21話 侵された村
端的に言って、アクティスの村は酷い有様だった。
村人の八割ほどがクラウスと同じような症状に冒されて動けずにいる。
残った二割が必死に看病をしているものの、おそらく彼らも時期に衰弱していくはずだ。
「川から引いてる水は飲むな。飲むなら井戸の水か酒だ」
「井戸はダメです……あの水を飲んだ住民もみな倒れてしまって……」
「そうか……。明日の明朝にジードフィルのギルドから医者の旅団が派遣される。飲み水も持ってきてくれるかもしれん。到着するまで辛抱してくれ」
どこもかしこも、とにかく水が足りていない。
毒に冒された人は発熱して水を求めるから悪循環だ。
「父さん! 気を確かに……!」
隣の民家からも悲痛な声が聞こえてくる。
あれもこれも、全てはコカトリスのせいだ。
「エニー、これは誰にも言っちゃダメだが、ワシらはもう助からん。これはおそらく、伝承にある神霊の仕業だ。青結晶が効かない病の伝説を聞いたことがある……」
「そんな……違いますよ! きっとお医者様が治してくださります!」
そんな会話を聞いて、ジークは思わず民家に立ち入った。
「エニー! なんでお前がこんなところにいるんだ!?」
「ジークさん!? あなたこそなぜここに……?」
エニーは心底驚いた様子でジークの姿を見上げた。
ジークはリルと顔を見合わせる。
エニーにコカトリスの話をしたところで仕方がない。
リルもそう判断したのか、顔を横に振った。
「川に流れる毒の調査のために、川上を目指しているんだ。可能なら毒を消そうと思ってな……」
「そう、なんですか……。冒険者の方には本当に感謝ですね……。僕は村が毒に冒されていると聞いて飛んで帰ってきたんです……。でも、明日にはお医者様も来てくれるんですよね? それで父は助かるんですよね!?」
エニーは縋るようなまなざしを向けてくる。
医者が治せる病じゃない。とは言えない。
だが、ジークとリルは必ず、この元凶を倒さなくてはならない。
「治るよ。絶対に」
隣で、リルがそう言った。
その真剣な眼差しにジークも頷く。
「ジードフィルのギルドは国内でも最高峰の規模だ。今街中の医者を集めて、どんな薬が有効か調べてるところだと思うぜ」
今は彼らを安心させてやったほうがいい。
コカトリスを倒しきる前に憔悴されたら元も子もない。
そう言うと、エニーの父は目をこすってこちらを見ると、なにやら驚いたようにせき込んだ。
「お父さん!? 大丈夫ですか!?」
「あ、あああぁ……。なんということだ! お前は、シンか!? あの宮廷騎士をしていた、国王から逃げたシンなのか!?」
ジークはその言葉を聞き、眉間に皺を寄せた。
シンはジークの父の名だ。
国王を裏切り、儀式の情報を一人握ったまま逃走し、クラウスに願いを託して死んだ。
それを知っているのなら厄介なことだ。
国王は血眼になってクラウスを探していることだろう。
その手掛かりを与えるわけにはいかない。
「シンってのは……誰のことだ? 悪いが人違いじゃないのか?」
「いや、その声、その顔……そうか、お前はシンの息子というわけか!」
話がまずい方向に進んでいる。
ジークはリルと一緒に戸のほうへと向かった。
「悪いな爺さん、急いでるんだ。話はまた今度にしようぜ」
「待て! 違うんだ……。ワシはシンと共に神霊葬を作った鍛冶師なんだ。宮廷の騎士じゃない」
「神霊葬を……?」
その言葉に足が止まった。
ジークの父がクラウスに託した、神霊を討ち滅ぼすための剣。
ジークが懐に隠し持った、神樹の灰で出来た剣。
それを、この男が作ったという。
「なるほど、その腰に佩いた剣、見覚えがあるぞ。それは星鉄の剣だ。懐かしいものだな」
「爺さん、アンタ本当に神霊葬を作った鍛冶師なのか」
「ああ、神霊を殺すための剣だ。国王直々の依頼だった。腕が鳴ったよ。なにせ、普通の剣じゃないからな……」
エニーの父は残った力を振り絞るように体を起こした。
老体で衰弱も激しいが、瞳の奥には燃え盛るような強い何かを感じさせる。
只者ではないことは明らかだ。
「お前さん、神霊コカトリスを狩りにいくのか?」
ジークは暫し黙っていた。
この男が信頼できる相手なのか分からない。
クラウスの願い、人類の勝利のために、国王には居場所を知られたくはない。
あの、"人類を間引く夢"を持った国王には。
「まあいい。言わずとも、お前さんの考えていることは分かっておるわ。あの国王の企みについてのことだろう? ワシがお前さんにこんなことを言うのは、シンからの遺言を預かっているからなんだ。もしもここに神霊葬を持った男がやってきたら、それはワシらの仲間だから、手を貸してやってほしい。シンからそう言われているんだ」
