37話 宮廷騎士
ジークは腕を組み、じっと掲示板を眺めている。
南の砂漠でサバクノスが大量発生。
北の大地にCランク相当の突発ダンジョンが多発。
リーシア近郊の町で迷子猫の捜索依頼。
雑多な依頼のひしめき合うこの掲示板の中に、何かいい手がかりがあればいいのだが……。
コカトリスの例が参考になるかは分からないが、もし残りの二柱もコカトリスと同様に広域への影響を及ぼすタイプなら、その余波は必ずどこかに現れるはずだ。
はずなのだが……こうも多いと頭が痛くなってくる。
既に壁面との睨めっこを始めてから二時間弱。
リルはとっくに飽きてフロントのテーブルに突っ伏してむにゃむにゃ言いながら眠っている。
逆側の壁を眺めているクラウスに言って、散歩にでも行こう。
せっかく新しい街に来たのだ。依頼書ばかり見ていても楽しくない。
「なあクラウス、そろそろ疲れたから散歩でもしてきてもいいか? 肩が凝って仕方がねえ」
「うん、分かった。僕はもう少し見てるから、お昼になったら向かい側のレストランに集合しよう」
「おうよ。昼までには戻る」
そう言い残し、ジークはギルド本部を後にした。
外の空気をスッと吸い込み、深呼吸。
そのまま大通りを歩いていき、波止場までやって来た。
「はあ……あまり書類との睨めっこってのは得意じゃねえんだよなあ」
船着き場で潮風にあたりながらグッと伸びをする。
暖かな陽光と、波の音が心地良い。
控えめに言って絶好の昼寝日和だ。
リルもあんな屋内のテーブルなんかじゃなくて、こういう場所で居眠りをすればいいものを……。
穏やかな港の間延びした昼下がり。
この時間帯は朝よりは人も少なく落ち着いている。
桟橋に腰を下ろし大きなあくびをしていると、隣に、前下がりの黒いショートボブの女が座ってきた。
「ふふっ……眠そうですね。この街の漁師さんですか?」
「あ? いや、俺は冒険者だよ。ここに着いたのもついさっきのことでな。溜まった疲れがどっと来たって感じかねえ……」
「冒険者さんでしたか! それは大変でしたね。どうです? 私、肩もみが得意なんですけど♪」
手をワキワキさせながら女は近寄ってくる。
随分と人懐っこい女だ。
歳は同じくらいだが、顔は少し童顔というか、子供っぽい印象がある。
黒い瞳に白く滑らかな肌。
薔薇の刻印の入った黒い軽装甲冑に、腰に一本のレイピアを差している、笑顔の綺麗な女性だ。
断る理由も特にないので、ジークはそのまま肩もみを頼むことにした。
「それならお言葉に甘えようか。悪いが頼むよ」
「ふふっ……それでは失礼いたします。てい!おりゃ!……もみもみ。どうです? 結構な腕でしょう?」
「こりゃあいい。アンタ良い整体師になれるぜ」
「そうでしょうそうでしょう♪ 私、かなりのお爺ちゃんっ子で昔はこうして肩を揉んでお小遣いを貰っていたんですよ?」
肩を揉まれながら、ジークは水面を見つめている。
可愛らしい笑顔を浮かべる彼女の顔を、水面越しに眺める。
「へえ、確かにこれは金が取れるレベルだ。お代はいくらだ?」
「お代……? いいえ、お金は要りませんよ♪」
次の瞬間、銀の閃光が弾けた。
「あら? 思ったより強い」
「てめえ宮廷騎士だろ……。殺気が隠せてねえんだよ……」
鉄剣を構え、間合いを取るジーク。
女はジークのその言葉にニィッと笑い、レイピアの刀身をペロリと舐めた。
「いい味」
ジークは溜息を吐いた。
笑顔のかわいい女の子だと思ったのだが、今一番会いたくない最悪の立場の人間だった。
