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二十九、あなたがいれば大丈夫

 イーオスは生ける屍そのものだった。

 彼は妻と子の危機は全て自分の責任だと嘆いているのだ。


「あぁ、俺がもっとしっかりと君を止めていれば。つい、君の言うことを聞いてしまうんだ。俺は君の幸せを第一に考えている。そんな俺が君の願いを潰す事など出来ないだろう!」


 もう何度目かの嘆きであるが、それも仕方が無いであろう。

 エーデンは私の晴れ姿を見るのだと沿道に並び、そしてバルドゥクと馬に乗る私に気付かせようと、大声で叫んで、大きく飛び上がって、そして、破水したのだそうだ。


 だから私はそんな彼女の為にと椅子も場所も用意していたというのに、彼女は駆け落ちした身だからとその席を自分の両親に譲っていたのだ。


 確かに元侍女達への家族席が二席だけだったから、アリアの二席とエーデン夫妻の二席だけでは大家族の白鳩家には足りないとエーデンは身を引いたのかもしれないが、大船主で金持ちの白鳩家には子爵家だろうが王宮の門はいつでも開かれているのであるからして、私から白鳩家全員ご招待……無理か。


 未婚の娘三人に息子が一人というあの家を下手に招くと、仲が良い彼らのジジババどころか大オジ大オバまで参加してくるという恐怖の大家族だった。


 まあ、とにかく起きてしまった事を後悔しても仕方が無い。


 私は子供とエーデンの為に部屋をできる限り温め、早すぎて生まれる子供の為に湿度も高めにするべく暖炉ではぐらぐらとお湯が茹っている。

 清潔なシーツを何枚も用意して、お湯は一個連隊が入浴できるぐらいに湧かしてある。

 使うだろう器具や道具も手に入れられたものは煮沸消毒はしてあり、これからアレンが持ち込むだろうものへの煮沸消毒の準備も万端だ。


 そして、一番心配だった事、破水だけで陣痛が無い、という事態は避けられた。


 陣痛が来なければ腹を切って子供を取り出すという、エーデンの死が予想される手段を取らねばならなくなっていたはずなのだ。


 エーデンは時折襲いかかる陣痛にうんうんと唸っており、子宮口も開いているので、あとは彼女の体力と赤ん坊の体力にかけるしかない。

 そして、私にできることはそこまでだ。


 私はエーデンの手を握り、イーオスもエーデンの反対の手を握って、けれどイーオスは妻を宥めるどころか先程から後悔の謝罪ばかりである。

 俺が子供を作ったばっかりに、とか。

 君がこんなに苦しむのならば、二度と子供を作らない、とか。


「ひ、姫さま。お願い、私のこの馬鹿亭主を部屋から追い出して!」

「君!酷いじゃないか!いつまでも一生一緒だと誓い合っただろう!」


「だったら、二度と子供を作らないとか、馬鹿なことを騒いでいないで!ああ、痛い!ああ、首を差し出せ!その馬鹿な事しか言わない首を切り落としてやる!」


 陣痛という痛みは物凄く痛いらしく、陣痛が来るたびにエーデンはイーオス限定の首狩り族に変化する。


「あ、はあ、はあ。ごめんなさい。あなた。ああ、あなたそばにいて。あなたこそ不安なのにごめんなさいね。私はこの子を無事に産むから、だから、二度と子供を作らないなんて言わないで。」


 現金なことに、彼女は痛みが治まると、慈愛の聖女に戻るのだ。


 イーオスはエーデンの陣痛という恐ろしい痛みが繰り返されるたびに天国と地獄を味あわされており、彼の二度と子供を作らないというセリフは、二度とこんな目に遭いたくないという彼の弱音によるもののような気もする。


 ああ早くアレンが来ないかと置時計を見ると、置時計の後ろの壁に茶色くて大きなものが触角を動かしているその姿を見つけてしまった。


 私は一瞬真っ白になり、何も考えられなくなった。


 しかし体は勝手に動き、私の手はエーデンの処置用に煮沸消毒した鋏を掴み、その茶色の生き物目掛けて投げつけていたのである。


 ザシュ。


 鋏は虫を壁に貼り付けて突き刺さり、私の突然の行動にゆっくりと壁へと振り返ったイーオスが固まり、エーデンも陣痛を忘れた、いや、思いっきり力んで、第二の破水を起こしてしまった。


 しまった。

 しまったどころじゃない。

 赤ちゃんの頭が見える!


「ああ、どうしよう!」

「大丈夫。そのまま体を解放するように押し出して。」


 時間は止まるって本当だ。

 私は赤ん坊の頭がエーデンの股の間から見えたことで全ての時間の間隔を失い、気が付いたら小さな赤ん坊を手の平に受けていた。

 赤ん坊のへその緒は固まっている私ではなく、私の後ろから伸びて来た大きくてしなやかな手によって処置をされて、母親から完全に引き離されてしまった。

 赤ん坊はおんぎゃあと、大きくはない泣き声を出し、私はアレンに促されるまま赤ん坊を入浴させてガーゼでグルグルに巻くと父親の手に抱かせてやった。


「ああ、ありがとうございます。俺の子供を、ああ、俺の娘だ。ああ、元気な俺の娘だ。エーデンありがとう。君は大丈夫か、ゆっくり休んで。」


 疲れで目を閉じたエーデンにイーオスは優しい言葉を掛けたが、アレンという伯爵はエーデンの頬をパシッと叩いた。


「はい、寝ない。あと一人頑張ろう!」

「え、あと一人?」


「そう。双子だね。あと一人もすんなりいい子に出てきてくれるといいけどね。さぁ、お母さん、もうちょっと頑張ろうか。」


 赤ん坊を抱いたイーオスは、再びの地獄の到来を知って、真っ青に脅えた顔となった。

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