10:ナツキは未だ、初恋の相手を忘れることは出来ない
──暖かい陽だまりで居眠りをしていた私に、長い金の髪を持った女は優しく声をかける。
「よく、ここで寝ているよね……正直キャンパス内の、しかも芝生で寝ている人なんて見たことないんだけど」
「よくここで見かけるよね、正直キャンパス内の、しかもこんな人が少ないところで来るような人だとは思ってなかったんだけど……わざと?」
ナツキは彼女の言葉を返し、起き上がる。
ローラは同じように看護医を目指す間柄ではあるが、ナツキと彼女は正反対のような存在だった。
ナツキは辛いものは食べれなかったがローラは喜んで食べる。
ナツキは本を読むことが嫌いだが、ローラはいつも本を持ち歩く。
ローラはコミュニケーションを取るのが苦手だが、ナツキは八方美人を演じている。
ローラは嘘を見抜くことが出来ず騙されやすいが、ナツキはうその癖を見抜く事が得意だった。
「なんでいつも決まった時間帯にここに居るの?」
彼女は本を読み初め、そう聞いてきた。
「人と関わるって言うのは疲れる事なんだよ、話す相手が少ないローラには分からないかも知れないけど……」
少し煽るようにナツキは言う。
ムッとなったローラは「君だって本当の友達は一人もいないじゃない」
少し驚いた顔をするナツキ。なんでわかった?と顔に出ているのだろうか、それを見てローラは口角を上げる。
「君はいつも距離を取りながら人といるからね、疲れるのも仕方ないよね。」
うんうんとローラは頷く。
自分の考えがいつも正しいと思っているのだろうか……ナツキは口にでかかった言葉を閉じて、彼女の次の言葉を待つことにして彼は再び寝転がる。
自分から話しかける様なタイプではないが、かと言って1人で生きていくことが出来ないナツキは、こうして自分に話しかけに来るローラという女性の事を嫌いでは無かった。
彼女はいつものように講義の内容について問いかける。
「本当に看護医の技術を掴めば、この目の色は変わっちゃうんだよね」
少し青っぽさが出始めた茶色の瞳をナツキに向け、ナツキはすぐに目を閉じる。
「記憶の1部をハサミで切るような偉業?だからね……目の色が少しづつ青くなるのは分泌物が変わってくんだっけ?」
ナツキはローラとの講義で聞いた内容を思い出す。
紫がかり始めた自分の目。青い瞳の方が記憶を比較的簡単に消すことが出来ると聞いて、ローラに少し羨ましく思う。
「私の瞳も茶色から青色に変わってしまうって考えると、なんだか茶色が恋しくなるね……」
彼女との他愛ない会話をして、次の講義までの時間を潰す機会を2人で過ごす……
そういった関係性を保ちながら私たち2人は、必ず一日に1回はこうした時間を過ごしていた。
全く違う2人だったが、それが逆に良い関係性を保てていたのかもしれない。
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そうしてなんの代わり映えもなく、至って平凡に4年間を過ごしてきた。
いつもとは違い、ゼミを終えた2人はすぐに帰ることなくお互いを待ってから帰る。
「ナツキはやっぱり国で働くの?」
ローラの質問はいささか不可解であった。
そもそも、この大学を卒業するということは国で働く。という事に変わりないのだから……
「おかしな事を聞くね……国以外にどこで働くの?」
ナツキの回答に彼女は少し真剣な顔つきをして言う。
「私は卒業する気は無いよ」
「は?」
想定外の回答に、ナツキは珍しく戸惑う。
何を言うべきか、聞くべきか分からず数秒の間の空白が出来る。
その空白に耐えきれなかったのは彼女のようで、答えを出す。
「私ね、看護医になりたい訳じゃないの」
彼女は、彼女の家族について語る。
ローラの家は至って普通の家庭のようだが、彼女の父があることから『病原性心象郡』にかかってしまった。
最初に病気が出現した地域の近くにあり、医療費と時間がかかりすぎる事から、ローラ自信が治す技術を手に入れ、治した方がいいと考えていた。
実際、医療費は入国を含めて2000万円程するらしい為、入国費を含め1200万で済む。
だが、この偉業?とも言える技術を他国に持ち込むことは規制されている。
「バレたらタダでは済まないんじゃない?」
ナツキは少し心配した顔つきでローラに聞く。