呼吸を整え目の前の宮廷騎士を見据える。
「せっかくの昼寝日和が台無しだ……」
コイツをクラウスと会わせるわけにはいかない。
適当に相手をして時間を稼ぎ、騒ぎを聞きつけたそれ相応の立場の人間……例えばギルド職員や街の衛兵たちが出て来るまで待つことにしよう。
勝手に片付けると話がこじれそうだ。
辺りにいた市民たちはジークと女に視線を向けているが、まだ見世物だと思っている輩も多いらしい。
ちょっとしたヤジが飛んでくるが、手慣れの冒険者たちはこちらの殺気に気付いて静観している。
出来れば通報して欲しいものだが。
女は頬に手をやり、ニマニマとこちらを見つめてくる。
「ねえ、あなたお名前は? 私の名前はアアル。宮廷では"黒薔薇の騎士"って呼ばれてるわ。ねえ、あなたのお名前を教えて?」
名乗る義理は何一つ無いが、時間を稼ぐにはコイツの話に乗るのも一つの手だ。
ジークは剣を構えたまま答えた。
「冒険者をしているジークだ。なあ、面倒事は御免なんだが……俺なんかに構わず家か宮廷にでも帰ってもらえねえか? ここで騒ぎになるとお前も困るだろ」
昔からギルドと国は仲が悪い。
宮廷騎士が冒険者ギルドの総本山であるリーシアで暴れたともなれば、民衆からのバッシングは免れ得ないだろう。
しかし、黒薔薇の騎士はジークの言葉にニィっと笑う。
「私はね……そこも含めて楽しむつもりなんだよ」
「……何が言いたい」
刹那、鉄と鉄がぶつかり合う。
ジークとアアルの剣戟に周囲からの歓声が沸いた。
アアルの殺意を孕んだ剣に対応しつつ、周囲の人々を流し見る。
二人の冒険者たちがこちらを指して何かを笑いながら話している。
完全に見世物だと思われているらしい。
アアルのレイピアが頬を掠め、ジークは黒薔薇へと視線を戻した。
どうやら油断していい相手ではないらしい。
正確な剣戟に素早さや即応性も申し分ない。
堅実な剣技に変則的な動き。
明らかに手練れだ。
「ねえ、本当に気付かないの……?」
鉄剣とレイピアが弾けた。
「だから何がだ……!」
「私があなたを釘付けにしている間に、あなたのお仲間たちは私の仲間にやられちゃうんじゃないかなって話だよぉ……ッ!!」
風切り音と共に火花が散る。
ジークはアアルの発言に奥歯を噛んだ。
つまり、この女の目的はあくまでも時間稼ぎというわけだ。
ジーク相手に時間を稼いでいる間に、仲間がクラウスを始末する。
宮廷騎士の頭は冒険者ギルドの総本山"リーシア"を敵に回すことを容認しているらしい。
目立とうが何だろうが、クラウスさえ押さえればそれだけで十分にお釣りが来るという計算なのだろう。
それなら、逆にこちらが目立ったほうがクラウスの相手もラクになって本命の目的が達し易くなる。
そう判断したわけだ。
「小賢しい真似をしやがる……。お前がその気ならこっちも手早く片付けさせてもらう」
ジークは姿勢を落とし剣を構える。
職員や衛兵が来るまでの間待つつもりでいたが、このままではコイツの思う壺だ。
悠長に構えている暇はない。
ジークは一息に間合いを詰め、黒騎士のレイピアを弾いた。
腕力も技量もこちらが上だ。
このまま決着を付けて、クラウスへの援護に向かう。
「あら……女の子相手にそれはいけないわ♪ トリガーディレイ――」
その聞き覚えのある呪文にジークは悪寒に襲われた。
剣が彼女に触れようとしたその瞬間、黒薔薇の胸元から光が溢れる。
ありえない。
だって、彼女は杖を持っていないのだ。
アアルはニッと笑う。
「ウォールシルト」