二十一、野良犬は庭で虫と戯れるしかない
セレニアは俺が指さした緑ケ原伯爵をチラリと見ると、俺の耳に口元を寄せ、それだけで頭が真っ白になった俺に信じられない命令を囁いた。
「庭でバッタを捕まえてきて。」
これは俺を追い払う命令だと俺は了解し、すごすごとバルコニーから庭に出た。
そして、よせばいいのに、バッタを命令通りに探し始めたのである。
失恋した男は自分の頭で考えられなくなるものだから、俺は姫の言うとおりにバッタを捕まえる事で自分を慰めるしかないではないか。
パーティ会場をバッタ地獄に変えてしまえるほどに庭中のバッタを捕まえてやろうと、俺の心にはそんな強い目的も芽生え、そのうちに俺は必死になってバッタを探していた。
「どうしてバッタが一匹もいないんだ!」
「季節じゃないからでしょう。」
俺の叫びに間髪入れずに答えた間延びした歌うような話し方をする男の声に振り向けば、キリアムを大人にしたかのような猫の大将が俺に微笑んでいた。
キリアムが赤猫の王子様ならば、彼は金色に輝く猫の王様だろうか。
「どなたですか?」
「うーん。誰だろう。僕は僕じゃないらしいから。」
「そうですか。俺はバッタを捕まえなければなりませんので。」
「だから、まだ季節じゃないって。で、君はいない筈のバッタ探しといういじめを受けているの。可哀想に。そんな体格ならば馬鹿なお坊ちゃんくらい威圧できそうだけどね。気が弱いの?それとも、くだらない階級信奉者で、自分より上の階級のボンの言いなりなの?」
金色に緑が混ざった不思議な瞳を輝かせる男は、今の俺の状態でなければ俺に殴られているだろう事が理解できないのであろうか。
確実に俺よりも、否、猫のような立ち居振る舞いで細く優美に見えるが、目の前の男は俺と同じぐらいの強靭な肉体を持っていた。
俺が殴りかかってもいなせると見越しての嫌がらせか。
「すいません。俺を言いなりにしているのはあの人です。俺はあの人の為なら死んでもいいと考えていますのでね。笑いたければ笑ってください。」
明るいパーティ会場にいる美しい妻を指さすと、男は咽る様な笑いの発作に襲われた。
いまこの男を殺ったら、ただ笑い死んだだけ、とならないだろうか。
俺は頭の中で目の前の男を三回殺し、再びバッタの捕獲をするべく踵を返した。
「アリは意外とおいしいんだよ。アリだったら簡単に手に入るかなぁ。」
「何を。」
振り向くと男は適当な木にナイフを入れているところで、驚く俺など我関せずにべりっと音をさせて樹皮を一気に剥いだ。
「うーん、見立て通り。白アリは鉄分とタンパク質が豊富なんだよね。」
樹皮の裏は見たくも無い白い虫でぎっしりだった。
「どうするんですか、それを。」
「フランベしたらおいしいかもね。」
「え?」
「セレニアの注文はコレでしょう。僕の幽霊へのごちそうだ。」
「あぁ。」
俺は一瞬で理解した。
いや、ようやく理解したと言うべきか。
彼が緑ケ原伯爵で、セレニアの本当の想い人なのだと。




