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四、荒野にて立ち往生 其の一

 溜息を大きく吐いたのは三回目。


 私達は宿屋に泊まるどころか、荒野のど真ん中で立ち往生する事となった。

 まるきり身を隠すものはない荒野の平原に、私とバルドゥクと彼の部下達数人が動けなくなっているのである。

 この状態となった原因は、先程迄乗っていた馬車が横転したことによる。


 突然に馬車はがくんとバランスを崩し、私はその衝撃に七歳のあの日を思い出した。


 衝撃の次には激しい痛みと暗黒、そして、痛み痛み痛み、だ。

 私はあの日の恐怖を思い出し、叫ぼうと大きく息を吸い、その行為が逆に私自身を落ち着かせることとなった。

 衝撃の後の暗黒に私は再会はしたが、痛みなどは一切無かった事に気が付いたからだ。

 意識だって飛んでもいない。

 なぜならば、私はバルドゥクに引き寄せられ、そのまま彼の腕の中にすっぽりと隠されてしまっていたのだから。


「大丈夫ですか?姫!」


 瞼を開けるとバルドゥクが私に覆いかぶさるようにしており、彼の向こう側はひしゃげた馬車の扉が見えた。

「横転したのね。あなたは大丈夫なの?団長。」

 バルドゥクは私の背を支える様にしながら上半身を起き上がらせたが、なぜか目を眇めて訝しそうに私を見つめている。


「どうされました?」


「――団長、ですか?」


「私を姫と昔の称号で呼びましたから。」

 彼はぎゅうっと目を瞑ると三秒ほど動きを止め、再び目を開けると私をじっと見返した。

「どうかなさって?」

「――お怪我はありませんか、奥様。」

「大丈夫です。あなたは如何ですか?旦那様。」


「旦那、さま、ですか?」


「奥様ですから。」


「私にはバルドゥクという名もありますが。」

「私にもセレニアという名がありますけれど。でも、あなたは私の旦那様でしょう。」


 彼はなぜか顔を真っ赤に赤らめ、右手で口元を隠すようにして顔を伏せ、私は彼の所作の不可解さに首を傾げるほかなかった。


「まぁ、本当の夫婦ではありませんから、私に旦那様と呼ばれるのはお嫌かもしれませんね。これからは伯爵様とお呼びしましょうか。」


「いや、そうじゃなくて!」


 叫ぶバルドゥクの声は私の好きな声ではなく、少々裏返っていて軽薄な響きをしていた。

 その声で叫ぶと威厳が無くなりますと注意すべきか逡巡した一瞬、天井となった馬車の扉がバタンと開いて、そこからにょきっと真っ赤な髪をした頭が生えた。


「お二方!こんな状態で何を遊んでいるのです!」


「あら、キリアム。あなたは神出鬼没ね。」


 赤髪に緑色の瞳を持つ十代のこの少年は、バルドゥクの従僕であるそうだ。

 私と彼が面識があるのは、婚礼の日までキリアムがバルドゥクの書簡や贈り物を私に届けるという役目を担っていたからだ。

 婚礼の時も彼は部屋の隅で控えており、私とバルドゥクが馬車に収まるとそのまま姿を消し、今の今まで姿を見かけなかったのである。


 まぁ、今の今まで彼の存在を忘れていたことも否めない。


 私は馬車の中ではバルドゥクの観察に夢中であり、さらに言えば私の侍女達に勝手に暇を出していたらしいのだから、自分の従僕だって暇を出しているのかもしれないと思うものであろう。


「ずっと僕は馬車の後ろを走っていましたよ。」

「あら、気が付かなかった。」

「気づかれないように護衛していましたから、馬車との間隔も多めに取っていましたからね。」

「まぁ。」

「おい、キリアム。それでどうした。何が起きた。」


 バルドゥクの言葉に生えていた頭は外に引っ込み、バルドゥクはその頭を追うように立ち上がった。

 横転してひしゃげた馬車はぐらりと大きく揺れ、私はその揺れと一緒に体が大きく揺れたが、倒れることも無く、それどころかいつの間にかバルドゥクの腕の中にいた。


 彼に抱き上げられていたのだ。


 横転した馬車の扉だったが今は天井となっている上部から私達が顔を出すと、キリアムは満面の笑みで私の方へ両腕を伸ばしながら自分の上司に応えだした。


「銃撃です。牽引していた馬二頭が撃たれました。馬車の横転はその結果ですね。はい。」

「大事に扱え。」


 私はキリアムに手渡され、彼は小柄で細い外見から想像もつかなかった安定した力強さで私を抱え、そしてそっと地面に下ろした。


「ありがとう。」

「いいえ、セレニア様の為ならば、僕は死んでもかまわない勢いですから。」


 純粋そうな笑顔を添えての言葉に嫌な気はしなかったが、これは単なるお世辞でしか無いはずであり、この整った顔立ちの少年にしか見えない彼はなかなかに如才のない男だと言える。私に会いに来る度に、私からだけでなく、私の侍女達からもお菓子や金細工をせしめていた彼だ。


