18話 病めるときも、健やかなる時も
リルの説明はおおよそクラウスの言っていた内容と同じだった。
リルは神霊フェンリルで、今は枷の効果で神霊としての力を発揮出来ずにいる。
杖は白藜を加工したもので、魔法の杖ではない。
「騙すつもりじゃなかったの。でも、話す機会がなかったし……それにこのまま平和に暮らせるなら、それもいいかなって思ってた。だから言えなかった」
ごめんねと呟く。
「謝るようなことじゃねえよ。それにしても何で逃げたりしたんだよ?」
「びっくりして……だと思う。私もよく分からないの。でも、ずっと言わずにいたから、だんだん言いにくくなって、秘密みたいになって、言えなかった……。それを、私の口からじゃなくて、クラウスの口から聞かされたから、ジークを騙したみたいになっちゃって……」
まだ混乱した様子で、延々と言葉を繋いでいく。
ジークは懐から干し肉を取り出して、それをリルに差し出した。
リルはハッとして、言い訳じみた説明を止めた。
干し肉を受け取って囓り、ジークのほうへ顔を上げる。
「まあ落ち着けよ。別に騙されたなんて思ってねえよ。それにお前が何者だろうと、俺にとっては、お前は昨日までと何ら変わらないリルのままだ。大切な幼馴染みで、相棒で、最強の魔法使い。そうだろう?」
ジークの言葉に何も言えずに、ただ干し肉を囓る。
もう飽き飽きしたと思っていた味。
だけど、今は不思議と安心する。
もう一度、これを囓れてよかった。
そんなふうに思う。
「ジークは、私が神霊でも気にならないの? 凄く危険な存在だし、他の神霊からも付け狙われる。今までは偶然誰とも遭遇しなかったけど、これからもずっとそうだとは言い切れない。凄く、凄く危ないの。だから、本当ならもう一緒にはいないほうがいい」
そこまで言ってデコピンが炸裂した。
「いたっ!」
ジークは大きく溜息を吐くと、聞き覚えの在る言葉を口にした。
「お前は"世界最強の剣士の最初の仲間"なんだろ?」
リルは大きく瞳を見開いた。
そうだ、なんでこんな大切な事を忘れていたんだろう。
『私は『世界最強の剣士の最初の仲間』だ! ジークが行くなら私も行く! 誰が置いてなんて行かせるものか!』
旅立つ前に、確かにそう言った。
ジークがまた、最強の剣士を目指して、旅立つかもしれないという時に、彼の背中を押すために言った言葉だ。
『私は世界最強の剣士の相棒、『世界最強の魔法使いリル』だ! どこまでだって、世界の果てまでだって、地獄にだってついて行ってやる! だから、自分の道は自分で決めろ! ジークの行く道が、私の道だ! ジークの夢が、私の夢だ!』
そうだ……。
全て思い出した。
自分が何者なのか。
自分が何をしたいのか。
「あはは……私、自分で言ったことも忘れてたんだ」
リルはそっと立ち上がると、服の土を払った。
「私はジークと一緒にいたい。どんなことがあっても絶対に離れたくない。私の魔法でジークを支えるから……ジークの剣で私を支えて欲しい。ずっとずっと……一緒に戦いたい!」
もう逃げたくない。
弱い自分を隠したくない。
ジークにだけは、ちゃんと正面から向き合いたい。
この感情はとても言葉だけじゃ伝えきれない。
だけど、それを意地でも言葉にして伝えることが、何より大事なことだと思うから。
「私はジークのことが好き。大好き! 幼馴染みで、強くて、優しくて、最強の剣士で、相棒で……いつも私のことを守ってくれる。そんなジークのことが大好き。だから、これからもずっと一緒にいて欲しい。私も頑張るから。最強の魔法使いリルとして……最強の剣士の一番最初の仲間として!」
リルは杖を構えた。
思わず自分の言った言葉に耳が赤くなるが、言ってしまったからにはやけっぱちだ。
今ならどんな魔法でも使える気がする。
この想いをジークに伝える魔法だって。
だから
「ジーク、私と決闘して」
この想いを全力で伝えるには、言葉だけじゃ心許ない。
本当の気持ちを、全力で伝えたいから。
自分がどれだけ強い魔法使いなのか。
それを彼に剣で受け取ってほしい。
「……分かった。お前がそう言うなら、相手するぜ」
ジークは立ち上がると、リルから少し離れたところまで歩いていき、剣を抜いた。
それを見て、リルはニッと笑う。
相手にとって不足はない。
なにせ、目の前に立つ男は最強の剣士だから。
ジークはリルが笑うのに応えるように剣先を彼女に向けた。
相手にとって不足はない。
なにせ、目の前に立つ少女は世界最強の魔法使いなのだから。
「行くぞ……ッ!」
「は――ッ!」
刹那、壮絶な鍔迫り合いが起きた。
