25話 Fen-Rir(2)
変な夢を見た。
最強の剣士を名乗る男の子が、最強の神霊である自分を助けるという、奇天烈な内容の夢だ。
だが、どうにも夢じゃないらしい。
フェンリルは教会の階段に腰をおろし、ひたすら木刀で素振りをする男の子を眺めている。
彼の名はジーク。
八歳の男の子で、自称最強の剣士らしい。
まあ正確には、それを目指しているということなのだが、目が覚めた少女に向かって、少し見栄を張って勢い余ってしまったといったところか。
そんな自己紹介を聞いて、次は自分の番。
名前を名乗ろうとしたら、「リルだろ。いい名前だよな」なんて言われ、頭の中が混乱した。
リル……。
おそらく、呂律が回っていなかったせいで、最初に名乗った時「フェンリル」の後ろの「リル」だけを聞き取られてしまったみたいだ。前方半分の「フェン」には申し訳がないが、その「リル」という名前に少しだけ「良いな」と思ってしまった。
フェンリルという名前に未練はない。
リルという一人の少女でいるのは、彼女にとって、少しだけ気が楽だった。
戦いから遠ざかったような気がしたから。
「アンタ、いつまで剣を振ってんの」
「午前中は昼飯までだ! 昼飯を食べたら、また夕方まで!」
「馬鹿みたい」
正直、馬鹿だと思った。
老い先短い人間ごときが、いくら努力したところでたかが知れてる。
助けてくれたことには感謝しているが、そんな人を殺す道具を子供が握っている姿には反吐が出る。
このジークとかいう子供が必死に剣を振る姿を見て、通り過ぎていく町の人達は微笑んでいる。
吐き気がした。
こんな子供に人殺しの道具を握らせて、にこにこと笑う感性が理解出来なかった。
邪悪だとさえ感じた。
(どこもかしこもゴミばっか。神霊が戦うことしか考えないなら、人間も同じ。どいつもこいつも、誰かを悲しませることばかりする。嫌い。大嫌い……)
フェンリルは膝を抱き、階段の上から男の子に声を掛ける。
「ねえアンタ、そんな剣ばっか振って、嫌になんないの?」
「ならないよ。俺、剣好きだもん」
「ふーん」
少女は夕方になるまでずっとその少年の剣を眺めていた。
「ねえ、夕方だよ……」
「あと百回!」
「いい加減にしろよ……」
フェンリルは呆れたような顔で最後まで付きあった。
「お前、なんであんなところにいたの?」
夕飯時、少年はそんなことを聞いてきた。
「あの森は"人食い"の化物が出るから、子供は一人で入っちゃ駄目だって親父が言ってた」
「アンタも一人だったじゃん」
「いや、それはそれとして」
「なんなの……」
言いたくなかったから、記憶喪失ということにしておいた。
今の魔力を失った姿も、その嘘の設定には都合が良かった。
両手と首に魔法の枷を付けた、八歳程度の子供。
普通の出自じゃないなと一目で分かる。
記憶を失っていても不思議じゃない。
ジークは頭の耳を猫耳だと思っているらしく、まあ、そこも話を合わせて猫だということにした。
別に狼であることに誇りやプライドを持つタイプでもない。
そんなこんなで、ジークはリルを記憶喪失のか弱い女の子だと納得した。
「へえ、お前も大変なんだな」
「まあ、そうだね……」
次の日も、その次の日も稽古は続いた。
リルはジークの稽古をずっと眺め続けた。
最初は町の人達への印象は最悪だったが、次第にそれは勘違いであることに気付いていった。
「あの子ねえ、笑顔のために剣を振ってるのよ」
自分を引き取ってくれたおばさんが、夕飯時に教えてくれた。
「あの子、小さい頃に母親を亡くしててねえ……それで、お父さんを笑顔にするために剣を振ってるのよ。あまりに頑張るものだから町の人たちも微笑ましく見守っちゃって……気付いたら本当にみんなを笑顔にしちゃってたのよ。凄い子よねえ、本当に」
「……馬鹿みたい」
とんだ馬鹿だ。
それなら剣じゃなくたっていいじゃないか。
だって、剣で人を笑わせるなんて、一番難しいに決まってる。
手品だとか、楽器だとか、芝居だとか、人を笑顔に出来るものなんてこの世界には沢山あるのに。
なぜ、人を殺すための道具にこだわるのか。
一番の遠回りだと思った。
「アンタ、人を笑顔にするために剣を振ってるんだってね!」
次の日の朝、相変わらず一日中剣を振る少年に、教会の階段から話しかける。
「なんで剣なの? 別に剣じゃなくていいじゃん。私、もっと楽しいこと知ってるよ」
「そのわりに笑わないよな、お前」
「うるさいなあ……。私の質問に答えて!」
リルがわめくと、ジークは剣を振るのをやめた。
ジークはリルの手を握ると、自宅のほうへと歩いて行く。
「何? 怒ったの?」
「いや、お前には見せてやるよ」
そういって、ジークは部屋の本棚の奥から、1冊の絵本を取り出して見せた。
「俺の宝物なんだ。今日家に帰ったら読んでくれよ」
「宝物って……それならここで読むよ。借りるの悪いし」
