2話 誤解
ジークにとって、冒険者とりわけ剣士というのは憧れのようなものだった。
彼の住む町は小さな教会を中心とした農業の町で、少し離れたところにギルドの派遣所がある、ただそれだけの寂れた町だ。
昔、ジークの父は教会の集会所を借りて、町の人たちに剣を教えていた。
といっても、大半はお遊び気分だとか、精神の鍛練だとか、そんなことを目的とした人たちばかりで、そんなに強い人はいなかった。
そんな中にいて、ジークは異彩を放つ存在だった。
本気で剣に没頭し、全ての時間を剣に費やした。
『俺は父さんみたいな最強の剣士になる!』
ジークがそんなことを言うと、彼は何も言わずに微笑み、自慢の剣舞を披露する。
剣を構え、斬る。
父親の動作のひとつひとつ、隅々に至るまでその目に焼き付け、その全ての動作を再現するために剣の鍛錬を積んだ。
彼の父は、母を早くに亡くしたジークを心配していたが、彼が剣に熱中する姿をみて、それだけで安心したような柔らかい表情を見せた。
まだ幼いジークにとって剣を振るうということは、大切な人を安心させるということでもあった。
やがて父が死ぬと、町に剣を知る人はいなくなった。
親を失ったジークは食い扶持を稼ぐため狩人になり、弓や罠を使うようになった。
剣を振る時間はめっきり減ったが、食っていくにはそれしかなかった。
時折ギルドの代行所で依頼を受けて魔物を狩ることもあったが、それも剣の出番は少なかった。
いつのまにか剣士を目指していた時間よりも狩人として生きた時間のほうが長くなり、大抵のことが弓や罠で解決することに慣れていき、剣を握るという行為そのものが、遠い憧れへの未練のようになっていた。
もとより、自分に剣士を目指せるだけの才能があるのかも怪しかった。目指せども目指せども、父の剣には遠く及ばない。
だから、今のままでいい。
ジークはそう自分に言い聞かせて、これまでの日々を暮らしてきた。
そんなジークにとって、クラウスの言葉は不意打ちに近いものだった。
「仲間って……俺の親父を知ってるのか!?」
ジークは痛む横腹を押さえながら問いかける。
剣も矢筒もポーションも、全部さっきの攻撃で落としてしまった。
「騒がないほうがいい。傷が痛むだろう」
クラウスは辺りを見回すと、ジークの落とした剣と、薬の入ったポーチを拾いそれを彼に渡した。
ジークはクラウスに礼を言いポーションで傷を癒やし、改めて同じ質問をした。
「俺の剣の師範を……親父を知っているのか?」
「君の剣を見て直感した。君の剣は"真空の剣"だ」
親父がよく使っていた言葉だ。
身体を真空にして、心を剣に託す。
父の流派で、剣を握る際の心の持ちようを言ったものだ。
「確かに、"真空の剣"は俺の親父がよく使っていた言葉だ」
クラウスはジークがそう言うのを聞いて、やはりかと呟いた。
「君の父について話しておきたいことがある。ここから町へはどれくらい離れている? 出来ればどこか落ち着ける場所で話をしたいんだ。陽が落ちてしまえば魔物が現れて、話をしようにも苦労するだろうから」
「大した距離じゃない。二十分も歩けばすぐ着く距離だ」
それを聞くとクラウスはジークの手を引いて起こし、森の向こう側へと体を向けた。
「少々込み入った話だ。続きは町に着いてからにしよう」
ジークはじれったいような気持ちになるが、確かに夜の森は危険だ。
魔物に囲まれてしまえばそれだけで対処に難儀する。
「分かった。ついてきてくれ」
二人は町の方角へと歩き出した。
しばらく歩き、陽が沈み、辺りがすっかり暗くなった頃合い。
二人はマルティナの町に到着した。
マルティナは冒険者も滅多に立ち寄らない辺境の田舎町だ。