ジークの剣をリルの杖が真正面から受け止めた。
ウォールシルトを無詠唱で発動したのだ。
この壁は人間の力では物理的に破壊不可能。
それを魔法の力で押し付けるとなれば、いくらジークの筋力でも耐え続けるのは難しい。
直後閃光が弾けると、ジークは剣を翻し、次々と襲い来る障壁を弾き二歩、三歩と後方へと跳ねた。
リルは杖を構え直し、ジークのほうへ射出体勢をとった。
「トリガーイン――」
舞い落ちる木の葉が杖の先端に触れると共にそう呟く。
ジークは警戒の色を強め、剣先の銀狼を真っ直ぐに見据える。
トリガーインは指定した魔法を遠隔発動するトラップだ。
その先に何を詠唱したのか聞き取れなかったが、リルの詠唱には意味がない。
無詠唱で発動出来る彼女の魔法はスペルを必要としない。
ひょっとすると、今のトリガーインだってブラフの可能性は大いにある。
「それなら……!」
地面を蹴り突撃する。
トリガーインは杖で触れたものにしか発動出来ない。
今までにリルが触れたものはあの舞い落ちる一枚の木の葉だけだ。
どちらにせよ発動するのなら、トラップがあの一枚しかない今が攻め時だ。
「トリガーディレイ! ウォールシルト! クロスライトッ!」
「何!?」
目の前に半透明の壁が聳えると共に、強烈な発光に目が眩む。
トラップは一つじゃなかった。
一つの葉に、二つのトリガーを仕込んでいたのだ。
「やるじゃねえか! だがお見通しだ!」
背後からの奇襲を躱し、返す剣で術者本人を斬りにいく。
が――、
「トリガーディレイ! クロスライト! クロスライト! クロスライトッ!」
ジークの突き出した剣が強烈な光を放ち、思わず剣筋がブレた。
(さっきの鍔迫り合いで俺の剣にトリガーインしてやがったのか!)
身を屈めたリルは杖で剣を弾くと、そのまま懐へと飛び込む。
――"人食い"との戦いでジークがしていた動きだ。
(コイツ! 俺の剣の動きを真似して!)
左の拳が突き出され、辛うじて身を捻って回避する。
リルの身のこなしが予想以上に素早い。
おそらく、無詠唱でエンチャントを重ねがけしている。
身体能力ではほぼ互角か、リルのほうが有利とみた。
ならば、こちらは純粋な剣技で圧倒するのみ。
ジークはリルの攻撃に体勢を崩して倒れるが、リルは一歩引き下がる。
(気付いたか……)
ただ倒れたわけじゃない。
相手の追撃の動きを読み、最速で居合い斬れる姿勢で転んだのだ。
倒れたふうに見せかけて、獲物を誘き寄せる。
自分自身を囮にした、罠の動きだ。
「よく俺の動きを見抜いたな。それでこそ俺の相棒だ」
「何年剣の稽古を見てきたと思ってるの? ジークの考えてることくらい全部分かるよ!」
リルは自分の言葉に思わず笑った。
そうだ。
そうだ……求めていたのはこの感覚だ。
お互いに一切の余裕がない。
相手の手札を互いに全て知り尽くしている。
そんな状況だからこそ、死力を尽くしてぶつかりあって、その剣筋を通して相手の心を感じられる。
(きっと、ジークも同じ気持ちだ……!)
爆ぜる。
ウォールシルトの挟撃を回避し、その壁を逆に利用して上空へと跳び上がるジーク。
空中では身動きが取れない。容易に攻撃を当てることが出来るが、この男にはそんな安易な手段は通用しない。
ウォールシルトを発動しても、それを足場に加速するだけだ。
「ジーク! やっぱり強い!」
リルは自分の目の前にクロスライト付きのウォールシルトを貼り、一歩退いた。
「リル……お前もやるな」
剣が弾け、ウォールシルトが両断される。
「なッ――!?」
ウォールシルトは人間の力では物理的に破壊不可能な魔法だ。
傷付けるには同等以上の魔法か、それをも上回る純粋な、規格外の破壊力が必要になる。
しかし、ジークはウォールシルトが破られるところを何度も見た。
ロンシャ村の突発ダンジョンでの投石攻撃。
そこで、もしかしたらウォールシルトの壁面を成す魔力は均一じゃないのではないかと当たりを付けていた。
どこかに必ず弱点がある。そこさえ正確に斬ることが出来れば――
破片の中を一直線に跳ぶ。
――ウォールシルトを破壊することは可能だ。
「もらった――ッ!」
「そう来ると思っていたッ!」
リルの背後からクロスライトと、三つのウォールシルトが発動する。
目くらましの隙にトリガーインしたとっておきだ。
その隙間を縫うようにしてジークの剣がリルの首元に迫る。
「終わりだ!」
「そう易々と……!」
杖で剣をガードし、カウンター狙いで左足を蹴り上げ、鳩尾を突く。
確かな手応えがあった。
(決まった!)
