二十六、式の後は逃避行
私たちは晩餐会などはすっとばし、逃げ出すようにして王都を飛び出した。
強盗のように私は母の形見の品と持参金を宝物庫から引き出したのだ。
これは逃げねばいけないだろう。
ただし、バルドゥクの馬はとても足が遅かった。
そこで比べ物にならないほどの駿馬を駆る彼の団員達が団長である彼の先を駆け抜けていったが、それこそ団長の為の露払いのように街路の聴衆たちには見えた事だろう。
私は全ての人達に認められた夫となった彼にしがみつき、彼は左腕で私を絶対に落とさないという意思を込めてがっちりと抱きしめ、置いて行かれたのではなくわざと間を取ったのだという風に悠々と馬を御していた。
白地に黒ぶちという柄だけでなく、他の団員の馬と比べると体は大柄でも足は太く胴体もがっしりしすぎているというみっともない馬でもあるが、この馬はとても賢く、バルドゥクの口笛のようにした合図だけで彼の手足のごとく動くのには驚かされていた。
まあ、時々バルドゥクが馬の身体を優しく撫でたりもしているのだから、何でも言うことを聞きたくなるのは当たり前か。
私も早く撫でられたいと思うような……あら、はしたない。
「セレニア、顔が赤い。馬車の方が良かったですか?」
「い、いいえ。なんでもない。はしたない事を考えてしまっただけ。」
まぁ、はしたないの一言で通じてしまったようだわ。
彼は頬をかっと赤らめたのだ。
「ふふ。あなたは痣がある子が大好きね。」
「違う。この子はどんな戦場でも尻込みしない勇敢な子なんだ。」
「あら、わたしくしに痣が無いって知ってがっかりなさった癖に。」
彼は妖精の印だったから、と呟いた。
「妖精の、しるし?」
彼は完全に真っ赤になると、馬にかけるにはもったいなさすぎる程のいい声を出して、馬の足を少しだけ早めた。
「あなたの声は本当にいい声ね。低くて深くて、何年も熟成させたお酒みたい。」
すると彼は喉を振るわせて笑い声を立て、あぁなんて素晴らしい声なんだと私を再びにうっとりとさせた。
私が彼の胸板に体を全部預けてしまいたくなるほどに。
違う。
馬に乗せ上げられてから、私は彼の体の中にすっぽりと納まりたかったのだ。
「姫。」
「何でしょう。団長様。」
「どうして、団長様ですか。」
「私を昔の敬称で呼びましたから。」
「すいません。俺はあなたを初めて見た時に、天使か妖精の姫君だと思い込んでしまいましたから。つい、あなたを姫と呼んでしまうのです。」
「ふふ。それって、もしかして二年前の修道院の庭の事かしら。あの時の私は老婆の扮装の後だったから、顔じゅうが茶色の痣模様ばかりだったでしょう。」
「そうですね。ですが、それが人で無いものの証に見えました。俺はあなたが貴すぎてあなたにお礼を言うことも出来なかった。」
私はバルドゥクの胸の中でうふふと笑った。
「それで良くてよ。あの日にあなたからお礼を言われてしまったら、きっとそこで私達の物語はお終いだった気がするもの。芋虫みたいなあなたや、敵襲があるそこで馬の丸焼きを作ろうとするあなたに出会えなかったかもしれない。」
私はグイっと彼の腕に引かれて彼の胸から剥がされた。
どうしたの、と見上げると、バルドゥクは承服しかねるって顔だ。
「どうなさったの?バルドゥク様?」
「あなたは俺が間抜けだったから愛してくれたのですか?」
笑ってはいけないと私は堪えた。
どうして彼はこんなにもまっすぐな子供のような所があるのだろう。
「いいえ。私は男が怖かった。だから美しさを隠すために痣をつけていたの。あなたは私を脅えさせまいと色々と心遣いをしてくれた。私はあなたの真心がとてもとても嬉しかったの。」
彼は私の告白にほっとした顔もしたが、少し寂しそうな顔もした。
けれど、再び私を自分の胸に押し付けた。
文句はなく嬉しいだけだと、私は彼の成すがままだ。
「緑ケ原伯爵への恋心は良いのですか?」
「ふぇ?」
あぁ、貴婦人が絶対出さないだろう声を出してしまった。
「え、ええと。あなたは何をおっしゃっているのかしら?」
「緑ケ原伯爵です。あなた方は何年も親交があったのでしょう。」
「そうね。彼が、ええと、ううんと、夫かぁ。」
私は本気で考えこんでいた。
確かに私はアレンを美しい男で、見境が無い所がとっても危険で恐ろしく、だからこそ頼りになるかもしれないとは思うが、夫とするにはどうなのだろう。
「バルドゥク様。あなたは自分が女性だったらアレンに恋をしたのかしら?」
彼の返答は素早かった。
すいません、ありえません、だ。
しかし、先程の自分の言葉を失言だと後悔まで見せた。
二重の目元はただでさえ彫りが深いのに更なる影を帯び、焦げ茶色の瞳はがっかりとした悲しさを見せ、品の良い口元はきゅっと閉じられてしまったのだ。
厚ぼったくも薄すぎもしない唇はなんて形が良いのであろうか。
「あぁ、あなたって本当に美しいのね。」
ぐふ。
あら、彼から変な音が漏れた。
そして物凄く真っ赤に茹ってしまうと、私を再び胸元から引き剥がして、私を食い入るようにして見つめ始めたのである。
「あなた?」
「あ、あの、あなたは、俺が美しいと?」
「えぇ。あなたに初めて会った時から、私はあなたから目が離せないの。」
私はまたもや彼の身体に押し付けられ、そして、今度は彼の両腕で私は彼にぎゅうと抱きしめられてしまったのだ。
「あぁ。俺はあなたに一目で恋に落ちてあなたを夢想し、本物のあなたを知るたびに愛している。こうして腕に抱くだけでも幸せなのに、あなたは俺を俺を。」
「愛しているわ。」
私は彼に顔を上向けて目を瞑った。
式の時は手の甲へのキスだった。
今度こそ唇にあなたのキスが欲しい。
「お二方、馬を急がせてください。老婆心から申し上げますと、ここで時間をつぶすよりも宿屋に急いだほうがよろしいですよ。」
バルドゥクは殺気の籠った舌打ちをすると、再び馬を駆り立てた。
「え、一番年下のキリアムが老婆心?」
「本人に言ってみますか?俺は言えません。」
私は返事はせずに夫の温かい胸板に潜り込むことにした。
「臆病者。」
「あなたこそ。」




