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三、芋虫を乗せて馬車は荒野を走る

 バルドゥクが授けられた伯爵位は、王家に返上されていた黒曜烏伯爵であった。


 なんと私の母の実家である。

 実家と言っても母はただの紳士階級の男の娘でしかなく、美貌の母が王の側室に上がる際に、母の父が王より空席だった黒曜烏伯爵家を与えられたのである。

 そんな黒曜烏伯爵家が再び空席となって王家に返上されていた理由は、母の親族の度重なる死によるものだ。


 母には弟がいたが、彼は伯爵家を盛り立てるどころか十二歳で落馬で死亡し、跡継ぎの死に嘆き悲しんで領地に引きこもった伯爵夫妻は流感でそのまま亡くなり、伯爵の称号を引き継いだ従兄達は、事故死に病死と悉く死に絶えた。

 馬車の車窓を流れる荒野にも似た景色は、潰えた伯爵家を示唆しているようでもあり、私の未来の様でもあるような気がした。


「私だけの人生では無いわね。」


 私の呟きは、向かいに座る男に聞こえてしまったようだ。

 彼は気怠そうな素振りで、ゆっくりと私の方へ顔を向けた。

 人目を避けるために真夜中に王宮を出発したからか、彼は馬車に乗り込むやすぐに毛布を体に巻き付け、そしてそのままずっと今まで芋虫状態で眠っていたのである。


 私に起こされて眠そうだが、彼の顔は毛布から半分も出ていない。

 しかし、毛布の隙間から出ている形の良い右眉がくいっと上がり、まるで私に続きを話せと言っているようであった。


「あなたはなんと縁起でもない爵位を押し付けられたのでしょう。真っ黒なカラスが墓を呼び寄せると、有名な呪われた伯爵位じゃないですか。」

「黒曜烏伯爵家は、あなたの母君の実家でしょうに。」


 私は彼の笑いを含んだ声にびくりとした。

 私は彼の見事な声に震えてしまったのだ。


 団長という立場から想像できる通り、低い声は体の大きな男である事を証明しているが、彼の声は音楽のような響きをも持っているのである。


「奥様?」


「え、ええ。そうね。でも、私の母が王の側室となった時に、ただの紳士階級でしかなかった父もその伯爵家を押し付けられたのよ。たった三年間だけの伯爵様。黒曜烏伯爵位は、由緒正しいけれど誰も欲しがらない呪われた爵位だと有名では無いですか。あなたはそんなものを押し付けられて可哀想ね。」


「押し付けられたなんて言わずに、奪い取ったと称賛してほしいものです。」


 得意そうな表情を作って見せた男に、私は少々呆けてしまった。

 親友が何度も男は出自では無いと、手紙に繰り返し書いてきた理由を私は彼に会ったその時に理解したではないかと自分で自分を叱責した。


 バルドゥクに下卑た所など一片も無い。

 それどころか、神の御使いである名前通りに神々しくもあるのだ。


 服を脱いだ姿を知らないが、きっと、彼の肉体は貴族の家の噴水や図書館に飾られているような男神象のような優美なものに違いないと確信している。

 まぁ、私の勝手な想像だが。

 想像しかしていないのは、私は彼とまだ本当の夫婦になっていないからに他ならない。

 いや、式は挙げたのだから夫婦であるが、夫婦となった後に行われる繁殖行為についてはまだ、という事だ。恥ずかしながら。



 さて、私達の婚礼の儀は、真夜中の王宮の片隅でひっそりと行われた。

 先祖代々の礼拝堂でもなく、貴賓室でもなく、書記官が他国の使いと会合をする間に、観客どころか飾りもない状態で神官を呼んだだけ、という実務的なものだった。

 私の父であるはずのアルハザード王は立ち会わず、私をバルドゥクに引き渡したのは王の従僕の一人であるエバンズであった。


 まぁ、神官を前に変な背もたれのある椅子に座ったままの私の隣に立ち、バルドゥクにその位置を譲っただけという、最初からいなくても変わらない程度なので引き渡したとは言い難いが。


