11話 行商人
朝の心地良い風が首元を吹き抜けていく。
木々の間を縫うように進んで行くと、朝焼けの見える開けた大地が眼前に広がった。
朝焼けの陽の光を受けた雄大にして壮麗な草原。
いくつかの小河が大地を裂いて、その中心には円形の人工物がどっしりと居を構えている。
――城下都市ジードフィル
高さ十メートルほどの外壁で守られた円形の城塞都市。
主な産業は鉄鋼業と印紙。ガラス産業も盛んだ。
この街で揃わないものは何もないとも言われるほどの巨大都市である。
その威風堂々たる面持ちに、ジークは思わず息を飲んだ。
「ついに……ついに着いたぞ大都会ー!」
リルは城下都市の威容と、ようやく目的地に着いたという事実に感動し、その場でぴょんぴょんと跳ねている。
あれから一晩森の中で夜を明かし、陽が明けるとともに出発した。
目的地が近いこともあって三人の起床は早かったが、リルが急かすせいで朝食もまともに取っていない。
それでも、三人の足は期待に押されて前へ前へと、いつもより速く進んでいた。
「あと一時間もすれば関所が開く。行商人の通行が一番活発な時間帯だ。市場で新鮮な食材が買えるかもしれない」
「それなら朝食はジードフィルに着いてからがいいかもな」
「ようやく……ようやく干し肉以外が食べられる!!やったぁ~!!嬉しい~っ!!」
ジークとクラウスは小躍りするリルの後に続いて平原のほうへと歩み出した。
近くに整備された道を見つけたので、その傍らを通っていく。
森の不均衡なでこぼこ道を歩いてきたせいか、平坦な道を歩くと逆に違和感がある。
これだけ歩きやすく道を整備するのに、いったいどれだけの手間がかかっただろう、なんてことを考えながら、ジークはすぐ横を通りすぎて行く荷馬車の行列を眺めていた。
豚や鳥、剣に槍に薬……。
珍しいものだと大量の本などを積んでいる馬車もある。
「いろんな行商人が集まって来てんだな……。見ろよリル、あの武器商人の荷馬車、かなり良い剣が揃ってるぞ。その後ろの荷馬車にある曲刀も面白い形だ。ああいうのも一度は使ってみたいもんだ」
「ジークは本当に剣が好きだね」
珍しくワクワクした様子のジークを見て、リルは本当に旅に出て良かったなと思った。
長い間、ジークは生計を立てるために狩人をやっていた。
父親が死んでからは剣を握る時間も少なくなってしまい、どこか覇気の抜けたような時間が続いていた。
だからジークが旅に出て、再び剣を握りしめ、魔物を狩る冒険者になって、リルは凄く嬉しかった。
(街についたら、ジークに似合う剣を買ってプレゼントしよう)
そんなことを考えていると、後ろから知らない男の声が聞こえてきた。
「おーい!そこの冒険者の方々!」
荷馬車の馬を操る一人の武器商人だ。
取り立てて特徴のある人物ではないが、柔和で穏やかそうな好青年といった風貌だ。緑色の髪を風に揺らしながら、道を外れてジークたちの元へと荷馬車を止めた。
「僕たちに何かご用でも?」
こういうことは長年旅を続けてきたクラウスに任せたほうがスムーズだという暗黙の了解に従い、ジークとリルは青年の言葉を黙って聞いていることにした。
「突然すみません。あなたたちは三人連れの冒険者パーティでしょうか?」
「まあ、そのようなものです」
それを聞くと青年は「やっぱり!」とガッツポーズをする。
「あの……もしよかったら僕の荷馬車に乗って行きませんか?ここから関所までもそこそこの距離がありますし、歩いて行くのも大変でしょう?お代は取りませんから……」
ジークたちにとっては悪くない提案だ。
ここから関所までは三十分から一時間ほどはかかる。
荷馬車に乗っていければ楽なのは間違いない。
「それはありがたい申し出ですけど、なぜそんなことを?」
当然の疑問だ。
大抵はチップを要求してくるものだが、男は代金はいらないと言っている。
別に悪い人には見えないが、事情も知らず相手の馬車に乗るのには三人とも抵抗があった。後で因縁を付けられでもしたら堪ったものではない。
そんな雰囲気を察してか、青年はあわあわと手を振りながら弁解する。
「あ、違うんです!そうですよね、急にこんなこと言われたら警戒してしまいますよね……!あの……実は僕、旅の途中で通行証を無くしてしまって……。ですので、もし良かったら一緒に街までいけたらなと思いまして……」
男の口から出た聞き慣れない単語に、リルの耳がピクリと動く。
「通行証?」
「関所を通るために必要な許可証だよ。冒険者や商人が街で申請して作っておくもので、関所で支払う通行税と一緒に、これが出せないとジードフィルには入れない」
クラウスはすらすらと説明していくが、ジークとリルには初耳の情報だ。
「おいおい!俺もリルも通行証なんて持ってねえぞ……。俺たち、ジードフィルに入れねえのか……?」
「どうするのクラウス!?また町に戻るの!?私は絶対やだ!!また干し肉だけの生活になるなんてやぁーだぁーっっ!!!」
呆然とするジークと涙目のリルに、クラウスは「はぁ」とため息を吐いた。
「通行証は一枚で四人まで一緒に通行出来るんだ。発行するのに結構な額のお金がかかるから、マルティナでは発行しなかっただけだよ」
確かにあの時はまだ三人ともお金がなかった。
ダンジョンアタックをして充分な資金を得られたが、一枚で四人通れるならわざわざ追加で申請する必要もない。
「なるほどな。だから三人連れの俺たちに一緒についていきたいってわけか。その代わり、代金代わりに馬車に乗せてやるってわけだ」
