一、バッタとイナゴは違うらしい
私は七歳となった年に右足を失った。
これは私が引き起こした結果だ。
私は国一番の美しい王女だと評判で、七歳にしてそのことを身に染みて知っており、その栄華の中で他者を足蹴にする事にちっとも心が痛まない子供だった。
だってそうだろう。
コンスタンティス正教国の公爵や侯爵の子息はもとより、他国の王族にまで私が欲しいと望まれ、私の部屋は豪勢な貢ぎ物で溢れ、毎日のように私に謁見を求める行列が王宮に出来たものだったのである。
傲慢にこの世の春を謳歌していたある日のある時、私は誰もが私の言いなりだというくだらない万能感を達成するべく、それほど行きたくはない湖へ行きたいと癇癪を起した。
姫を宥めるためには召使達は雨上がりのぬかるんだ危険な道に馬車を無理に走らせるしかなく、当たり前の結果として馬車は横転し、私は右足を失ったのである。
他者を踏みつけにしていた子供がその足を失うなど、なんという皮肉だろう。
時は流れて、もうすぐ九歳になろうとする頃、私は王都で開かれた万博に参加していた。
王女として開催のゲストに招かれたのではない。
それは開催初日に、私の一つ下の美しきセシリアが担当している。
私はただのお忍びだ。
そして、自分で移動できない車椅子の私は、無意味な大きな機械が陳列されていたブースのど真ん中に一人で取り残されていた。
目の前の機械は色々な場所から絶えず蒸気を吹き出し、そして、どこにも走るわけはないのにぐるぐると車輪らしきものを回している、というものだ。
私のように。
侍女はどこに行ったのかと言えば、久しぶりの王宮外だと各々が思い思いに万博巡りに散っている。
私はいらない姫でも陳列ブースの一つぐらい貸し切りにできる力はまだ持っており、一番人気の無い陳列ブースを選んでそこを半日貸し切りにしてある。
陳列ブースの戸口には、私専用の警備兵も立っているのだ。
だから、私一人でも安全だ。
寂しくはない。
私が侍女達に提案した事でもあるのだ。
私こそ万博に興味があったが、私は足が片方無いだけでなく、事故の後遺症で体中に茶色の染みがある。
人目に付きたくはないが私も万博の空気を感じたかったし、それに、このような祭りでこのように侍女達に一時のお遊びを与えることで、この醜くなった私に対して彼女達はひたすら優しく思いやってもくれるとの打算を子供ながらにしていたのだ。
私の馬車の事故から寝付くようになった母は、私に会うともっと具合が悪くなる。
父は私を目に入れないようにし、私ではない姫君達を可愛がるようになった。
歩けない私には、世話をしてくれる者が必要なのだ。
私はふうっと子供らしくないため息を吐き出すと、無意味に装飾された扇のような形の背もたれに深く寄りかかった。
「うわぉ、僕のブースにお客さんがいるよ!」
私は若い男性の素っ頓狂な声に驚いた。
驚いて、大きな背もたれの中で身を捩り、声の主を探した。
「きゃあ。」
私の横には、触角のついた大きなバッタが立っていたのである。
まぁ、バッタのマスクを被り、金属のような色合いの緑色のベストとズボンを着用した男性であったが、私にはただただ強烈で気味の悪い人物でしかない。
「け、けいびへい。警護のものは、どうした!お前はどうしてここにいる。ここはわたくしの貸しきりの筈です!この、無礼者!」
「うん。貸し切りのお客さんだね。僕がここの王様です。」
私は恐怖で逃げ出したい気持ちで一杯だったが、足のない私には立ち上がるどころか逃げ出す事など出来はしない。無駄な装飾のある車椅子を自分で動かす事こそ論外だ。
「おや、逃げない。見どころあるねぇ。君。」
「逃げたいわよ。見てわからないの!車椅子でしょう、私は。逃げたくとも逃げれるわけが無いじゃない。」
「ふむ。」
「きゃあ!」
バッタは私のスカートの裾を捲り、包帯でぐるぐる巻かれた私の右足をしげしげと見つめ始めた。足首から下が無いだけかもしれないが、あったものが無くなった事実を私自身未だに怖くて直視できていない。そんな気味の悪い私の足を見つめられているのだ。
気絶した侍女がいた事を思い出して、自分をおぞましいものとバッタさえも思うのではと、私はとても怖くて情けなくて恥ずかしい気持ちに襲われていた。
「あぁ、大丈夫。歩けるよ。」
彼の声はカラッとしていて、私をおぞましいものとは一切思ってはいないようだ。
だからか、私も彼に自然に言い返していた。
「足が無いのよ。」
「これなら義足をつければ歩ける。作ってあげようか。」
「歩けたら、今度は本当に私の周りから人がいなくなるわ。こんな痣だらけの醜い子。足が悪いから世話をしてもらえるのよ。」
「――その痣は、うん、消えるね。僕のように生の野菜や果物を一杯食べれば、すぐにまっさらな綺麗な肌だよ。新鮮な野菜や果物は、お肌に一番良い薬なのだ。」
私の頭は、綺麗になった私ではなく、バッタに変身した私しか想像しなかった。
「この、バッタ!いい加減にして!」
私はスカートを捲るバッタの手を払うと、バッタから離れるべく大きな椅子の背もたれ中で身を縮こませた。しかし、私の行動にバッタは気分を害するどころか、勝手に自己紹介をし始めるではないか。
「はーい、残念。僕は実はイナゴです。君は、イナゴの事を知らないようだね?」
「……。」
どうして私は一人ぐらい侍女を残さなかったのだろう。
交代制で万博で遊んでもらえば良かったでは無いか。
あぁ、馬鹿。
後悔してもイナゴ男は私を許してはくれなかった。
彼は歌うような話し方と手ぶり身振りで、私にイナゴについて説明を始めたのだ。
バッタとイナゴの違いなど知った事か。
「――でね、僕達イナゴはね、この世界の食糧難を引き起こす事もありますが、とっても美味しい上に栄養があるんだよ。ハハ、お腹が空いたら僕を食べるといいよ。」
「はい?ちょっと待って。」
「そうだそうだ、まずは試食をしないと!試食だ試食だ!」
イナゴ男は踵を返すと蒸気を出している機械の方へと歩いていき、丸い蓋についているハンドルを動かした。
ガコンと大きな音を立てて蓋は開き、丸く切り取られた空間には見たくも無い虫の茶色い死骸がひしめいていた。スプーンを持ったイナゴ男は嬉しそうに、小さな皿に虫の死骸を次々と乗せ上げているでは無いか!
ここが無人ブースどころか、このブース周りが完全に無人であった理由を私はようやく知った。
私はこのイナゴ男から逃げ出す事が出来たなら、悔しいがこのイナゴ男の言うとおりに義足を作ろうと心に誓った。
こんな恐怖から逃げ出せるのならば、誰にも世話をされなくなっても大丈夫だ。
ぜったいに、ぜったいに作って、こんな奴から自分の足で歩いて逃げる。