「まぁ、ありがとう。でも、御者はそんな気持ちじゃないでしょう。彼は無事なの?」

 キリアムはニコッとなぜか笑い、私の後ろに立つバルドゥクは大きく舌打ちをした。


「亡くなったのね。可哀想に。」

「いいえ。馬車への襲撃を見越して御者台から飛び降りましたから、無事です。これから無事かはわかりませんけれどね。」

「大事な証人だ。死なない程度の安全は確保してやれ。」

「かしこまりました!」

 キリアムは右手を胸に当てるという簡単な敬礼をバルドゥクにすると、まるで兎のように軽い足取りでどこぞへと走っていった。


「馬車はあなたが用意したものでしょう。」

「いいえ。伯爵家の紋章と御者付きという貰い物です。」

「まぁ。では、襲撃の目印になるように馬車を与えたのですね。ふふ。」

「笑う所ですか?」

「あら、だって。馬車を横転させる目的ならば、室内を柔らかくしすぎよ。あれじゃあ誰も殺せない。なんて間抜けな人達。」


 しかし、バルドゥクは私の言葉に目は笑わずに、両の口角だけを大きく上げた。

 そこで気が付いた。

 馬車は止めるが、その目的は車内で私達を殺す事ではなく、隠すものも無いだだっ広いだけの車外へと放り出す事なのだと。


「……もしかして、目的はあなたの方?」

「そうですね。あなたは殺さずに未亡人に。そして荒野に放り出された私はこれから襲いに来る夜盗によって良い獲物となる。という算段だったのでしょう。」


 バルドゥクは言い終わるや私を引き寄せ、私に怖いかと耳元で囁いた。


「私が殺されないのであれば、怖くはないわ。」

「ひどいな。」


 彼は喉を震わせるような笑い声を立て、一層に私を抱きしめた。

 私は彼の腕から逃れようと彼を押し、しかし、彼はびくともしない。


「えぇ、酷いの。だから私を置いてお逃げなさいな。キリアムは馬で来ているのでしょう。足手纏いがいなければ、ここは簡単に逃げ切れるでしょう。ほら、早く逃げて!」


「ひどいな。」


「ひどいですか?あなたは下級兵士達の命綱では無いのですか?生き残って下さい。」


「本当に酷い人だ。」


 今度は本当に残念そうな響きがあり、彼の腕の中で私はもがくのをやめ、そっと彼の顔を見上げた。

 バルドゥクは声と裏腹に余裕そうな顔をして、目の合った私に対して軽く左目を瞑ってから微笑んで見せた。

 バルドゥクに捕まえられていなければ、私は地面に座り込んでしまっただろう。


 なんて魅力的な男なんだ。


「あなたはこんな所で死ぬべき人ではありません。」


 彼はすっと笑顔を真顔に戻すと私をぱっと手放し、君は間違っていると言った気がした。

 私は当たり前だがそのままストンと地面に座り込み、しかし、すねた様にそっぽを向いているだけの大男に大声を上げた。


「私は実を取るのです。間違ってなんかいません。」


 彼は私を見返し、今度は聞き違いでもなくはっきりと間違っていると私に言った。


「間違っていません。こちらは少数で、あちらは計画的なんですから多勢でしょう。森や林の中ならまだしも、身を隠す所のない平野では少数は囲まれたらお終いです。ここは逃げるのが正しいのでは無いのですか。」


「いいや。間違っている。君ぐらいの兵法ぐらいは学んでいて欲しかったと、昔の上官達への思いは尽きないけどね。だが、君は間違っている。」


「では、間違っている、という根拠を。」


「ははは。俺は実行だけの男だからねぇ。俺を見ていてくれとしか言えないよ。」


 私は彼に対して不満そうな顔を向けていただろう。

 彼はさらに私を苛立たせるようなニヤニヤ笑いだ。

 そんな対照的な表情の私達はしばし見つめ合い、どちらかが動くことなくにらみ合いは終了した。


 彼の従僕と精鋭達の到着だ。

 そして、今のこの状態だ。


 キリアムを入れて八人の味方が増えたとして、この戦況は好転するのだろうかと、私は四つ目の溜息を大きく吐いた。

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