コトノオコリ
目を覚ますと、心配そうに自分を覗き込む、少女の顔があった。少々幼く、あか抜けない顔立ちで、なかなかに可愛らしい。
「みのりちゃん?」
ベッドの上で、優紀は少女の名を呼び、目をしばたかせる。
「松原さん!」少女は憂いの表情を消し、セーラー服の赤いタイが飾られた胸元を押さえ、ほっとため息を落とす。「よかったあ……」
「だから、お医者も心配ないって言ってたろ」
みのりのかたわらにいた女性が、少女の頭をくしゃりと撫でた。間ノ瀬淑子。みのりの母親で、本人の弁によればアラフォーのおばちゃんとのことだが、白いカッターとスキニージーンズを着こなす体型を見るに、優紀は、彼女が自分より十歳以上も年上だとは、信じられずにいる。
「おはよう、優紀くん。具合はどうだい?」淑子は禁煙パイプをくわえた口の端を、にっと吊り上げる。
状況がよくわからない。なぜ自分は、ベッドの上にいるのだろう。いや、そもそも入院中なのだから、それは不思議でも何でもない。問題は、ベッドに入った時の記憶がないことだ。そして、この母娘は、なぜ優紀の病室にいるのか。ともあれ、不調は感じられなかったから、優紀はそう答えた。
「そっか。まあでも念のため、看護師さんを呼んでおいた方がいいかな」
淑子は、優紀の枕元に置いてあった、ナースコールを手に取りボタンを押した。わずかに間を置いて天井のスピーカーから応答があり、優紀が目覚めたことを淑子が告げると、すぐに向かう旨を返してくる。
ふと、みのりがじっと見つめていることに気付き、優紀はたずねた。「どうかした?」
みのりは首を振り、笑顔を見せた。やっぱり可愛いなあ――と、つられて微笑む。
「なあにを二人でニヤニヤしてるんだい?」淑子が横やりを入れた。
みのりは顔を赤くして、母親の脇腹を肘で突いた。負けじと淑子もやり返す。かように仲の良い母娘だが、二人の容姿はあまり似ていない。みのりは同年代の少女と比べても、ずっと小柄だ。中学二年生とのことだが、小学生と言っても疑われないだろう。対して淑子は背が高く、優紀とさほど変わりない。
じゃれあう母娘を、微笑ましく思いながら眺めていると、病室の扉が開き、担当医師が看護師を引き連れて入って来た。母娘は、あたふたと病室の隅に引っ込み、居ずまいを正す。医者は型通りの診察をくれ、それが終わると「問題ないね」と言い残し、さっさと立ち去った。
「それにしても」淑子が口を開く。「君、なんだって地下で倒れてたんだ?」
「地下?」
淑子はうなずく。「一昨日――私たちが一緒にごはんを食べた次の日のことだけど、君は病室からいなくなっていたそうなんだ。職員さんが総出で病院中を探し回っても見付からない。かと言って、外へ出た様子もない。みんなが首をひねってたところ、昨日の朝になって、地下でぶっ倒れてるところを発見されたらしい。それから君は、今の今まで眠り続けてたってわけさ」
不意に胸がざわついた。そして、堰を切ったように記憶があふれ出す。それは、どうにも奇妙な体験で、いっそ眠り続けていた間に見た夢を、実際に起こったことと勘違いしているだけのようにも思えた。
もし、見たままを、淑子やみのりに伝えたなら、きっと彼女たちは、優紀の頭がどうかしてしまったと思うだろう。お茶を濁すか、なにか適当な話をでっち上げるか――否。それは、どうにも自分の信条に沿わない。
「ちょっと、おかしなことがあったんです」
優紀は腹を決め、ありのままを語り出した。