28話 病毒の魔王
夜になって、少しだけ落ち着いた。
というより、泣き疲れて眠っていた。
「はあ~あ、よく寝た! 人殺しが起きるのに丁度いい夜ね!」
新月の真っ暗闇の森の中。
体を起こすと、何匹かの虫の死骸が体から落ちた。
「あらあら、私眠っている間にも殺しちゃってたのね! 私って本当に罪な存在ね」
冗談めかしてクスクスと笑ってみる。
でも、胸の中に燻る思いは晴れなかった。
「…………」
静かに立ち上がり、自分の手を見てみる。
他の人間とそう変わらない見た目だ。
腰まで伸ばした金髪に透き通る赤い瞳と白い肌。
だけど、神霊だ。
人間とは違う存在だ。
「ま、仕方ないわよね! 私は神霊。強い存在が弱者を蹂躙するのは当然の理。自然の摂理。気に病む必要なんて何もない。私は最初から、そういう存在。生命を冒し、蹂躙し、弄び、破壊し、土に還して……」
そこまで言って、やはり涙が流れた。
「無理……。なんで私なの? なんで私がこんな役回りをしないといけないの……?」
溢れ出る涙を拭っていると、ふと遠くのほうから煙の匂いがしているのに気付いた。
顔を上げ、村のほうに視線を向けると、空がオレンジ色に光っているのが見えた。
嫌な予感がした。
森の中を一目散に駆け、絡みつく枝を折ってひたすら走る。
森を出て、視界が開ける。
雄大な草原の中にある小さなひとつの村。
その中に燃えている民家がひとつだけある。
ゾッとした。
あの、チューリップの花を見せてくれた少女の家だ。
一目散に走った。転びそうになりながら道を走り、村の入り口までやって来る。
「お前は……何をしに来た!!!」
「通して! ここを通して! あの子の無事だけ確認させて!!」
「やはり、あの娘はお前の眷属だったか」
「なによ……それ…………何を言っているの?」
検問の男は白々いとでも言いたげな態度でコカトリスに言い放った。
「悪魔の毒が広まったのは、毒の悪魔とそれを招き入れた眷属のせいだ。だから、俺たちは悪魔の眷属を浄化の炎で焼くことにしたんだ!」
「嫌゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛!!!!! 通して!!! ここを!!! 早く行かないと!!!!」
コカトリスは魔力を放って検問の男を突き飛ばすと、背中に翼を生やして少女の家の前に降り立った。
毒鳥の姿に村人たちは恐れをなして距離を開けるが、一人の子供が石を投げつける。
「毒の悪魔め! 眷属を助けるために来たんだな!」
コカトリスはそんな子供の言葉は無視して、家の中へと踏み行った。
中は灼熱の炎に焼かれ、煙で息をするのもままならない。
「どこ!? どこにいるの!? いるなら返事をして!!」
「神霊様……?」
「あ! あぁ……!」
奥の部屋のベッドに、少女は縛り付けられている。
病気で動けないはずなのに、こんな縄まで絞めて、この少女を焼き殺そうとしている。
その事実だけでコカトリスは耐えられなかった。
「こんなにキツく縛って……痛かったでしょう? 今すぐ助けてあげるから……!」
「いいんです。私はどっちにしろ、死んでしまいますから……」
「そんなこと言わないで……お願いだから…………」
コカトリスは縄を解くと、少女を抱き起こそうとする。
しかし、少女はそれを止めた。
「私、神霊様が頑張ってたの知ってるよ。村のみんなは知らないかもしれないけど、神霊様は本当は凄く凄くすっっっごく優しい人なの……。だから、私のことはこのままにしておいてください」
「なんで! 嫌よ! もう沢山なの! これ以上誰かが悲しむのは嫌なの!」
「そんな顔をしないでください。もし私の死体が見つからなかったら、村の人々は不安で眠れなくなってしまう……。私一人の命でみんなを安心させられるなら、私はそれでいいんです」
「よくない! 全然よくないじゃない!!」
少女はコカトリスに弱弱しい微笑みを向けた。
「たぶん……悲しいですけど、この誤解は解けません。だから、私が死んでみんなを安心させるのが一番なんです。私が助かっちゃったら、村の人々は怖がるし、あなたも悲しみます」
「なんで……私はあなたに生きて欲しいの! 死なないでよ!」
