笑った。
人を驚かせた子供のように。
「確かにそうかもしれないね。ただ、僕が"神霊"なのはカテゴリーだけなんだ。他の魔物とは違って、僕は人間同様に杖が無ければ魔法を扱えない。体の構成も人と同じだ。僕はあくまで、人類に残された儀式への参加権でしかない」
「そのわりには圧倒的に強かったな」
「それはシンの残した"人類が勝つための秘密兵器"のおかげかな」
そう言うとクラウスは懐から三つの小瓶を取り出した。
「それはあの時の……」
「シンレイソウ、白蓮……。これらは神樹の核を使って作った特別な杖、もしくは剣だ。シンはこれを『神霊を葬る』と書いて、"神霊葬"と呼んでいた」
神霊葬 白蓮――
禍々しい"何か"を纏った砂になる剣。
"人食い"を一撃で屠ったあの時の剣だ。
「この神霊葬は持つ者の意思に強く反応し、担い手によってその性質を大きく変える。僕の場合だと、白蓮で斬ったものは、どのようなものでも"物理的に、確実に切断する"といった感じだ」
どのようなものでも……たとえば斬ったものが岩や鉄でも、ということだろうか。
「僕はシンにこの神霊葬と、ひとつの願いを託された」
澄んだ声音で、彼の目的が語られた。
「全ての神霊を退け、人類の平和を守ってくれと。だから僕は人類の平和のために神霊を討ち滅ぼす。そしてジーク、それには君の力が必要だ。世界最強の剣士の力が」
それは途方も無く、人の身には余る、それこそ"夢"としか言いようのない話だった。
「俺の力がか? 俺はまだ、ただの一介の狩人に過ぎない! それに人の身で神霊とやりあうなんてどだい無理な話だろ!」
「それはやってみなければ分からない。ただ、君は早く旅に出るべきだ。町の人々に迷惑をかけないためにも」
彼の口から不穏な言葉が出る。
「それは、どういう意味だ……?」
クラウスはリルを見て続ける。
「僕の見立てが正しければ、彼女は……」
そこまで言うとクラウスは何かを逡巡するような表情をして、その続きを語ることはなかった。
「とにかく、君は最強の剣士を目指すべきだ。その点では僕と君の目的は一致している。神霊の争いに足を踏み入れるのかどうかは、後で追々考えてくれればいい」
それに対して、迷いの表情を浮かべるジーク。
リルはそんなジークをじっと見つめている。
クラウスは続けて、ジークを促す。
「君の話を聞くに、君がこの町に留まり続けることに何か重要な意味があるとは思えない。夢を捨て、ただ安定しているからという理由で狩人の暮らしに収まるより、自らの足で外の世界を見て、それから剣士か狩人か、どちらを選ぶのか決めても遅くはないんじゃないのかな」
確かにそうだ。
ジークがこの町に留まるのは、ただ単純に外に出る機会が無かったからだ。
リルやおばさんと一緒に、今のような安定した暮らしをすることは決して嫌なことでは無かった。夢からは遠いし、このままの生活を続けていれば剣士になることは出来ない。それでも、ここでの生活はそれほど悪いものじゃなかった。
でも、本当にそれでいいのだろうか?
クラウスの言うように、ジークはまだ、片方の可能性にしか触れていない。
狩人の暮らしは知っているが、冒険者の、剣士としての暮らしは体験したことがない。
それを冒険者のクラウスに指摘されて、心が揺れた。
今まで本物の冒険者なんて見たことがなかった。
人づてに聞く噂、遠い憧れのようなものでしかなかった。
現実感がなく、宙に浮いたような、ただの言葉。
それが目の前の本物の冒険者によって、一気に現実感を帯びてジークの人生の前へと現れた。
「俺は……」
ジークはしばし逡巡し、リルのほうを見た。
彼女を残して、旅に出ていいのだろうか、そう思った。
ジークにとってリルは唯一の家族のような存在だ。
だから、彼女を町に置いて行けば未練になる。
それに「もしも、自分のいない間に彼女が命を落としたら」と考えると、ジークの心には大きな躊躇いが生まれた。
幼い頃に母を失い、父を殺された。
そんなジークにとって、身近な人の命は、吹けば消えてしまうような儚いものだ。
それを置いていけるほど、割り切って生きていけはしない。
リルはジークの表情からそんな考えを察したのか、大きく溜息をついた。
「ジークはどうしたいの?」
「分からない。剣士にはなりたい。だけど、お前をここに残していくのは……」
そんなことを言うジークに、リルは勢いよく立ち上がった。
「何言ってんだ! ジーク! さっき言ったばかりだろう? 私は『世界最強の剣士の最初の仲間』だ! ジークが行くなら私も行く! 誰が置いてなんて行かせるものか!」
そういうと、壁に立て掛けてあった杖を握り、ジークの前にそれを突き出した。
銀髪を揺らしてニッと笑い、自信満々に語りかける。
「私は世界最強の剣士の相棒、『世界最強の魔法使いリル』だ! どこまでだって、世界の果てまでだって、地獄にだってついて行ってやる! だから、自分の道は自分で決めろ! ジークの行く道が、私の道だ! ジークの夢が、私の夢だ!」
銀狼は真っ直ぐな瞳でジークに語りかける。
それを聞くと、クラウスは「ほう」と驚いたような様子を見せた。
その様子はジークの目には映らなかった。
ただ彼の瞳の中心には、自らを最強と名乗る、自信の塊のような銀狼だけが映っている。
宝石のような青い瞳に、さらりと揺れる銀の髪。
輝くような笑顔の少女に、ジークは思わず下を向いた。
自分は、彼女のことを見くびっていた。
こんなふうに、自信満々に言い切れるほど、彼女はジークを信じている。
自信に満ちた、直視出来ないほどの笑顔だ。
今からでも遅くはない。
この彼女の言葉に応えなければならない。
顔を上げてリルを見た。
そして立ち上がって言った。
「リル、俺は町を出る。町を出て冒険者として旅をする。そしていずれ最強の剣士になって、それからのことはまだ分からないが、とにかく!」
ジークは突き出された杖に拳をぶつける。
「お前の期待に応えられるくらいに強くなる。だから、俺についてこい!」
それを聞くとリルは嬉しそうに頷いた。
「うん! どこまででも!」