39話 海を人質に取る
アアルは退き気味の防戦。
ジークの剣戟をレイピアでいなし、反撃は行わない。
本当ならジークはこんな女の相手などせず、すぐにでもリルとクラウスのいる場所へと向かうべきだ。
だが、今はそれが出来ない。
少し隙を見せるたび、アアルは挑発するかのように左手を見せてくる。
彼女が指を鳴らすたび、街のどこかが爆破され、罪なき人々が巻き込まれる。
不思議なことはない。
トリガーディレイで用意した爆発の魔法を、詠唱の代わりに指パッチンで起こしているだけだ。
だが、その仕草が癪に障る。
「ふふっ……焦った顔も大好きだよ♪」
「畜生が!!」
剣が爆ぜ、二人の間に火花が散る。
「必死だね。剣筋がブレてきた」
防戦一方だった彼女が突如としてレイピアの切っ先を突き出した。
咄嗟に刃を引いて剣戟を防ぎ、距離を取って体勢を立て直す。
アアルが防戦気味なのはあくまで時間を稼ぐためだ。
仲間がクラウスを捕らえるために、ジークを引き付け、街を爆破して冒険者たちを攪乱している。
完全に手のひらの上で踊らされている。
全てが全て後手後手だ。
銀の切っ先が前髪を掠る。
「しっかりしたほうがいいよ。せっかく強いのにもったいない♪」
彼女は指を鳴らし、同時に背後の船が爆発した。
ジークは奥歯を食いしばり黒薔薇を睨む。
「てめえ……」
「そんなにあの神霊の似物が大切? アナタもうちの国王様も、なんでアレに拘るのか分からないなぁ♪」
レイピアとクレイモアが金切り声を上げる。
アアルは楽しそうに、幸せを噛みしめるように笑う。
「こうして戦ってるほうが百倍たのしいのに♪」
突き出した刃が首元を掠めるが、即座に回復し、反撃の刃がジークの頬を切る。
相打ちでは駄目だ。
こちらに回復の手段がないのに対して、アアルには回復魔法がある。
だが、防御に集中した同格の相手を切り崩すのは至難の業だ。
こうしている間にも時間は過ぎる。
「勝利者だけに与えられる願い事……。まあ私にも願い事のひとつや二つくらいあるよ? お母さんを生き返らせたいとか、お父さんとまたお洋服を買いに行きたいとか。もう、二人とも死んじゃったから……。なんでか分かる?」
アアルは目の端にたまった涙を拭いながら答える。
「正解は……私が殺したからです♪」
瞬間、今までにないほどの打突が繰り出される。
ジークはクレイモアでそれを弾き、激しい火花が散る。
剣戟はそこで止まらず、雪崩のように刃は押し寄せる。
左手が悲鳴を上げ、僅かに生まれた隙を突き、ジークの左肩を抉る
「グ……ッ!?」
思わず手の力が抜ける。
手のひらから落ちたクレイモアは、地面に突き刺さり、勝敗は決した。
アアルはそう勘違いした。
「う、おぉおおぁああアッ!!!!」
空いた両手で刺さったレイピアを掴み、全力でその刃をねじ折る。
ギシギシと軋む刀身はジークの血を吐き出すようにして折れ、アアルは咄嗟に身を退き、大きく目を見開いた。
「すご……♪」
「これで、剣を失ったな……」
レイピアの剣先を肩から抜き取り、血だらけの手のひらを服で拭い、地面からクレイモアを抜き取った。
「武器を捨てて俯せになれ。そうすれば命だけは助けてやる……」
この距離は剣の間合いだ。
いくら優秀な魔法使いであっても、近接戦での剣の乱打には対応が追い付かない。
アアルは折れたレイピアをまじまじと見つめ、嬉しそうにそれを捨てた。
甲冑を外し、その中から次々と鉄の棒や暗器を落としていく。
「負けちゃった♪ 裸にされちゃう♪」
「そのまま俯せになれ」
「それは嫌かな」
アアルはそう言ってニッと笑う。
その瞬間、ジークは何か背筋が凍るような、嫌な予感に襲われた。
アアルはそっと左手を指パッチンの形に持っていく。
