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三十、呪われていた館

 俺が白鳩家に着いた時にはイーオスがエーデンのいる部屋から追い出されてしょぼんとしており、追い出される彼に投げつけられた言葉は、あと一人が出てくるまで酒でも飲んで待っていろという事だった。

 イーオスの説明からアレンは酷い奴だと思ったが、その言葉を言い放ったのがセレニアだと聞いて、俺は素直にイーオスを白鳩家の応接間に連れて行くことにした。


「っと、違った。まず、この鞄を彼に手渡さなければ。」


 俺はエーデンの処置室の扉を叩いた。

 すぐに開いた扉から蒸気と熱気がむあっと吹き出し、俺はそれらに一瞬仰け反ってしまったが、扉から顔をのぞかせた妻に見惚れることになった。

 美しい髪の毛はきっちりと結い上げられた上に真っ白なガーゼで完全に覆われており、つるっとした額は汗ばんでいるがそこが可愛らしいとキスがしたい程で、可愛らしい頬は上気して桃色だ。

 俺は美しい妻にアレンの持ち物を手渡した。


「ああ、セレニア。君は大丈夫かい?」

「ええ、大丈夫。イーオスを頼むわ。」


 バタンと扉はすぐに閉められ、鞄を受け取った妻から労いも無かった事に扉が閉まってから俺は気が付いた。

 やはり彼女には俺などどうでも良い男だったのだろうか。



「俺は娘とも引き離された。」

「え、もう生まれていたのか?」


「うん。でも、あと一人がお腹に残っているんだ。そのあと一人が逆子かもしれないって。ああ、どうしよう。あいつが死んでしまったら俺はどうしたらいいんだろう。ああ、俺の娘は小さすぎるんだ。早く生まれすぎたから、凄く、小さくて、そして、毛むくじゃらなんだよ。ああ、どうしよう。」


 俺は悲観的な物言いだけのイーオスに一瞬でウンザリし、彼らがイーオスを部屋から追い出した理由も一瞬で理解した。


「さあ、応接間に行こう。娘の名前は付けたのかい?」


「ははは。まだだ。毛むくじゃらで、小さくて、おさるさんにしか見えないんだよ。聞いてくれ!髪の毛は殆どないのに、あの子は体中が毛むくじゃらなんだよ。ああどうしよう。姫さまもあの伯爵も何も娘の異変に気づいていないが、ああどうしよう。可哀想だ、すごく可哀想だ。」


 俺はイーオスを半分、いや殆ど引っ張りながら応接間に連れて行き、適当なソファに彼を放り込んだ。

 生まれたばかりの娘の姿が異常であったのならば、彼の慟哭はいかほどのものであろうかと考えながら、適当なグラスに適当だがとても強そうな酒を注いだ。


「ほら、飲め。毛なんか剃ってしまえばいい。お前は生まれたての赤ん坊を見たのが初めてなんだろ。赤ん坊ってそんなものなんじゃないのか?みんな猿みたいだったって、生まれたあとには口をそろえて言っているじゃないか。」


「違うよ。俺は生まれたてのマックスを知っている。あの子はつるつるでピカピカだった。髪の毛も殆どなかったけれど、普通に赤ん坊だったよ。」


 マックスとは白鳩家の三人の娘の後に生まれたという待望の跡継ぎ様である。

 しかし、跡継ぎだからと甘やかすどころか、期待の跡継ぎとして厳しく教育されており、イーオスはそのマックスの家庭教師として白鳩家に雇われていたという過去がある。

 彼がマックスに教養などの勉強だけでなく、魚釣りや虫取りなどの子供の遊びも教えてしまったがために、彼はエーデンに目を付けられてエーデンの獲物になったのだろう。


「ああ、可愛いビアンカ。俺は娘の為にはなんだってする。ああ、でもあの子が不幸にしかならないとしたら、俺は彼女にどうしてあげればいいんだ。」


「君が子離れするのが一番でしょう。はい、二人目。抱いたらすぐに返してね。この子たちはしばらくあの温室で育てないと体が弱って死んでしまう。」


 アレンが小さな布の包みものをイーオスに差し出して、イーオスは涙目ながら二人目の我が子を胸に抱いた。


 確かにイーオスが先ほどから嘆いていた通り、子供の頬や腕にはみっちりと長めの体毛が生えているという異常があった。

 小さすぎて赤ん坊というには骨ばっているその子は、父親の手の中で大きくあくびをし、俺はそれだけでその子の外見など気にならなくなった。


「かわいい子じゃないか。可愛い娘だよ。」


「ああ。可愛いんだよ。ああ、可愛いよ。ああ、アイボリー、君は可愛いよ。可愛いからこそ、この子の体の毛が可哀想なんだ。」


「一月後には消えるよ。これは、お腹の中だけで生えている毛なの。月満ちた子はお母さんのお腹の中でこの毛が全部抜け落ちるものなんだよ。今回は早産だったからね、抜けずに残ったままなのは仕方が無い。」


「そんな、聞いた事が。」


「普通は無いね。普通は早すぎて生まれた子はすぐに死んでお終いだ。君のように勘違いして親に殺されている子もいるね。全く。無教養は本当に困る。」


「あなたは牛の専門家の筈でしょう。」


「人間の場合は死んだ母親相手ばかりだからね。専門を名乗りたく無いだけ。母親が死んで、遺体の腹を掻っ捌いて取り出した子達はみんなそんな感じだったよ。毛むくじゃらで、でも、しばらくするとみんなきれいな肌になった。ああそうだ。エーデンは犬並みに元気だよ。腹を掻っ捌くことなくつるんと産んだ。お陰で今度から人間の専門家も名乗れそうだ。」


 イーオスは伯爵を見上げて、それから娘を見下ろして、良かったとぽろぽろと泣き出した。


「ああ、ああ。ありがとうございます。この御恩は。」


 俺は親友のその姿に感動しており、また、親友を幸せにしてくれた男に感謝が絶えないと、イーオス同様にアレンに労いを言おうとした。

 アレンを見返した俺の目に映ったものは、アレンの後ろとなる応接間の壁に茶色の大きな虫が三匹ほど触角を動かして貼り付いている情景だった。


「イーオス!この男に感謝を捧げるな!御恩も今すぐ忘れてしまえ!」

「バルドゥク、君は一体何を、って、……あ。」


 アレンは俺達の様子からぐるっと振り返り、きゃあと嬉しそうな声を上げた。


「うわあ、生きていた。繁殖していた。凄い。ちゃんとめぐり逢っていたんだ。」

「おい、ちょっと待て。なんだそのめぐり逢いって。」


 アレンは慌てた声を出した俺に振り返ると、物凄く嬉しそうにふふっと笑った。


「あのね、小鳩の親父さんが僕に申し出を断りに来た時、僕の袖には可愛いあの子の兄弟が潜んでいたんだよ。だからね、小鳩家で迷子になったあの子が寂しくないようにって、彼のポケットに。」

「それ以上言うな。俺は今すぐあんたを殺しそうだ。」


 イーオスの低い声に、味方の兵隊を殺さない男は敵の兵隊を大量に殺せる男であることを、俺に思いださせていた。

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