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三十一、幸せのための苦難

 キリアムは先に宿屋に向かっていた部下達へと馬を走らせ、部下達が黒曜烏伯爵領にそのまま真っ直ぐ向かう事と、キリアムは戻って俺とセレニアの警護をする事までも伝えて来たそうだ。

 そしてその旨を俺に伝えるや、セシルかジーニーと交代しますと白鳩子爵家を出て行こうとした。


「待って!キリアム!君はここにいよう!君はここに残るってあいつらに言って来たんでしょう。だったらここに残ろうよ。」


「嫌です。絶対に嫌です!僕は虫が大嫌いなんです!あの男によってこの屋敷が虫屋敷になっていると聞いて、ここに残りたい馬鹿はいません。」


「だったらセシルもジーニーも来やしないぞ。」


「そんなもの、黙っていればいいじゃないですか。知って騒いだら、死ぬか生きるかの選択をさせれば絶対に従いますから、ええ、大丈夫です。」


 俺はキリアムの上着を掴む手を緩めなかったが、キリアムってこういう奴だよなと納得はしていた。

 しかし、赤ん坊の世話を手伝いたいとセレニアが言っている以上、俺はセレニアの希望を叶えたいのである。

 俺の妻となったばかりに、彼女は姫では無くなったのだ。

 それでも彼女は俺を愛していると言い、俺に幸せを与えてくれるのである。


「大体、この家の召使や家人はどこに行ったのです。僕達を呼びに来た、あの、アリアというエーデンの妹だって姿が見えない。一体どうしたのですか?」


 俺はキリアムにただただ笑顔を見せた。


 赤ん坊の為にかなり部屋を暖めたがゆえに、その部屋目指して屋敷中に散っていただろう虫が次から次へと大量に湧いているのである。

 そのことによって孫の誕生を喜ぶはずの祖父母やエーデンの弟妹達まで脅えて親戚の家に逃げ込み、召使達も全員が消えた様にしていなくなったのだ。


 この広大な屋敷に残ったのは、赤ん坊を産んだばかりで動けないエーデンと双子の赤ん坊と彼等の夫であり父であるイーオス、そして彼女達を見捨てられない俺の妻と、妻を置いていけない俺だ。


「逃げたんだよ。みんな。エーデンや子供達を置いて逃げて行ってしまった。身分違いの俺を選んだばっかりに、彼女は家族に見捨てられ、これからは坂を転がり落ちる様にどんどん不幸になっていってしまうんだな。」


「イーオス。悲観的なだけな余計なことを言うだけなら控えていてくれないかな。ほら、女房の部屋に行った、行った。」


 俺に追い払われて妻の所に行けるはずの男は悲しそうな顔を俺に向け、彼こそ妻子を捨てて逃げ出したい自分と戦っているのだと俺は理解した。

 エーデンと赤ん坊のいる部屋の床は、ゴキブリが絨毯状態にワサワサいるという、誰もが近づきたくても近づけない地獄の部屋となっているのだ。


「まあ、キリアム!戻っていらしたのね!良かった。そろそろ食事の時間でしょう。食事を作る手伝いをしていただける?」


 俺に上着を掴まれて逃げれない彼はセレニアの頼みを受けるべきか少々悩んだ様子を見せてから、にこやかに良いですよ、とセレニアに答えた。


「では、材料と小間使いを見繕ってきます。」

「まあ、それはとても助かるわ。ありがとう、キリアム。」


 俺はキリアムを手放す事しか出来ず、まあ、キリアムは約束は守るだろうが、この屋敷には二度と戻って来ないという結果を俺は受け入れた。


 大丈夫だ。


 俺は野営で虫と一緒に寝たことだって数えきれないほどあるではないか。

 長くて一か月、短くて二週間。

 俺は虫と戦いながら、妻と幸せを築いていけるはずだ。

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