 このような扱い、実の娘に対してなんと薄情と憤るべきかもしれないが、私はそれほど父には期待などしていないので大したことでは無い。

 ただし、自分のこのもの悲しい婚礼に対し、親身に世話をしてくれていた侍女達に可哀想だと泣かれていた事を知り、そこが私には一番辛かった。



 寒々とした儀式は勝手に進み、いつの間にか最後の誓いの言葉へと移っていた。

 コンスタンティス正教国などと我が国は名乗っているが、宗教国家ではなく、戦争で領土を広げてきたからこそ「正しい」というものに拘っている。

 それでも人には神様が必要なのは真実で、この国では三位一体神が祭られており、それらはそれぞれ、国土を豊かにする豊穣神マグダ、全ての癒しとなる治癒神ラグ―そして、すべての理を司り人間を裁く司法神セーレというものだ。

 結婚式は人の理を次代へと続けていくということから、夫婦となるには司法神セーレに誓うのがこの国の結婚式である。

約束を破ると罰を与える神でもあるのだから、この神にした誓いは絶対とも考えられてもいる。

 つまり、離婚は許さないって事だ。


「汝はこの女、セレニアを妻とし、一生の真心を捧げると司法神セーレに誓い」

「誓います。」


 バルドゥクは神官の言葉を遮るほどの勢いで誓いの言葉を発し、私は彼こそこの茶番から逃げ出したいのではないかと彼を見上げた。

 するとバルドゥクは、なんだか悲しそうな目で私を見下ろしていた。


「あなたはこの結婚がやはり辛いのね?」

「姫様こそ、取りやめたいのでは?」

「え?どうしてそうお考えになるの?」


「誓いの言葉。」


 私が神官を見返すと、彼は私に何度も問いかけをしたのに、というような顔をしていた。

 わたしは取りあえずこの数十秒間は全く存在しないことにして、少し傲慢な風に神官に言葉を促した。

 初めて会った男の一挙手一投足が気になって仕方が無いなどと、あえて言い訳をする必要などない。


「どうぞ、わたくしに誓いの言葉を。」


「……では、汝セレニアは、この男バルドゥクに一生の真心を捧げると司法神セーレに誓いますか?」

「誓います。」 


 誓いの言葉を返したはいいが、この次にあるのは誓いのキスだった。

 私はキスなどというものは、実は未だかってした事が無い。

 人に囲まれていた美貌時代においては、私の挙動一つで嫁ぎ先が決まってしまうからと人形のように微笑んでいただけであるし、いまや、侍女しか周りにいない。


 どうしようと再びバルドゥクを見上げたが、彼は横にいなかった。


「姫様。」

「ひゃっ。」

 なんと、バルドゥクは身をかがめ、なんと私の前に跪いていたのだ。


「い、嫌だったら、そこは省略しても構わないわよ。」


 王女が出した声としては裏返った甲高い声で、とてもはしたないものであっただろう。

 実際、私に跪いてキスの前の慣例の結婚のための口上を述べようとしていた男は口をぽかんと開け、言ってしまった私の身の置き所が無くなるぐらい見つめ続けていたのだから。 

 バルドゥクは黒に近い焦げ茶色の髪に焦げ茶色の瞳を持ち、肌は日に焼けているが滑らかだ。

 私の言葉に驚いて目を見開いた顔は、悪戯盛りの健康そうな少年の様でもあった。


 いや、彼は演技者なのだろう。

 初めて見た姫様が醜くとも、彼は一瞬たりとも表情を変えなかったのだ。足が無いと有名でも、右の頬にまで大きな痣があるなどとは聞いてはいなかったはずだ。

 私はどんなに飾り立てても醜く、政略結婚などの道具にも使えない粗悪品なのである。


「気味の悪い顔でしょう。いいのよ。私は王宮の粗悪品ですもの。」


 彼は開けていた口を閉じてフフッと笑うと、ゆっくりと男らしい口元の口角を上げた。

 どこが野獣なのか。

 治癒神ラグ―の御使いが金色の狼であるから、彼はそう呼ばれているだけに違いない。

 意志の強そうな顎や、理知的な秀でた額に真っ直ぐな鼻筋。

 私はこんなに魅力的な男を見たことは無い。

 今度は私の口が開きかけ、間抜けな顔になり始めた。

 なり始めで終われたのは、バルドゥクが背筋をびくりとさせる低い声を出したからだ。


「親愛なるセレニア様。私は完璧なあなたを完璧に自分の物にしたいのです。」