そういうと、その男はエニーに机の中から一枚の手紙を取り出させた。
ジークはそれを受け取ると、確かにその筆跡と文が父のものであることを確認した。
「アンタは……親父と、クラウスと同じ考えで神霊葬を作ったのか?」
老人は静かに頷く。
「ワシは人の世の平穏のため、その剣を作った。断じて、私利私欲、迫害、悪意、世界の主権などのために作ったわけではない! ワシはシンの考えに同調したから、神霊葬を作ったのだ!」
「そうか……。疑って悪かったな」
確かに、この男は父の知り合いだ。
手紙もそうだが、言っていることもクラウスと似たところがある。
「お察しの通り、俺たちはコカトリスを倒しに行くところだ。ここから馬をぶっ飛ばして、二、三時間もすれば辿り着けるところにコカトリスがいるはずだと、俺たちの仲間が言っていた。奴を倒して、ジードフィル一帯の毒騒動を終わらせる。それが俺たち二人の直近の目的だ」
「そうか……そうか……。シン、お前の子は立派なものだ。あっぱれとでも言いたくなるほどに……」
「おいおい大袈裟だろ。とりあえず、そういうわけだから俺たちはもう行くぜ。とっとと終わらせて、宿で酒盛りでもしたいからよ」
もちろんこれは冗談だ。
早く倒せば倒すだけ、クラウスの買ったビールが多く余ることになる。
そうなった際には実際にそれを消費しなければいけないわけで、つまり、ジークもリルも、酒が好きなわけでもないのに酒盛りを強制されるわけだ。
「待ってくれ。何か支援させてくれ! ワシはシンと約束したんだ! 何か必要なものはあるか!? そうだ、うちの剣を持っていくといい! 竜鉄から魔結晶まで何でもあるぞ! 持って行ってくれ!」
老人はそう言って奥のほうを指す。
「奥に工房がある。エニー、案内してやりなさい!」
「は、はい父さん! ジークさんこちらへ……」
「いや、俺にはもう三本も剣があるもんでな」
「ポーションも十分に持ってきちゃったしね……」
ジークとリルの言葉に「そんな」といった表情の老人。
ジークはなんだか申し訳ない気持ちになるが、正直今必要なものは戦力くらいだ。
ここで手に入るものじゃない。
「そうだ! とっておきのお願いがあるんだけど……」
リルはエニーの父親にニヤニヤしながら迫る。
相手は病人だからあまり無茶なことを言わないといいがと心配したが、その心配もどうやら無用のものだったらしい。
「ジークが持ってる星鉄の剣、この戦いが終わったら打ち直してほしいんだ。もうボロボロのズタズタで……お願いできるかな?」
「もちろんだ! 任せておけ! 切れ味を百倍にしてやる!」
「いや普通に打ってくれるだけでありがたいんだが……いいのか?」
「むしろそれだけでは足りないくらいだ。こちらは十年以上も待って、待って待って待って……ようやくやってきたチャンスなんだ! かつての仲間の……残された意志に報いる、絶好の機会なんだ!」
エニーの父は病気も吹き飛びそうな大声で叫んだ。
なんだかよく分からないが、ありがたい申し出だ。
コカトリスを倒したら、遠慮なく剣を直してもらおう。
「それじゃあ俺たちは行くぜ」
「ばいばーい」
「絶対に倒すんだぞ! その剣、ワシが切れ味千倍にしてやるから、必ず帰ってくるのだぞ!」
異様に叫ぶ老人に手を振って、二人は馬にまたがり、アクティスの村を後にした。
「まさかここにエニーの親父さんがいたとはな……」
「しかもジークのお父さんの仲間だって。クラウスの友達かな?」
「なんかズレたところも似てる気がするし、もしかしたらそうかもな」
リルはジークの体にしがみつき、黒鹿毛の馬は勢いよく加速した。
「助けなきゃいけない人が沢山いるんだね……」
アクティスの村の状況を見て、それがよりリアルに実感出来た。
肌で感じるような、本当の意味での危機感。
必ずコカトリスを倒さなければいけない。
そうでなければ、クラウスも、あの老人も助からない。
数日もせずに、棺桶に入れられ、冷たい土の底に埋められることになる。
「コカトリスのこと、どれくらい知ってるんだ?」
「会ったこともない。だけど、神霊の中では間違いなく最強格。コカトリスの今までの撃破数は私の知ってるだけでも三九柱。羽根を剣のように飛ばして、相手をズタズタに切り裂くらしい。鳥というからにはたぶん飛べると思う。詳しくは分からないけど……」
そこらへんは実際に出会ったことがないから、リルにも分からない。
「どちらにせよ斬るだけだな」
黒鹿毛を加速させる。
一秒でも早く、コカトリスを撃破するために。