とくに名産もなければ見所もなく、正式なギルドも教会もない。
だからこの町のギルドと教会は"代行所"と呼ばれる形式をとっている。
依頼の管理と討伐した魔物の買い取り、教会での祈りや癒やしは行うが、パーティの結成届けの受領やジョブチェンジ、ステータス鑑定などの業務は完全に管轄外。最低限の支援しか行えませんよ、というのが代行所の特徴だ。
まあこんな田舎町では冒険者など訪れないし、通常業務をしていても仕方がない。
そんなくたびれた町だが、ジークにとってマルティナはかけがえのない故郷で、色々な思い出の詰まった大切な場所だ。
「ここがマルティナの町だね。まずは心臓を換金したい。ギルドハウスはどこにある?」
「それなら行き場所は代行所だな」
代行所へと向かおうとしたとき、向こうのほうから足音が聞こえてきた。
「ジーク! おかえり!」
クラウスを案内しようとした矢先、聞き慣れた声と共に、見慣れた猫耳が駆け寄ってきた。
「もう! なんで真っ直ぐ家に帰ってこないんだよー!」
「リルか。今日は本当に色々あったんだ。すぐに帰れなくて悪かった」
リルは宝石のような大きな青い瞳を持ち、艶のある銀髪を肩の辺りで切り揃えた、真っ白な肌の獣人の美少女だ。
もう一度、敢えて美少女と言うくらいには美少女だ。
それこそ初めて出会った頃には、世界中の秘宝を束にしてかかっても、彼女の美しさには敵わないだろうと思ったものだが、隣の家同士、こう見慣れてしまえば普通に可愛いくらいにしか思わなくなる。
「本当だよー! 女の子を待たせるなんて最低なんだから!」
リルは冗談交じりにそんなことを言ってジークの手を掴んだ。
「ねね、今日の晩ごはんはうちで一緒に食べようよ! 今日はね、ジークの好きな鶏肉のソテーを作ったの!」
白い歯を見せてニッと笑い、彼の手を引くリル。
クラウスの少し困ったような視線に気付き、ジークはリルの手を離した。
「その前に!だ。俺たちは一旦代行所に行く予定があるんだ。こっちのクラウスがアイテムを換金したいらしい」
「どうも、冒険者をやっているクラウスです」
恭しく一礼するクラウスに、リルは「へー」やら「ふーん」やら言いながら一通り眺め回し、ふむと頷いた。
「ジークのほうが強そう」
「おい! 失礼だろ! 謝れ! クラウスに謝れ!」
「ジークは最強の剣士なんだから、ジークより強い人とかありえないけど」
「やめろ! 恥ずかしいだろ! クラウスは俺より圧倒的に強いんだぞ!? 俺を殺そうとしてきた"人食いの化物"を一撃で殺して助けてくれた命の恩人だぞ!?」
その言葉を聞いて、リルの動きが固まる。
しまった、と思った。
次の瞬間、リルの顔色はみるみると青ざめていき、ジークの肩を勢いよく掴み寄せた。
「どういうこと!? "人食い"に遭ったの!?」
「ま、まあそうだな……」
次にリルはクラウスを睨み付ける。
まるで仲間を殺された狼のような威圧に、クラウスは一歩退く。
「あなたのせい? それなら、ゆるさない……」
「待て待て! 違うんだ! "人食い"とは偶然遭遇して、クラウスと俺の二人でアイツに挑んだんだ! 断じてクラウスのせいじゃねえ!」
「挑んだって、何? なんですぐに逃げなかったの?」
「それは……」
「ジークは僕を助けようとしてくれたんだ」
ジークが言い淀んでいると、クラウスがそう答えた。
「違う! いや違くないのか……? とにかくクラウスのせいじゃねえんだ!」
リルはジークの肩を離し、クラウスのほうへと向く。
「やっぱり、あなたが足を引っ張ってジークを危険な目に遭わせたんだ」
「僕が彼の忠告を聞いて、すぐに森を出ていればああはならなかった。見方を変えれば、確かに僕の失態だ」
(違う。断じて違う!)
