六、逃避行
キリアムがバルドゥクの元にすっ飛んでいくや、バルドゥクと彼の副官のマクレーンは見るからに凍り付いた。
馬鹿な私でもその時点で理解した。
彼らは空の星々を肴に飲み騒ぎたいだけだったようだと。
見つめ続けるうちに、副官より先にバルドゥクの石化の魔法が解けたようだ。
動き始めたバルドゥクは、私の視線を感じたかゆっくりと私へと顔を向けた。
彼のそのしまったというあからさまな表情に、私は何となく何でも許せるような気がした。
そうだ。
人間とは不完全で間違いが多いものであるはずなのだ。
そして夫婦たるもの助け合うものであろう。
私は少しでも足手まといにならない気概は見せようと覚悟を決め、ドレスのポケットに指先を入れて飴玉サイズの小袋の存在を確認した。
中には火薬玉が入っているのだが、火薬の中には毒毛虫の針が混ぜ込んであるというものだ。
これを顔面に受けたものは失明する可能性だってあるという、とてもとても危険なものでもある。
しかし、当り前だが夫であるバルドゥクは、兵隊ではない私など端から当てにしてはいなかった。
彼は部下達を次々と呼び寄せて指示をした後に、おもむろに私に向かって来ると、座っている私を荷袋のように無造作に抱き上げたのである。
私は人形では無いと彼に抗議しようと口を開く寸前、私の後頭部に温かく湿ったものが突き当たった。
「なあに。あら、まぁ。」
地獄の馬と誰もが言いそうな程大きな黒馬が私の頭を鼻先でつついた犯人であり、その馬は猫が私にじゃれる様にして私が乗れる位置にまですいっと動いた。
黒馬の鞍にはキリアムだ。
「さぁ、姫。キリアムの後ろへ。」
嫌も何も私に言う間を与えず、私はキリアムの後ろへとバルドゥクによって鞍へ乗せ上げられたのである。
「真っ直ぐに宿屋に向かえ。護衛はフレイを付ける。さぁ、いけ。」
上官の事は私以上によく知っているキリアムは、上官の掛け声とともに馬を発進させた。
馬は野営地からぐんぐんと離れていき、私は夫に振り返るどころかキリアムの腰に必死に掴まっているだけで精いっぱいだった。
しばらくの後、この状態に慣れて余裕が出来た私は後ろに響く馬の蹄の音に気が付いた。
それがバルドゥクが言っていた護衛のフレイという者だろうと振り向けば、黒ずくめの騎手をそれぞれ乗せた馬が三頭、私達のすぐ後ろにいたのである。
「キリアム!」
「わかってます。フレイは何をしているのか。とにかく僕の腰から手は離さないで。」
敵の騎馬は私達の真後ろに一騎、あとの二騎は左右へと散開して私達の馬を挟むように並んだ。
「まずは右。」
キリアムの冷静な声と共に火薬の弾ける音がした。
右の騎兵は頭を吹き飛ばされて地面に落ちた。
「はい、次はっと。」
二連式短銃は既に左側の敵に向いていたが、短銃からはガチリと鈍い音がしただけだ。
「畜生。ジャムった。」
「きゃあ。」
撃ち落とせなかった左の騎手が、私の左肩をがしりと掴んだのだ。
ぐいっと左肩を引き寄せようとする力は強く、私に掴まれていたキリアムまでバランスを崩すほどである。
「あぁ!。」
さらに強く引き寄せられ、ついに、黒馬の馬脚までも乱れた。
「絶対に手を離さないで!」
私が手を放そうと考えた事をキリアムは知っていたかのようだった。
私は必死でキリアムにしがみつき直した。
「ぎゃあ!」
左の騎手は私を掴む右腕を矢で射られて硬直し、するとすぐさま銃の発砲音が鳴り響いた。
馬が倒れそうな体勢のまま、キリアムが続けて発砲したのだった。
その瞬間、私の左肩は軽くなり、馬は転倒するどころか発射の反動も利用したキリアムの手綱さばきでしっかりと体勢を取り戻した。
「すばらしい、って、きゃあ!」
「舌を噛みますよ。」
彼は私が彼を誉める間もなく、馬をさらに駆って速度を上げたのである。
「待ってよ!危機に駆け付けた俺に何もないのかよ!」
「遅いよ!アーニス。どうしたの、フレイは!」
キリアムの言葉に振り向けば、真後ろに迫っていた敵は、いつの間にか葦毛の馬に乗った黒髪の青年に変わっていた。
彼は私と目が合うと、金色の瞳を輝かせてニヤリと悪そうに笑った。
「報告!」
「もーう。あの素振り狂が白兵戦出来ると踏んだら来るわけないじゃん。俺はもう必死よ。間に合ったんだからさぁ、つんけん虐めないで褒めてよ。」
「来なかったフレイを射貫いていたら褒めていましたよ。」
「おお怖。そんなら自分でやってよって、あら、ここぞで愛用の二連銃がジャムっておられましたね。手入れしてんの?」
「はっ。煤払いでもう一発いこうかな。」
これ見よがしに二連銃に装填の音をガチャンとさせて後ろを振り向いたキリアムの表情は、ネコ科の獰猛なそれ、だった。
「悪い、うそ。ごめん、やめて!」
キリアムよりも年上の筈のアーニスが見るからに脅えており、その様子に私もキリアムには逆らわないようにしようと、彼の腰をぎゅうっと掴んで宿屋迄やり過ごす事に決めた。
こんな恐ろしい部下がいるのだもの。
私の覚悟何て必要ないのは当り前か。