させるかと思うより、ヤバイと思うほうが勝った。
咄嗟に手放したクレイモアが白く発光する。
「――ッ!!!」
地面に伏せ、同時に爆炎が舞う。
激しい衝撃が全身をくまなく殴打し、辺りには沈黙が残った。
いや、あまりの衝撃に鼓膜が麻痺しているのか……。
ウォールシルトが解除され、アアルがこちらに何かを言っている。
「――――♪ ――――♪」
何も聞こえない。
体も動かない。
アアルは折れたレイピアの刃をこちらへと向ける。
「――♪ ――♪」
刃が振り下ろされる。
その瞬間、別の誰かの声が聞こえたような気がした。
「ウォールシルトッ!!」
アアルの刃は障壁に阻まれ、彼女は咄嗟に後ろへと跳ねた。
同時に無数の障壁が彼女を追う。
耳鳴りが収まってくると同時、体の硬直も弛緩した。
ゆっくりと体を起こすと、白い手が差し伸べられた。
「ジーク……大丈夫?」
見慣れた銀の少女に、ジークはホッと息をついた。
二重の意味で安心した。
自分が助かったことと、リルたちが無事なこと。
「リルか……。見ての通りだ。あまり大丈夫ではないな……」
「リルさん、アイツは僕が相手する。とりあえずはジークに回復を」
リルの回復で全身の傷は癒えた。
とはいえ、疲労まで回復するわけじゃない。
クレイモアを拾いなんとか立ち上がる。
「あれ? なんであなた達がここにいるの♪」
「アレはもしかして君の仲間だったのかな? 残念だけど、彼は今ギルド本部の応接間で柱に縛り付けられてスヤスヤと眠っているよ。相手の格を見誤ったね」
クラウスの言葉に、アアルは大した驚きもせずに返す。
「あら……まあ最初から期待してなかったけど。そっちの彼女、名前は何て言うの? すごい魔法ね」
仲間がやられたことよりも、リルの魔法のほうに興味を惹かれているらしい。
リルは答えず、ただ静かにアアルを睨む。
「そう……それじゃ、また今度ね♪」
アアルは波止場から商船に飛び移り、足元に転がっていた手斧を拾い、係留用のロープを切断した。
ブラストウィンドと唱えると突風が吹き荒れ、商船の帆が風を受けて前進する。
「待ちやがれ!」
ジークは最後の力を振り絞り波止場から飛び移ろうとするが、クラウスが止めた。
直後、爆音と共に激しい水飛沫が舞う。
「どうせこういうことだろうと思ったよ……」
「な、なんだ……何が起きた?」
ひっくり返されたバケツのような水飛沫にずぶ濡れになり、二人は沖へと進んでいく商船を眺める。
「海の中に何か仕掛けていたんだろうね。それが爆発したわけだ。……それにしても、何か逃げ切る策があるのかな?」
クラウスは波止場に泊まる船々に視線を移した。
息巻く船員たちが次々と帆船に乗り込み、積まれた大砲の砲身をアアルの商船へと向ける。
海を旅する商人と冒険者たちだ。
仲間と街をやられた怒りに憑かれ、大砲に砲弾を詰め込んでいく。
そこへ、遠くからアアルの声が響いてきた。
何かの魔法か。かなり遠くにいるはずなのに、ハッキリと声が聞こえてくる。
『あ、あー。聞こえる? 聞こえますかぁ? 国王様にお仕えする宮廷騎士です♪』
アアルの声に、冒険者たちは各々怒号を上げている。
そこへ、スーツ姿の男がやってきた。
「あれがこの騒ぎの首謀者か……」
男はジークとクラウスの後ろに立ち、ポケットから札を取り出して魔法を発動した。
『リーシア市市長、ギルド総本部長のガンドだ。冒険者の諸君、私の命令があるまで砲撃は待て。そして商船の女……まずは要求を聞こう』
『アハ! 出た出た♪ 別にこれと言って要求はないの。ただ、私がこの港を出るまで砲撃はやめてね? 追ってくるのもダメだよ♪』
アアルの声に男は毅然とした態度で答える。