「そんなところです。もちろん、馬車の乗車だけで不足でしたら、余分にチップは払います」
「いえ、乗せて頂くだけでもありがたいです。ジークとリルさんも、それでいいかな?」
「楽が出来るならそのほうがいいと思う」
「俺も賛成だ。別に減るものでもないしな」
「交渉成立ですね。後ろの荷馬車に乗ってください。邪魔な武器があれば適当にどかして大丈夫ですので」
そういうと、青年は馬にまたがった。
ジークたちは馬車の中に乗り込むと、改めて大量の武器と共にジードフィルへと進んでいく。
「自己紹介が遅れましたが、僕は武器商人のエニーと言います。近くの村の工房で父と兄が鍛冶職人をしていまして、そこにある剣は全部うちで作ったものなんです!」
「頑丈そうな剣だ。見ただけで腕利きの職人だとよく分かる」
「本当に?見ただけで分かるものなの?」
ジークの呟きにリルが不思議そうに訪ねてみる。
「父が言っていました!一流の剣士は見ただけで剣の状態が分かってしまう。だから本当に売れる剣を作るには、一流の剣士に見てもらうのが一番だって!」
エニーがそんなことを言っているが、ジークは自分が一流の剣士だと言われているような気がして、思わず否定しそうになった。
しかしエニーの親の言葉を否定するのも失礼だと思い口をつぐんだ。
「お客さんは剣士なんですか?」
「まあ、剣士だな。少し前までは狩人をしていたが」
「よかったらうちの剣を見ていてくださいよ。あなたの目はかなり利くようですからね。なんたって、今お客さんが見ていた剣は"竜鉄"を打ったものですから!」
「竜鉄!?!?」
クラウスが思わず立ち上がる。
「どうしたクラウス」
「今、"竜鉄"と言ったのか!?」
クラウスは信じられないといった表情でジークが手に持つ剣を見つめる。
「はい!うちの工房はギルドが正式に認定した特一級の工房なんです!ギルドが各地の冒険者から買い集めた高価な素材が、うちに提供されてくるんですよ!」
「こ、ここにある武器だけで家が五軒は立つ……!」
「ご、五軒!?」
あまりの金額にジークは唖然とし、リルは武器に触れないように隅っこに避難した。
「これはまた、とんでもない奴にあっちまったな……」
「ジーク、その剣を離して!こういうのを傷付けたら、弁償代のために一生下働きすることになるんだよ……っ!」
「お、おう……そうだな」
ジークは慎重に、竜鉄の剣を元の場所に戻した。
「そう簡単に傷付くような柔な剣はここにはありませんから!どうぞゆっくりしてください!」
そう言われても、こんな貴重なものに囲まれてゆっくり出来るはずもない。
エニーの剣は確かに、ジークから見ても素晴らしいものばかりだ。豪奢な飾り付けのある剣もいくつもあるが、本質は飾り付けの部分ではない。
どの剣も堅実な作りをしているのに、何一つとして同じものがない。
全て一点もの。
つまり、ここにある剣は全て特殊な素材を用いた剣なのだ。
「これだけ凄い剣に囲まれて移動出来るとは、剣士としては贅沢の限りだ」
「いえいえ、ここにあるものはそれほどのものでは……」
エニーはやけに謙遜するが、家が五軒立つほどの金額だ。
誰からしたって凄いのは変わらない。
「お客さんの佩いているボロボロの剣には負けますよ。それ、"星鉄"の剣ですからね」
「星鉄!?!?」
クラウスは思わず立ち上がった。
「クラウス!?またか!?」
「それ一本で城が建つ……!」
「城!?!?」
リルは「ははは……」と渇いた笑いを溢した。
さっきから金額のスケールが大きすぎるし、何よりジークがボロボロにした、父の形見の剣が、ここにある武器全部より高値だと言うのだ。もうジークとリルの二人にはわけが分からない。
「"竜鉄"は竜を狩れば取れますけど、"星鉄"となるとそうはいきませんからね……。そんな剣をお目にかかれるとは、僕としても、とても貴重な体験です!」
「な、なあ……そもそも"星鉄"ってなんなんだ?」
ジークはエニーとクラウスに対して純粋な疑問を投げ掛けた。
「"星鉄"は、空を駆けた星が、地上へと辿り着いたものです。極東の言い伝えでは、空を駆ける星は、誰かの願いを叶えるために燃え尽きるものだと言われているのですが、それでも燃え尽きず、私たちの世界まで辿り着いたものを、私たちは"星鉄"と呼んでいるんです」
「願いを叶えるために燃える星か……」
「"星鉄"は願いを宿す鉱石で、それを打って作った剣は、持ち主の願いを宿し、それを力に変えるものだと言われています。本当のところは僕も初めて見たので分かりませんが、かなりの価値があるのは確かです」
それを聞くと、ジークはクラウスと目を合わせた。
願いを宿し、それを力に変える。
それは担い手の意思を力に変える白蓮と同じ性質だ。
「でも、あくまでそういう言い伝えがあるというだけなんだろ?実際の利点とかは何かないのか?」
「それは僕にも分かりませんね……何しろ"星鉄"は取れることすら稀ですし、それを剣に出来るほど集めて、しっかりと形にしたものなんて、話に聞いたことすらありません。僕もほんの小さな欠片しか見たことがないですから」
実際に"星鉄"を使う利点はあまりない、ということだろうか。
それならなぜそんな高価な素材を使って作ったのか分からない。
「それにしても、そんなに見事な剣を打つなんて、さぞ素晴らしい職人だったに違いありません!今はボロボロですが、僅かながら万全だった頃の面影が残っています!」
「エニー……」
ジークはエニーの言葉を遮り、自らの剣を撫でながら問うた。
「これを打ち直したら、どれくらいの値がかかる?」