「うん、バレたら済まないかもね……入国する時にも近くの記憶が思い出せないし」
彼女は困ったように頭をかく。
「でも、ここで逃げないと私がここに来た意味は無いから」
彼女の言葉からは悲しそうな感情が漏れている気がした。
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「……」
ナツキの断片的な記憶が少しずつ戻ってきている。
少しずつ溢れようとする黒いモヤを見て、ホソカワは笑みを浮かべた。
やっと死ねるのではないか。と、
彼女は自殺について興味があり、この国に入った。
精神的に病む人間が多いこの国であれば、必然的に他の人間も病みやすくなる。
だが、彼女は一向に病む事が無かった。
彼女は既に病んでいたから、これ以上に病む事は無かった。
それに気づくことは無く、死に方を求めていた。
病原性心象郡の患者をついに見つけた時、彼女はついに祈願が達成されると、思っていただろう。
だが、初めてこの国に引き取られた病原性心象郡の患者。”ナツキ”は記憶の1部が消えており、その1部の損傷で発病が見つからなかった。
そこでセイメイに頼み、ナツキの記憶が蘇る人物を探してもらった。
そしてすぐにハチという少女が見つかった。
あとは流れるように過ごしてもらい、私は死ぬことが出来る。
セイメイは「近いうちに、君は君らしく死ぬ事が出来る。そしてそれを受け入れ、一人勝ちのような事を思うんじゃないかな」
そう言っていた。
ここで死ねるのであれば喜んで受け入れる事が出来る。
だから早く私の前に現れてくれ……
「…………」
ナツキは軽い嘆息を漏らし上を向く。
どうやら全てを思い出したようだが……一向にモヤが本格的になることは無かった。
「ありがとうローラ……そしておやすみ」
死の決別をナツキは今、成し遂げたようだ。
ローラが国を出てから5年が経っていた事をナツキは思い出した。
4年前に国を無断で出て、ローラの様子を見に行った事も……
ローラは国を出たことにより病弱になっていた。
国の中には、ほとんどと言っていいほど心の病になりゆる病原体が少ない。
そのため、ほとんどはそういった病になる事は無い。
だが、国から出るとそういった社会的要因があることは確実だ。
彼女はそれに耐える事が出来なくなり、ナツキが見に来た数日前には山から転落していたらしい。
病気は何か判明していないが、彼女の父のことから考えると『病原性心象郡』だと思われている。
最終日の葬式には出た。彼女に好意を抱いていた事を後から知った。
失う前に言っておくべきことや後悔が押し寄せた。
そして何より……彼も今、同じ境遇にいることを理解していた。
国の抜け道から出たため、国を出る前の事前処置による、心の病への耐性を付けることなく国を出てしまった。
その時のナツキはあらゆる方面から来る攻撃を、防御する術もなしに受け続ける様なものだった。
そして、ローラがいた場所は『病原性心象郡』が発生した付近なのだ。
結果的にナツキは感染し、国に戻って行った。
感染していることはすぐにバレた。
モヤが少しながら現れていたから、国の方で処置を起こすことになった。
国の立場からは、記憶の1部を消去する事で彼の病を治める。
という方針で行くことにしていたが、ホソカワが見逃すわけもなく……彼女の部下となったナツキは、時期が来るまで人と関わらせることを避けさせ、ストレスを徐々に与え、ハチをスイッチにした。
だが、ナツキはモヤを溢れさせることなく抑えている。
「……うーん、絶対に完全体のモヤがでてくると思ったんだけど……」
ホソカワの顔が曇る。
「多分だけど、ハチのおかげじゃないかな」
ナツキは昨夜の事を思い出し、平然そうに答えた。
昨夜、ハチはナツキを一晩中"見ていた"。
彼女が読んでいた『看護医の基礎』で基礎的ではあるが、記憶を消す方法を持っていてもおかしくはなかった。
彼女の眼の色は普段から青く、もしかしたら最初からそういった素質があるのではないか……そう思っていたが、予想以上の成果を出していたようだ。
なんということだ、普段。いや仕事の立場的に"助ける側"の「私」が"助けられる側"の「ハチ」に助けられてしまうのだから……
これは看護医失格だな……
頭の整理がまるで追い付いていないホソカワを蔑ろにして、ナツキは走りだした。