 彼は私に右手を差し出し、私は彼の大きな手の平に自分の右手を乗せた。するとグイっと私は彼に引き寄せられ、彼の方へ前かがみになった私の右頬に彼の温かい唇が触れた。



 私達のキスによって婚礼の儀は完了し、彼は有無を言わさない勢いで私を抱き上げて運んだが、運んだ先は寝所ではなくこの馬車だ。

 私は馬車に放り込むように乗せ上げられ、そして、それからずっと伯爵領を目指してひたすら走る馬車の中に二人きりなのである。


 私は再び向かいに座る名ばかりの夫を見つめた。

 彼はようやく毛布から自分自身を取り出すと、焦げ茶色の瞳を煌かせて私を見返した。

 いえ、煌かせては余計だ。

 私は人を喜ばせる外見では無い筈なのだから。


「どうかしましたか?足が痛くなりましたか?」

「いいえ。痛くなるような足など持っておりませんから。」


 バルドゥクは笑っていいのか困った顔を見せ、私がそんな彼から目をそらして窓の風景を眺め始めると、彼は再び毛布にもぞもぞと包まって芋虫に戻ってしまった。

 芋虫から自分自身を罵っているような小声が聞こえた気がするのは空耳だろうか。

 私も芋虫に倣って座面に身を沈めたが、最高級の馬車の座面は揺れまでも吸収するほどのクッション性が高く、いや、柔らかすぎて落ち着かない程である。


「宿まであと二時もあります。気分転換に少し馬車を止めましょうか?」

 眠れないと吐いた私の溜息が、芋虫にも聞こえたのだろうか。


「いいえ、大丈夫です。宿では先に王宮を出発した侍女達が待っているのでしょう。」

「――暇を出しました。」


 私はバルドゥクの返答に呆気にとられたと言ってよい。

 一瞬言葉を失ったのだ。


「ええ!誰も宿で待っていないのですか?私の世話は誰がするのです。」

 芋虫は答えるどころか、私から顔を逸らすように横にごろりと向きを変えた。


「あなた、どうされました?どうされるのです?」

「……します。」


「はい?」


「私が世話をします。夫ですから。」


「……あなたは女性の服の整え方をご存じなの?髪の結い方も?男の人にはわからない女の道具や習慣の、えっと、そういった物を用意する下働きの召使や小間使いをあなたが手配してくださるの?」

 芋虫があぁと小さく叫んだ気がするが、またしても無言となった。


「あなた?」


「――小間使いはすぐに手配します。勝手をしてすいませんでした。」

 芋虫は哀れなくらいなぼそぼそ声で私に謝り、私はこの巨大な芋虫が私の手のひらサイズぐらいに小さくなってしまった錯覚に陥った程だ。

 芋虫から自分自身を罵る小声が、まるで念仏のように絶え間なく漏れてもいるのだ。


 実は彼が私を世話すると言った時には、なんだかほわっと気持ちが華やいでもいたのである。

 こんな真摯な人間を落ち込ませたままでは、妻として間違っているのではないのだろうか。

 そう、結婚したのだから真心を捧げるものでは無いか。

 世話をすると、彼が私に真心を捧げようとしていたのだから。


「やっぱり、侍女はいらないわ。」


 芋虫はピタリと動きを止め、もそもそと上半身だけ脱皮した。

 毛布から再び顔を出した彼は湿気で少々寄れていて、大人の男というよりは寝起きの子供の様でもある。そんな彼は子供が母親の言葉を待つようにこの私の次の言葉を待っているのか、なんとも真っ直ぐな目で見返してくるでは無いか。


 なんて深くてこってりとした色合いをした、澄んだ焦げ茶色の瞳なのだろうか。


「ねぇ、あなた。あなたはお買い物は出来まして。」

「もちろん出来ます。が、女物の品物は、やはり、自分では。」


「ち、違います。あ、あのですね。私は人に手配させるだけで、お店でお買い物をしたことが無いの。だから、もう王女では無いのだし、侍女に頼らずに必要なものを自分で買うという事を覚えるのもいいのかもしれないかなって。買い物の仕方を教えて頂くのもいいかなって。ねぇ、いかがかしら。」


 彼はあぁと絞り出すような声を出すと両手で自分の顔を覆い、こちら迄気分が悪くなるほどの暗い声で、先ほどよりももっと自分の死を望むような念仏を唱えだした。



 男が皆こんな訳の分からない生き物だとしたら、二年も結婚生活を続けられる親友はとても偉いのではないだろうか。

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