「悪くねえよ。てか、やるよそれ」
「は!? 意味分かんない! 今宝物って言ったじゃん!」
「宝物だよ。頭の中……心の中にしまってある。もうぜんぶ、隅から隅まで暗記しちゃったし」
「馬鹿みたい……絵本ごときに」
それから夕方の稽古に付きあって、リルは家に帰った。
夕食を済ませ、ベッドの上で絵本を開く。
その絵本は、最強の剣士の物語だった。
ある一人の剣士が、自らを最強の剣士だと名乗った。
最強の剣士とは、みんなの笑顔を守る剣士のことだ。
剣は普通に扱えば人を傷付けるだけだが、絵本の中の剣士は悲しむ人たちを救って笑顔にする。
いくつもの町や村を旅して、彼の通った後にはみんなの笑顔がある。
彼には一人の相棒がいる。
最強の剣士の考えに賛同した、最強の魔法使いだ。
その魔法使いは、最強の杖を持ち、剣士と共に旅をする。
剣士が困れば魔法使いが、魔法使いが困れば剣士が助ける。
そうして、二人はこの世界を救い、みんなはいつまでも幸せに、笑って暮らしましたとさ。
そんな物語だ。
なんてことはない普通の絵本だ。
子供向けのご都合主義。
話に無理がありすぎる。
だけど、リルはそれを読んで泣いた。
なんども戦って、何度も殺して、何度も悲しんで、何度も悲しませて。
そんな光景を何度も見て、すり切れていた。
こんな純粋な、それこそ"夢"みたいな物語が、リルには何よりも貴いもののように感じられた。
ずっと、忘れていた。
助けようとして、助けられなかった女の子の顔を思い出す。
(わたし……あの子の笑顔が守りたくて、戦ってたんじゃん……)
リルは毛布を被って、静かに泣いた。
馬鹿なのは自分のほうだった。
ずっと逃げてただけだ。
助けられなくて、拗ねてただけだ。
(私は……これから……)
どうしていけばいいのか。
そんなことを夜が明けるまで考え続けた。
一晩明けて、次の日も少年は相変わらず教会で剣を振っていた。
「絵本! 読んだよ!」
ぶっきらぼうに言うリルに、ジークはニッと笑った。
「感動の物語だろ」
「別に!」
リルは、少年が自分の赤く擦れた目元を見ているのに気付き、目を逸らす。
いつもの階段に座る前に、少女は男の子の前に立った。
「この本、やっぱり返す」
「いいよ、やるよ。俺全部憶えたし」
「私も憶えた」
リルはそう言って絵本を彼に押し付ける。
「憶えたから、いらないの。そういうことでしょ?」
大切なのは絵本じゃなくて、物語そのものだ。
たぶん、この少年が絵本を渡してくれたのはそういうこと。
ジークはリルの顔を見つめると、そうかと言って受け取った。
絵本を渡すと、少女は階段には座らず何処かへと走って行った。
少年は珍しげにその後ろ姿を眺めていたが、まあ大丈夫だろうといった表情でまた剣を振り始めた。
リルは森の中を歩く。草木を掻き分け、そこにシロザを見つけた。
昔住んでいた村で、シロザを材料に杖を作っているのを見たことがある。
(私は魔法使いになる。アイツが最強の剣士になるなら、私は最強の魔法使いになる……!)
そのためには、杖が必要だ。
絵本の中の最強の魔法使いは、最強の杖で魔法を使う。
そのための杖を、自分で作る。
リルはシロザを抜くと、いらない葉をナイフで削ぎ落とし、魔力を込めて無理矢理乾燥させた。
今の自分には少し大きい杖だが、霊核が本来の姿に戻れば、これくらいが丁度いいだろう。
リルはシロザの杖を持って駆ける。
森の中を駆け、町へと戻り、少年の元へと戻って来た。
「……なんだ、それ?」
「最強の杖!」
「それがか」
「文句ある?」
リルの真剣な表情に、ジークはニッと笑った。
「ねえよ。確かにそれは最強の杖だ」
「それでよし」
リルは一段飛ばしに教会の階段を登り、最上段まで登り終えると、その杖をジークにかざして叫んだ。
「ジーク! あなた、最強の剣士になるんでしょ!? 本気なの!?」
「あぁ、俺はいつか絶対に最強の剣士になる。そのために俺は剣の稽古をしてる」
「それなら、私は最強の魔法使いになる! これは、ジークが見せてくれた夢だ! だから私はジークと、この最強の杖に誓う! 私は、ジークと一緒に最強になる! 最強の魔法使いになって、みんなを笑顔にする!」
「だったらまずはお前が笑え! この仏頂面!」
「やったらぁ!」
そう叫ぶと、リルは満面の笑みで階段の一番上から跳んだ。
ジークは慌ててリルを受け止め、二人はバランスを崩して転んだ。
「いってェ~なあ! 何すんだよ!」
「アハハハ! 笑ってるんだから何でもいいじゃん! アハハ!」
それを聞いて、何だコイツとジークは思った。
でも、この少女が初めて笑ってくれたのを見て、ジークも笑った。
ジークの剣と、リルのシロザの杖。
その二つが、陽光を受けて輝く。
最初の誓いは、彼女が何者になるのか、それを定めるための魔法となった。