二十二、哀れな伯爵とやら
「お初にお目にかかります。姫様。」
両目に好色をわかりすぎる程浮かべて挨拶に来た男は、私に対してとても馴れ馴れしく、しかし、私とアレンとの仲は良く知らないようだった。
「そうね。あなたと私は最近はお手紙だけの間柄ですものね。はじめまして。」
はうっと、金髪頭は目に見えて言葉に詰まった。
もう面倒だから適当な食べ物か飲み物を目の前に男にかけて、この偽物と罵倒してしまいたい気持ちで一杯だ。
けれど、敬愛する彼の名を騙ったのだから、それなりの罰を受けさせてやりたい。
「姫様、注文の品をお持ちしました。」
歌うような話し方をする男は、まるで歌劇の主役のように現れ、いつのまにか会場全員の注目迄浴びている。
金糸銀糸で紡がれたシルクサテンに蔦模様の青緑系のビーズ刺繍までも施してあるという、常人は決して袖も通せないど派手なドレススーツを着こなせるのは、世界を探してもきっとこの男しかいないだろう。
かわいそうに、偽物は私の考える以上の罰を本人によって受けることになったらしい。
「何ですか、初めて……です。あんな、綺麗な男の人がいるなんて。」
アリアのため息交じりの声が聞こえた。
金と赤と茶色が絶妙に混ざった髪色は何色なのか一言で言えないが、シャンデリアの光をさらに高めようとするほどにキラキラと輝いている様は、確かに美しいの一言だ。
悪魔の様に整った顔には、緑の混じった金色の目が怪しく光る。
「わぁ、近づいてきますよ、あの方がって、……ひい!」
アリアが悲鳴を上げるのは当たり前だ。
彼が右手に捧げ持つものは、誰もが目を逸らしたくなる白アリでぎっしりの樹皮だった。
もうそれだけで、会場の人達が恐怖で固まってしまったのは見事と言うべきか。
会場を恐怖に落とした男はそれはもうとろけるような笑顔を顔に浮かべると、私の目の前にいた緑ケ原伯爵とやらに非情な罰を宣告した。
「はじめまして、緑ケ原伯爵様、とやら。あなたの好物をお持ちしましたよ。さあさあ、とくとご賞味あれ。」
アレンは近くにあった酒をさっと白アリに振ると、卓上の蝋燭でそこに火をつけた。
青白く大きな炎は白アリ達をフランベし、香ばしい匂いを辺りに広がらせた。
「な、なにを。君は頭がおかしいのか。」
「あれ?緑ケ原伯爵の好物は、虫、ですけれどね。虫は栄養価が高く、今後の食糧難にも耐え得るという素晴らしい食材です。イナゴの害で嘆く必要はありません。イナゴを食べればいいのです。伯爵はそうおっしゃったじゃないですか!」
確かにあなたはそうおっしゃいましたね。
「ば、ばかばかしい。戯れもほどほどに――。」
名も知らない偽物はいつの間にかバルドゥクに拘束され、哀れなことにいつの間にか用意されていた椅子に無理矢理座らされた。
「おい、お前は本当は何者だ。」
「こら、君、水を差さないの。煩くするならバッタを捕まえてきなさい。さて緑ケ原伯爵さま、とやら。せっかく座られたのならば、僕の料理を食べてくださいよ。」
アレンはサーブ用の大きめのスプーンでシロアリを掬い、とても嬉しそうに偽物伯爵の口元にそれを差し出した。
当たり前だが偽物伯爵は口を堅く閉じ、バルドゥクに拘束されて動けないながらも必死にスプーンの恐怖から逃げようとしていた。
「バッタ君、鼻を塞いで。」
「お前はそんなに虫を喰わせたいのか!」
叫んだのは偽物伯爵ではなく、私の人の好い夫だった。
「いや、普通においしいからね。世界が変わるよ。虫が食べられるようになったらね、生存率が伸びるから。これほんと、試してみようよ。セレニアなんか、そんな世界が来たら自分が見本を見せねばならないからと、ちゃーんと食べて見せたんだからね。」
周囲の人の目線が痛いが、王族は臣民の見本にならなければならない、なんて言われれば、王族の端くれを自負している者が口にしないで済ませられる訳は無いのだ。
「セレニアの話は本当か。」
「本当。僕はその日から姫様の信奉者だよ。」
バルドゥクはアレンのスプーンに齧り付こうとし、しかしアレンはバルドゥクからスプーンをすっと遠ざけた。
「おい。」
「だってこの簡易な料理法は初めてだからね、危険でしょう。虫には怖い病気を持っているモノもいるのだから。さぁ、まず実験だ。その実験用鼠の鼻を塞いで。」
「ひいいいいい!もう許してくれ!頼む!放してくれ、ぐふ。」
可哀想に。
叫んだばっかりに彼はスプーンを口に押し込められてしまったのだ。
偽物伯爵はスプーンを咥えたまま、器用にも泡を吹いて気絶した。
「おい、こいつは大丈夫なのか。」
「さぁ、実験だもの。結果を待とう。」
「悪魔です。悪魔がいます。姫様逃げましょう。」
「そうね、アリアは逃げた方が良いかもね。彼は世界に虫食を広めることに生きがいを感じているから。捕まえられたら試食はさせられるかもね。」
私の声は少し大きかったかもしれない。
会場の人々は悲鳴を上げながら、まるで蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。