ジークは真剣な顔で対峙する二人が、どこか遠くにいるような不思議な感覚を感じていた。
自分のせいでリルは怒っている。
自分を庇ってクラウスは謝罪している。
(それは違うだろ……)
二人が言い争うことなんて何もないのだ。
リルには、ただ自分が無事であることを喜んで欲しい。
クラウスには、こんなことで謝罪しないで欲しい。
ジークは言葉にならない思いと共にグッと奥歯を噛みしめ、「違う」と呟いた。
誰にも聞こえない声で。
リルが何かを言おうとした。
それを遮って、ジークは叫んだ。
「俺は――ッ!!」
何も考えずに叫んだ。
後先考えず、頭じゃなくて、心が思うように。
二人はジークの遠吠えにも似た叫びに驚き、そろってジークのほうを見た。
「あの怪物を最初に見た時、正直すげえ怖かった。死ぬって思った。だけど、隣にクラウスがいて、もしここにいるのが俺じゃなくて、親父だったら……どうするかって思って……」
(そうだ、俺の剣は親父から学んだ。親父から受け継いだ。だから、親父だったらどうするか、俺はそう考えた)
ジークの頭の中で、曖昧で朧気だった部分が、徐々に言葉になって漏れ出ていく。
「たぶん、親父なら戦うと思った。どんな敵を前にしても、背後に人がいるなら、それを守るために剣を振る。俺の剣は飾りじゃない。そう思いたかったのかもしれない。親父が教えてくれた剣を、腐ったままにしておけなかったのかもしれない……」
徐々に頭の中の雲が晴れていき、自分の本当の思いが言葉になっていく。
自分にとって、剣とは何なのか。
今まで忘れていた、心の奥に閉じ込めていた思いがわき出てくる。
それをただ二人に語る。
「俺は、今は狩人だけど、本当は最強の剣士になりたかったんだ……。今でもそう思ってるよ。だけど、今のままじゃ絶対に最強の剣士なんかになれやしない。まして親父の仇を前にして尻尾を巻いて逃げるなんてもっての他だ。そう思ったら、なんか変だけど、少し勇気が湧いてきてさ……」
ジークはリルを見た。
青い瞳を真っ直ぐに見つめ、自分のことを全部吐き出す。
なぜ自分が"人食い"に立ち向かったのか。
なぜ自分がクラウスを守ろうと思ったのか。
その思いをただ言葉にしていく。
「仮に勝てなかったとしても、それが剣士だと思ったんだ。守りたいものを守る。自分が大事だと思ったものを守る。握った剣に命と心を賭けて、それを本気で振るうのが、俺の思う最強の剣士ってやつなんだ。だから、俺も自分の剣に、命と心を賭けて振った」
(そうだ、俺はあの時、握った剣に自分の心を乗せていた)
ジークは、次第に熱くなっていく心を感じた。
「俺は、最強の剣士になりたいんだ。親父みたいな最強の剣士になって、みんながずっと幸せでいられるように、そうなれるように剣を使いたい。今まで、色んな人が死ぬのを見てきた。殺されるのを見てきた。悲しかった。親父の時だけじゃない……全部が悲しかった。だから俺は強く在りたいんだ。たぶん、俺が強くなったら、身の回りの悲しいことを減らせると思うんだ。嫌なこと、怖いこと、悲しいこと、辛いこと……そういうのを全部まとめてぶった斬れるくらいに強くなって、みんなでずっと笑っていたいんだ」
そう言うと、ジークは笑った。
今の自分はこれくらいの笑いが出来るんだ。
未来の自分はもっと上手く笑えるように。
「だから俺は逃げたりしない。剣を握って、そこに己の魂を見出す。それが俺の"真空の剣"なんだ」