5緑子叔母さんからの縁談
緑子叔母さんは以前から龍さんに再婚をすすめている。かわいい我が子のような甥っ子の嫁が、喫茶店のウェートレスだったと言うのが気にいらなかったのである。文さんが亡くなってから三回忌が過ぎるとスグに、緑子叔母さんは”私の気に入った娘”との再婚をすすめていたが、そのつど龍さんは「茉奈が大人になるまで」と断りつづけていた。
それが、同門の作家の宮里くんにだけ打ち明けた今回の胃の腫瘍の発見で、乗り気でなかった龍さんも、茉奈のためと重い腰をあげたのである。
「実はねこないだ紹介した阪急百貨店に勤める広瀬亜紀さんにねお前のことを離したら向こうから是非に会いたいって話を受けたところさ、ちょうど、亜紀さんは品川の阪急百貨店に居るからあんたも東京へ来たんだし、帰りに会って見たらどうだい」
緑子叔母さんがそういって、こないだ持って来た風呂敷を広げた。
(広瀬亜紀さんか……)
「え~っとね、その娘は、24歳の阪急百貨店に勤めているのは前に話たね。もちろん初婚で、お父様は静岡の市役所にお勤めで課長さんをされている身元のしかりしたお嬢さんざンすよ。学校は県立高校へお通いになって、大学から東京へでたそうよ。新卒で品川の阪急百貨店へお勤めになり現在、2年目……」
龍さんは、緑子叔母さんが、「徹子の部屋」かと思うほどべらべら一人で自己完結して喋るものだから、話はほとんど右から左に聞き流している。ただただ、広瀬亜紀の見合い写真を見つめては、亡くなった妻の文と比べて、娘の茉奈の性格に合うかどうかに想像を巡らせている。
「どう?龍さん気に入った?」
「どうと、いわれてもやっぱり会って話をしてみなくちゃわかりませんよ」
と、龍さんは頭を掻いた。べつに、好みではないが、ただぼんやりと、口が大きいのと髪をポニーテールにしてシャキッとしているところが文さんに似ているなと思っただけである。
龍さんは茉奈に広瀬亜紀さんの写真を見せて尋ねた。
「茉奈は亜紀さんどう思う?」
「なんか、活発そうな人ね」
――阪急百貨店品川
昨今流行の大型ショッピングモール。百貨店といってもここは食品館だけ阪急百貨店で、後の洋麺屋五右衛門や熱烈中華食堂日高屋、長崎ちゃんぽんリンガーハットなどの定番大手チェーン店の飲食、あとは、メガネや携帯、百均などのショッピング店だ。
夕方には、愛猫のワガハイも留守番していることだし早く帰らねばと思っている龍さんは、ウインドウショッピングもそこそこに、阪急百貨店の食品館へ向かった。
「確か、広瀬亜紀さんは銘店・和菓子のフロアーに居るって言ってたような……」
フロアーパネルの前で龍さんはこう言った。
(和菓子はイイよ。銘菓名品日本の味か……)
銘菓名品日本の味というのは、阪急百貨店が選んだ北海道から沖縄まで47都道府県の銘菓を集めたセレクトショップで、龍さんも大阪梅田の阪急百貨店へ入っては小一時間ばかり長居する人気店だ。
次に蕪村庵。ここは京都・六角にあるおかきのお店だ。小さい袋に小分けにされたおかきの詰め合わせが、家での執筆作業のお供には欠かせない。
叶医寿庵。叶ーお客様の口に叶いますように。医ー職人芸を守り一家をなす者。寿ー命長く生きることを寿ぐ喜び。庵ー自然に抱かれた小さな茶房。の理念を持つ羊羹屋である。
鶴屋八幡。300年前元禄からつづく大坂の老舗モナカ屋。品の良い餡の味は絶品で、龍さんはここの中の嶋の京阪大江橋を渡ってすぐの本店へ寄って、良く買って帰る。そのままも食べるが、龍さんは冷凍庫へ入れて凍らせて食べる邪道をする。
そんな、龍さんも通いなれた関西の名品銘菓を取りそろえた銘菓がならぶ一角に広瀬亜紀さんは居る。
龍さんは、銘菓売り場に立つ女性店員のあの人、この人、すべてが広瀬亜紀さんに見えてしかたない。一緒に娘の茉奈がいるものだから、花の舌が伸びるようなだらしない姿は見せたくないと思っているのだが、先ほど茉奈に、
「龍さん、女性の店員さんの顔ばかりジロジロ見ていやらしい」
と指摘されたところだ。
女性も、20代30代は女盛りだ。化粧も覚えて身だしなみにも気を使い、仕草も美しくなる。
引きこもりのような作家生活をしている龍さんには、百貨店に勤める女性は皆洗練され輝いて見える。
(こう見ると、誰もかれも茉奈の義母になる資格はじゅうぶんだ)
こんな上から目線の、未婚の女性をいきなり義母にしようっていう失礼な考えをしていると、広瀬亜紀さんに知れたら一発で嫌われてしまうだろう。
黒毛和牛の首牛サシ(脂身)が人肌で溶け、キメが細かく上品な甘みのある赤身と、サシの口どけが絶妙の浅草今半を見つけた龍さんは、
「今半があるじゃないか!」
と、思わず叫んだ。
浅草今半は、龍さんが師匠について弟子についてかばん持ちをしている頃、アカデミー賞のパーテーへついて行った折に、師匠筋の仲間で連れ立って2次会へ連れて行ってもらった。浅草国際通りの本店今半の味が絶品だった。値段が値段だから自分で払ってまでは食べに行かないが、師匠筋の贈り物には間違いない。
「今夜は品川へ泊って、今半肉を食べよう」
そう言って、浅草今半の前へ立つと、上品な美人そろいの百貨店の店員の中で一際、美しい女性が立っていた。
龍さんは、思わず緊張して、注文もぎこちなくなってしまった。
すると、美人の店員さんから声をかけて来た。
「もしかすると、茶川龍太郎さんではございませんか?」
つづく