7伊集院ふみさん
「龍さんと茉奈よくお帰り」
阪急百貨店で広瀬亜紀との対面を済ませた二人は品川の緑子叔母さんのマンションへ帰ってきた。
「緑子叔母さん、今日は、暑くて疲れたよなにか冷たいものないかな」
と、龍さんがリビングへ入ると、
「こんにちは茶川龍太郎さん。お邪魔しています」
と、日に焼けた活発そうな若い女性が挨拶した。
龍さんが面食らってキョトンとしていると、後からは行って来た茉奈が袖を引いて小声で耳打ちした。
「きっと、こないだ見合い写真で見た2人目の伊集院ふみさんよ」
「ああ、そういえば」と龍さんは大きく頷いた。
挨拶だけで会話の糸口が見いだせない二人にすかさず緑子が助け舟をだす。
「今日はふみさんは病院が非番だったようだから、せっかく龍さんと茉奈も東京へ来ているんだし、ふみさんに会っていったらどうかってお呼びしたんざンす」
龍さんはいきなり切り込んだ質問をした。
「ふみさんはどちらの病院の何科の病棟へおられるのですかな?」
「わたしは中央区にある国立がん研究センター中央病院の消化器科にいます」
(これは天意を得たり!)
龍さんは飛び上がらんばかりに手を叩いて前のめりに尋ねた。
「胃がんの生存率はどれくらいのものですか?」
ズズズと緑茶をすすっていた緑子叔母さんがブーーっと吹き出した。
「コラ!龍太郎、お見合いの席であんたはいきなりなんて言う質問をするんざンすか、少しはわきまえなさい」
緑子叔母さんに年甲斐もなく叱られた龍さんはシュンとして肩をすぼめて小さくなると、それを見たふみさんが、笑顔で応えた。
「いいんですよそれぐらい。逆にワタシの仕事に興味をもってもらえて嬉しいぐらいです」
龍さんは年甲斐もなく子供みたいに興味本位で質問してすいませんとでも言うように頭を掻いた。
「そうですね、胃がんはガンの進行のステージにもよりますが、一番軽いステージ1で96%の生存率で、ステージ2でも60%は超えてます」
龍さんは真剣な顔をして尋ねた。
「その後のステージはどうなりますか?」
「たしか、ステージ3で47%、ステージ4だと生存率はわずか7%になります」
「50%を割りますか……」
と、龍さんはがっくり肩を落とした。
心配したふみさんが、
「もしかするとお友達かお知り合いの方で胃がんの方がおられましたか?」
「ええ、そんなとこです」と、龍さんは薄ら笑いを浮かべてへへへと力なく応えた。
ふみさんはいきなり龍さんの手を掴んで、
「安心してください。うちの病院は国立がん研究センターというくらいですから、国内で受けられる最先端のがん治療が受けられます」
龍さんは、なにか希望の光が一条射し込んだような気がした。
(この女性だったら、オレにもしもの事があっても茉奈の相談に乗って支えになってくれるだろうな……)
龍さんはなんだか生きる勇気が湧いてきた。オレはまだ健康診断で再検査を受けるように指示されただけじゃないか、もし胃がんだったとしても、現場にいるふみさんの話だとステージが軽ければほぼ必ず助かるって話じゃないか、心配ない。心配ない。
龍さんは、ようやく初対面の女性にいくら勤め先が病院だからと言って、こんな暗い病気の話をしてたんじゃ失礼に当たると思いなおして話を切り替えた。明るい話題……明るい話題……。
「ふみさんは、子供は何人ぐらい欲しいですかな?」
横で静かに、ズズズと緑茶を飲みなおしていた緑子叔母さんがまたブハ―――っと吹き出した。
「コラ!龍太郎あんたって子は、まったく、話すことが死ぬことと生きることしかないのかい。もっと、趣味はなんですかとか、休日の過ごし方はなんですかとか、当たり障りのない質問はないざンすか?」
「これは、しまった」と龍さんはテレくさそうに頭を掻いた。
ピョン!
「あ!また寝ぐせが復活してる」
と、茉奈がかいがいしく手で龍さんの寝ぐせを手アイロンで抑えてやる。
「これ、茉奈。さっきも言ったように、寝ぐせだって言わなきゃただの無造作ヘアで通るってもんだぜ」
と、娘を相手に、子供になったような龍さんが反抗する。
「ダメね、手アイロンじゃ効果ないみたい。ちょっと、洗面所へ行って、緑子叔母さんのヘアスプレーでも借りて直してらっしゃい」
龍さんは子供が母親にするように甘えて「ダメかい?」と茉奈に尋ねた。
「ダメよ龍さん。ふみさんに失礼よ」
と、娘の茉奈にダメを出されて、「ちょっと失礼」と、洗面所へ隠れた。
ふみさんが、茉奈に身を寄せて、
「まるでお二人は恋人同士のような父娘ですね」
と、微笑んだ。
「早くに母を亡くしたものですから、父との二人暮らしが長いものですから」
「ううふ、羨ましい。わたしは大学から鹿児島の故郷をはなれそのままここで就職したかものですから、茉奈さんと龍太郎さんのようなお父さんとの関係が懐かしくてうらやましいんです」
「そんなに仲良くはないんですよ。龍さんが洗濯物を脱ぎっぱなしにするから、毎日のように喧嘩が絶えなくて、こないだも、高校を卒業した後の進路を父に相談したら、それだけで喧嘩に」
「どんな進路を考えていらっしゃるのかしら?」
「父は作家ですから、わたしもその縁で文藝春秋のような出版社で編集の仕事がしたいって相談したんです。すると……」
「すると?」
「文藝春秋って言えば東京へ一人で行かせることになるじゃないかって大反対で」
「そう、茉奈さんは将来親元を離れて東京へ出ようと思ってらっしゃるの?」
「そうです」
「よかった。茉奈さんがずーーーと、一緒じゃ夫婦になってもワタシの入る隙が無いって思っていたの、ワタシは応援するわ」
とふみさんは茉奈の手をとって喜んだ
「なんの話だい?」
ちょっと、おばさん臭いヘアスプレーの香りを漂わせた龍さんが寝ぐせを直して戻ってきた。
つづく