「ダメなんです。私の病気は、もう治らないとこまで来ています。たとえ薬が作れても、もう手遅れなんです。このまま衰弱していく姿を、神霊様に見せたくない。きっと、あなたは私の弱っていく姿を見て泣いてしまうから……」
そうとだけ言うと、少女は静かに目を瞑った。
「会えて良かったです。神霊様、どうか村のみなさんを恨まないでください」
「そんなこと言われても無理よ……!一緒にここを出ましょう? 無理矢理にでも連れ出すわ! 私が、あなたの病気を癒やす方法を探すわ! 自分の毒を消す魔法を見つける! 薬を見つける! だから一緒にここを出ましょう!!」
コカトリスは少女の返事を待った。
無理矢理連れ出すと言ったが、結局コカトリスにはその勇気すらなかった。
彼女にとって、何が幸せで、何が不幸なのかを考えれば、手を動かすことが出来なかった。
それから彼女は一言も話すことはなく、燃えさかる炎の中、ただ静かに横たわったままでいた。
体温が下がっているのか、鼓動があるのか……もう無かっただろうと思う。
だけど、ずっとそこから離れられずにいた。
火が弱まって来る前に、コカトリスは家を出た。
村人たちは彼女を取り囲んだが、彼女は何も言わずに飛び去っていった。
恨むな。と言われたが、無理だ。
あそこにあと一秒でも長くいたら、きっと虐殺していたことだろう。
せめて、あの村の住民を殺さず、そのままどこかへと去ることが、コカトリスにとっての、少女の意思への手向けだった。
守れなかった。
救えなかった。
自分で殺した。
コカトリスは森へと降り立つと、そこに座って村を見下ろした。
醜い村だ。
紺碧の夜に、灰色の煙を撒いている。
その煙は、あの少女を燃やした煙だ。
自分のせいで、ああなった。
しばらく炎を見つめ、それからコカトリスはその場を後にした。
それから数十年か、それとも数百年は経っただろうか。
コカトリスは人里離れた森の奥に小さな小屋を作って暮らしていた。
人間の文化も知識も、もはや遠くの異界のことのように思って、全てを忘れることにして……。
そんなある日、天からの声が聞こえた。
――儀式。
神霊たちの殺しあいによって、最後に残ったただ一つの願いが成就され、夢の持ち主は神となる。
コカトリスは儀式への参加を決めた。
明確な夢などはなかった。
少女を蘇らせる夢も考えたが、仮に蘇らせても毒で殺してしまうだろう。
そうでなくとも、彼女の家族はもういない。
根本的な解決には繋がらない。
だったら自分の毒を無くすのはどうか。
全ての元凶たる毒を消し去り、皆と同じように暮らす。
だが、そんな資格が自分にあるのか。
既にこの毒で多くの命を奪ってきた。
仮に毒を無くしたところで、心の隙間が埋まるわけじゃない。
そう思えば、毒を消すという夢は抱けなくなっていた。
曖昧で朧気な夢の中で、毒鳥は幾つもの神霊を撃破した。
こと殺しに関して言えば、コカトリスは優秀な神霊だった。
長い戦いの中、いくつもの命を奪っていき、自らの心をも欺き、儀式に命を賭けて、やっと納得のいく答えが見つかった。
「私は全生命の敵。魔物も獣も人類も、全てを滅ぼす毒の神霊。故に私は全ての現生生物を死滅させ、あらゆる生命が存在しえない、毒だけの世界を創造する」
自分のこころの穴は、永遠に続くような無限の孤独に対する悲しみだ。
誰にも触れられず、誰からも認められず、否定され、一人でいることしか出来ないという孤独への拒絶だ。
だが、今更それを埋めてどうなる。
すでに自分は毒の悪魔だ。
病の魔王だ。
だったら、最後までそれを貫き通してやる。
自分をこのように作った世界に徹底的に反逆する。
そして全てを終わらせ、新しい世界を創造する。
誰もいない世界なら、きっともう傷付かなくて済むから。
だけど、その夢ももはや叶わない。
最期の剣を受けたとき、コカトリスはその剣に、担い手の"全て"を感じ取った。
まるで自らの内側にあるものを、全て剣に宿したかのような、そんな一撃。
長らく人と語らうこともなく、自らの言葉さえ欺き、偽物の自分を演じてきた。
人殺しの悪魔としての自分。
だけど、その剣はどこまでも真っ直ぐで、どこまでも真実だった。
欺かない自分を乗せた剣。
本当の夢を叶えるための魔法。
そんなものに最後に触れて、神霊コカトリスは静かな眠りについた。