『そんな要求がまかり通ると思うか?』
『通ると思う♪ だって人質がいるもの!』
女の不穏な言葉に男は息を呑む。
『どういうことだ……?』
『アナタたちの港湾に白い商船がいくつか停泊しているでしょう? それ、全部私からの置き土産なの♪ ちゃんと中身を確認してから、返事をしてね』
アアルの言葉を聞いた男は、近くにいた冒険者に船の積み荷を確認させる。
満載された樽の蓋を開け、中に入っている液体を触る。
ドロリとした黒い液体だ。
冒険者は青ざめた顔で答えた。
「総本部長……重油です……。船の中に重油が満載されています……!!」
「そう来たか……」
男は頭に手をやって溜息を吐いた。
『確認した? 素敵なプレゼントでしょ。アナタたちが一発でも砲撃したら…………全部まとめてどっかーん! ただし、重油には引火しないようにする。だから爆発の規模は気にしないで♪ それよりも、この量の重油が漏れ出たら一体どれだけの海洋汚染になるのかが楽しみだねえ……♪』
後ろのほうに立っていた冒険者の男が呟く。
「人質よりタチわりぃな……もはや海質だ……」
リーシアの海面に重油が漏れ出せば、少なくとも向こう一か月間は船舶の往来が不可能になる。
それに海面に張った油膜の影響で海中への酸素の供給は途絶え、魚や貝などの水産生物は死滅。漁業方面への打撃も大きい。
漁業と交易が途切れるということは、リーシアの経済が停滞することに他ならない。
それも数か月間に渡って……。
『なるほど……しかし人質ならこちらにもいるな。君のお仲間はギルド総本部の客間でぐっすりとお昼寝中――』
指を鳴らす音とともに、総本部のほうで爆発が起きた。
そこにいた全員が振り返り、燃え上がる本部の一室を注視する。
『ふふ……人質、死んじゃったみたいねえ』
アアルはさらに指を構えた。
『どうせ使えないと思って、人間爆弾にするつもりだったの♪』
次は船だ
そう暗に示すような声音だ。
もし船が爆発したらリーシア近海は全滅だ。
ガンドは目を閉じ、肩を竦めた。
『待て。……分かった。要求を聞き入れよう。商船が見えなくなるまでの間、船は出さない。砲撃も行わない。これで満足か……?』
『さっすがガンドちゃん! 話が分かる人で助かるよっ♪』
笑い交じりの返答。
商船の上で彼女はこちらへと手を振っている。
千を越える無人島のある多島海だ。
一度距離を離されれば、あの島の中から彼女を見つけ出すことは不可能だ。
『ねえジークくん……っ! 今回は決着付けられなかったけど、次会う時はもっともっと凄い殺しあいにしようね♪ 楽しみに待ってるから♪ 約束だからね……? うふふっ、それじゃあ、またね♪』
そう言って、魔法の効果は切れた。
ジークは地面に腰を下ろし、商船のほうを見据える。
負けた。
決着が付かなかったと彼女は言ったが、こんなものは完敗以外の何物でもない。
街を壊され、無傷で逃げられ、危うく殺されるところだった。
右手が使えていれば勝てただろうか。
かなり怪しいところだ。
「君、あの女と戦っていたな」
見上げると、スーツの男がこちらに手を伸ばしている。
「私は先ほど名乗ったとおり、この街の市長と、ギルド総本部の本部長を兼任しているガンドという者だ。よろしければ、事の顛末を伺いたい」
ジークはクラウスのほうへ視線を向ける。
あの宮廷騎士たちはクラウスへの刺客だ。ジークが勝手に了承出来る案件じゃない。
ジークの視線にクラウスは頷く。
ジークはそれを見て、ガンドの手を取り、立ち上がった。
「では、話は総本部で聞こう。とはいっても、あの有様ではあるがね」
ところどころ焼け焦げた消火途中の総本部を見上げ、ガンドは大きくため息をついた。