30話 新たな旅の始まり
ジードフィルを出てから一週間が経った。
春と呼ぶには少しだけ暑く、夏と呼ぶにはまだ熱気の足りない微妙な季節。
ジークは木の幹を掴み、もう一方の手でクラウスの手を握り、段差を登る。
肩にかけていたタオルで汗をぬぐい膝に手をついた。
呼吸を整えながらぼうっと地面を眺めていると、柔らかい焦げ茶色の土の上に一列のアリの行列が見えた。
行列の途中には一匹のトカゲの死骸がある。
アリたちはこの死骸を少しずつ解体し、各々分担して自らの所属するコロニーへと運んでいく。
女王に捧げる供物か、あるいは今晩の夕食か。
規則正しく行進するこの黒い社会性昆虫たちは、自らの自重の100倍までの荷物を運べるという。
ヒトで例えるなら5トンから10トン程度の大荷物だ。
ジークが担げば、たとえ身体強化をしていても潰れてしまうことだろう。
そんなことを考えているうちにリルも段差を上ってきた。
器用にミニサイズのウォールシルトで階段を作る彼女の姿に、大人しく後ろからついていけば良かったと後悔する。
故郷マルティナからの旅路である程度長旅には慣れてきたと思っていたのだが、やはり近場の森での狩りとは違い、大荷物を背負っての長時間の行歩というのはなかなか勝手が違う。
アリの行列とトカゲの死骸から顔を上げ、クラウスの後を歩いていく。
あれから色々な人と、色々な話をした。
アクティスの村の人々へのお見舞いをした。
エニーと、彼の父の元へと挨拶に行った。
コカトリスとはあれ以来会ってはいないけれど、リルやクラウスに彼女のことを話した。
『ジーク……。君は……なんというか色々と凄いな……』
コカトリスと友達になったと話した時、クラウスは意外にもあっさりと信じてくれた。
『だってジークが嘘をつくとは思えないよ』
確かに意味のない嘘は吐かないが。
クラウスはそれから腕を組んで何かを考え込むような素振りをしていた。
人類を救う彼の目的は、つまるところ、人類に仇なす神霊の駆除と同義だった。
それが、どんな因果か友達になってしまったと言われれば、そりゃあ考え込むのも仕方のないことだろう。
『そっかぁ……コカトリスってそういう子だったんだ……』
一方で、リルは少し複雑そうな表情をしていた。
同じ種族。
違う境遇。
だけど、二人の境遇は少しだけ似ているところもある。
誰かを助けようとして、逆にその助けようとした相手を、自分の過ぎた力で殺めてしまった。
悪意なく、純粋に"そういう存在だから"という理由だけで、別種である人間を壊してしまう。
二人の抱えた問題は見え方が違うだけで、根本の部分では同じような気がする。
だから、コカトリスの話を聞いて、リルは彼女の苦痛に誰よりも共感したのかもしれない。
これはあくまでジークの憶測に過ぎない。
だが、あながち間違いでもないだろう。
『コカトリスの境遇のことはよく分からない……。たぶん、本人と話してみないとダメなんだと思う。だけど、私やっぱり嬉しいな』
リルは口元を綻ばせた。
『神霊の友達って、はじめてなの。ずっと……みんな敵同士だったから。私とコカトリスが友達になれたら、きっとすごくすごく楽しい未来が待ってる気がする。具体的なことはまだ分からないけど、でも、やっぱり同種の友達って大切だと思うから!』
それを聞いてジークは安心した。
以前のリルなら、なんだろう……。
嫉妬というか、ライバル意識というか、そんなものを剥き出しにしていたんじゃないかと思ったから。
クラウスと初めて会った時、リルは初対面の彼に明確な敵意を向けていた。
ジークと初めて会った時も、割れたガラスのような危うさがあった。
自分自身も、他者も、何者も信用しないし、心を許しもしない。
そんな部分が、徐々に剥がれ落ちて、丸くなった気がする。
ジークに対してだけだったそれを、周りのみんなにも向けられるようになったのだと思う。
あの森での一件以降。
いや、マルティナを旅立ったその時から、彼女の心は成長を始めたのだと思う。
恐ろしい化物としてではなく、他者と共存する一人の神霊として……。
「ジーク、リルさん! ひとまず第一の目的地に到着だ!」
そうこうしているうちに、クラウスの明るい声音がひとまずは休憩できることを告げてくれた。
「やっと人里か……。こう、一週間も歩きっ通しだとそれだけでも込み上げてくるものがあるな。……ジードフィルに着いた時も同じような感じだった気がするが……」
「やったー!! 今日はちゃんとベッドで眠れる!! 寝袋とはおさらばだー!!」
リルはぴょんぴょんと跳ねるが、よくそんな元気が残っているなと不思議に思う。
神霊は疲れないのだろうか?
「ここは小さな村だから宿があるかは分からないけどね」
「しょんぼり……」
クラウスの冷静な言葉にリルがガックリと肩を下とす。
普通の旅路ならそうした心配もないらしいが、クラウスの癖なのだろうか、彼は旅をする時には意地でも最短コースを通ろうとする。
どうやら宮廷騎士の追っ手を警戒しているらしい。
もちろん、それでも危ないルートは避けた上での最短コースだ。
荷物は少なくなるし悪いことばかりでもないのだが、もう少し正規の道路を利用しても良さそうなものだ。
ジークはリルの肩に軽く手を置いた。
「頼み込めば教会の隅っこに寝場所くらいは作ってくれるだろ。それだけでもテントと寝袋よりは幾分マシだ」
「確かに、それもそっか!」
そう言って、三人はこの二度目の旅路で最初の村。
イーリス村へと入っていった。
まあつまらないことを言ってしまうが、こうした小さな村はどこに行っても大した違いがない。
せっかく旅をしているのだから、もっとこう特色のある場所に行けと思うかもしれないが、これはあくまで目的地へと至るための道程。
このイリス村で一泊して、さらに西へ五日も歩き、そこから灯台街道と呼ばれる道をつたって北へ半日。小さな漁村で定期便に乗り込み、波間を揺られて数時間北へと向かった先が、今回の目的地"港湾都市リーシア"だ。
リーシアに関する詳しい説明はここでは省くが、簡単に言ってしまえば、『ギルドの総本部がある場所』――つまり、この世界の国家にトドメを刺した土地だ。
まあ厳密には国家そのものは無くなってはいないが、昔に比べれば鳴りを潜めたものだ。
絶対王政だとか封建制だとか、そういった話は今日ナイルより東に行くか、リーシアから北に見えるぺトネ山脈の向こう側にでも行かなければ見物出来ない代物となっている。
つまり、ギルドが無い場所に行きたいのなら、そこを超える必要があるということ。
この西方世界は、完全に冒険者ギルドに依存した世界構造となっているのだ。
「とりあえずギルドの代行所か?」
そういうわけで、どこの村にもギルドの代行所くらいはあるもので、あとは教会と住民が住まう家屋と畑……それが西方世界の小さな農村に、最低でも絶対に備わっているはずの基本の機能だ。
「そうだね。代行所で宿があるか聞いて、それからかな」
そういうわけで、ジーク達は毎度お決まりの手続きを済ませるため、ギルドの代行所へと向かった。