そう思ったと同時、ジークは左手を振りかざした。
「ッ!?」
剣が二本。
右手に握っていた、リルへと突き出されたモノは剣の形を模した木の枝だ。
この戦闘の最中、ジークの剣戟が削り出していたダミーの剣。
リルの意識のうちに存在しなかった二本目の剣に気を取られ、本物の接近を許してしまった。
「このッ!」
咄嗟に杖でガードするが、三本目の木剣が上空からリルの腕を遮り、ジークの握る左手の真剣がリルの首元へと添えられた。
「勝負ありだな」
ジークのその言葉にリルは尻餅をついた。
完敗だ。
「あ、はは……やっぱりジークは強いなぁ……」
「お前もな。まさか俺の動きを真似してくるとは思わなかった。かなりヒヤッとしたぜ」
ジークは剣を収めると、リルの手を引いた。
「私の気持ち、伝わったかな……?」
リルは体の埃を払いながら照れ笑いで聞いた。
一応、あれで全部ぶつけたつもりだ。
言葉に出来ない想いも、その奥にあるものも。
自分がどれだけジークのことを見て、どれだけジークのことを大切に思っているのか。
相棒としての自分の力量。
まさしく全部。
包み隠さず、何もかも曝け出した。
「ああ。この剣で受け止めた」
ジークはボロボロの剣を見せ、口元を綻ばせる。
それを見て、リルは心の底から笑顔になれた。
「やっぱり、ジークはみんなを笑顔にする最強の剣士だね!」
「みんなってか、まだお前だけだろ。最強の剣士にはこれからなっていくところだ」
「そうだね。でも、この私、神霊フェンリルを笑わせたんだ。人間の百人や一万人くらい容易い容易い!」
そう言って、リルはジークの剣に杖を重ねた。
「ね。ここに私たちの夢を誓おうよ。最強の剣士と、最強の魔法使いの夢。もう一度約束して、もう一度ここから始めよう?」
ボロボロの剣と、なんの魔力もないただの杖。
その二つに、リルは願いを誓いたいと思った。
派手な殺しあいや、高すぎる理想はいらない。
飾らない夢。
それを誓うのに、このボロボロの鉄剣と、ただの白藜の杖は似合いすぎると思ったからだ。
「夢を誓う……か。それも神霊としての生き方のひとつなのか?」
「違うよ。確かに神霊は夢を追って、願いのために戦う。それが本能だから。だけど、私の夢はそんな本能から来るものじゃない。ジークが見せてくれた……ううん。私たち二人で見つけた、二人で叶える夢だから」
だから、これを誓い合うとき、二人は笑顔でいなきゃいけない。
「ほらほら、笑って笑って!」
リルはジークの隣に立つと、杖を持ち上げ、剣と共に空へと掲げた。
真夜中の真っ暗闇の、そのまた遥か向こうに瞬く星に。
鉄の剣と白藜の杖をかざして。
「病めるときも、健やかなる時も、二人はこの願いを忘れずに、互いに助け合い、世界最強の夢を叶えること!」
それを、あなたは誓いますか?
リルの問いかけに、ジークはニッと笑う。
「当たり前だろ? 俺たちの夢は、俺たちで叶える。それだけだ!」
そう言うと、二人はどっと疲れ果てて倒れてしまった。
「ここを出るのは、もう少し休んでからにしよう」
「あはは……そうだね」
もう何も迷うことはない。
こうして、一緒に夢を誓い合った。
それが、それだけがただ嬉しかった。
「私、良い夢を見るよ」
フェンリルはそう言って、暗い夜空に一条の流星を見た。
夢を叶えるために夜空を駆け、輝く星。
人はそれに願いを掛けるという。
というのも、流れ星に頼んだ願い事は何でも叶うという言い伝えだ。
でも、この二人にはそんな言い伝えは不要だ。
二人の夢は、二人の力で叶えるから。