十七、野良犬は地面に伏す
下民は犬のように死ぬのがこの世の理なのかもしれない。
伯爵家に暇を告げた俺は議事堂に向かったはずだが、なぜか俺は石畳の上に倒れている。
あのワインだとはっきりと認識し、あの男は本気でセレニアを手にするつもりだったのだと俺はようやく悟った。
セレニアに興味がないなどと大嘘であり、セレニアに対する蔑みは俺にワインを飲ませるための方便でしかなかったのだ。
「はは。死ぬのか、俺は。ここで死んで、でも、セレニアは好いた男と一緒になれるのなら、俺の死は無駄じゃない……か。」
目を瞑ると、俺が天国だと思う過去の映像が甦った。
噴水からはとめどなく水が流れ、そこかしこに虹を作っている。
真っ白な花は咲き乱れ、白い少女は花の精のように緑色の絨毯に埋もれている。
天使のように清純な彼女は、月の光のような金色の髪に、青紫色の瞳をしていた。
白い肌には茶色の痣がぽつぽつと残り、大陸のような大きな痣も右頬にあるが、それこそ彼女が人ならざる者であることを示す刺青にも見えるのだ。
生まれて初めて見たと感激した、完璧で神々しい世界。
俺が彼女に返事が出来なかったのは、俺が汚れているからだ。
あの素晴らしき光景を、俺の生きざまで汚してはいけない。
親も知らず、物心がついた頃には奴隷でしかなかった名も無き俺は、農奴である生活から逃げ出す時に俺を守って身代わりに死んだ、領主の飼い犬の名前を名乗っているという、実に人間以下の存在だ。
人ではなく、領主の犬に守られ育てられたなどと、俺は犬畜生そのものなのだ。
だから俺は砦を落としても、一向に王宮に向かわなかった。
そんな俺に、あのエーデンは何と叱りつけてきたっけ?
「犬畜生にも劣る事しか出来ない人間よりも、人間であろうとする獣の方が百倍素敵よ。バル、あなたは黙って私の大事なお姫様を奪ってきなさい。」
「はは。いえす、まむ。……、畜生。俺が死んだら……、セレ……ニアは、人殺しの女房に……なる、じゃねぇか。結局人殺しとしか一緒になれねぇんだったら、俺の方が良い筈だ。毒なんて……はぁ、卑怯な手を使う……はぁ、あいつに、指、一本たりとも、触らせ……るか。」
俺は両腕に力を籠め、砂袋になったも同然の上体をなんとか持ち上げた。
そして、そこで俺を見下している部下と目が合った。
その栗色の髪をした青年は気怠そうにしゃがみ込むと、嫌になるくらいに俺の顔を覗き込んで来た。
「団長、何をやってんですか。」
どうして、こんな状態の時の助けがセシルなのだろう。
「みりゃわかるじゃん、毒を盛られたっぽいの。団長ったら何をやってんですか。」
俺の足元に立っているらしく姿は見えないが、口調からしてアーニスだろう。
仲の悪いセシルとアーニスが一緒に行動すること自体驚きだが、こいつらが一緒に行動するというこの現状は、実は俺が既に死んでいる悪夢のような気がしてきた。
「もう、どうすんの。死んだら殺しますからね。拷問しますよ。火にあぶりますよ。」
セシルはいつもの軽口をたたきながら俺を引き起こし、俺を抱き上げようとし始めた。
「それじゃ、団長の腰が折れるって。お前の抱き起し方って、すでに虐待じゃん。」
「煩いよ。お前もちゃんと持てよ。」
「お前のやり方が最初からおかしいからうまくできないんじゃん。わかってんの。」
「……いいから、早く介抱しろ。」
俺の意識はここでお終い。




