第四夜 前
部屋の寝床には横たわる影が1つ。
石造りの壁、巨大な金属製の扉、そんな殺風景な部屋に人間が1人眠っている。
小さな体と顔つきから見て高く見積もっても年齢は十というところだろう。
そんな少年の腰には一振りの剣、その年と体には不相応な長剣を携えていた。
規則正しい呼吸音と時折寝返りを打った際の剣の金属音以外には何も聞こえない。
その寝顔は年相応の幼さを感じさせるもので所謂普通の子供と言って差し支えないものだ。
誰も居ない部屋で彼は眠り続けた。
数時間後、重い音を立てて扉が開かれた。
そうしてまず数人の男達が部屋の中に足を踏み入れる。
揃いの鎧を身に着けた屈強な男達、彼等は王国の兵士だろうか。
続いて白い髭を蓄えた老人が部屋へ入る。
先程の男達のように鍛えられた体でこそないが、悠然と歩を進める姿や射貫くような目からは只者ではない気迫と迫力が伝わってくる。
老人は静かな足取りで少年の寝床まで進むと、手に持つ杖を彼目掛けて振り下ろした。
がん、と音を立てて杖は打ち付けられる。
しかし打った杖が捉えたのは、少年ではなく寝台だった。
その刹那、老人の首には金属特有の冷たさが伝わる。
「大神官様!」
男達の1人が大声で叫んだ。
大神官と呼ばれた男の首には剣が突き付けられている。
剣を突き付けているのは今の今まで眠っていた少年、十にも満たぬ子供が剣を構えて背後に立つ。
その形相は先程までの年相応な顔からは豹変し、まるで猛る獣のよう。
「剣を下ろせ、お前には人間を傷つける事など出来はしない」
首に剣を向けられた状態にも動じる事なく、大神官は低い声で言った。
その声に従うように少年は剣を鞘に納めるが、獣のような表情は崩れない。
己に向けられた剣が納められると、大神官は振り返り少年と向き合う。
「良い動きだ、順調に成長していると見えるな」
そうして満足気に笑っていた。
「おい、奴らを連れてこい」
「はっ」
入口で待機していた男の1人が足早にどこかへ向かう。
大神官は再び少年に向かって口を開いた。
「お前にはこれから連れてくる奴らと戦ってもらう」
少年は何も答えず、ただ目の前の男を睨みつけている。
程なくして先程出て行った男が別の兵士達を引き連れて戻ってきた。
彼等は車輪の付いた巨大な檻を引いて部屋へと現れた。
何処かから捕らえてきたのだろうか、亜人から鳥獣に至る様々な魔族が閉じ込められている。
彼等は口々に何かを叫びながら檻の中で暴れている。
大神官は檻に向かって何かを話すと、それまで騒いでいた魔族達が静まり、少年へと目線を移した。
「お前を殺す事が出来れば解放する、と伝えた。死にたくなければ奴らを全員始末する他ない。お前の力を見せてみろ」
もう話す事はない、と言うように大神官は少年から目を背け扉へと向かって歩き出した。
「もう帰るぞ。夜が明けたら再度ここへ集まるから準備しておけ」
「はっ」
少年を気遣う素振りもなく大神官と兵士達が次々と部屋を出る。
開かれた時と同じように、金属製の扉は重い音を立てて閉ざされた。
部屋の扉が閉じられると同時に檻が解き放たれ、魔族達が叫び声を挙げながら飛び出す。
部屋に残されたのは少年と魔族のみ。
だから誰も知る事はない。
自身に襲い掛かる魔族達を前に少年は笑っていたのだ。
新しい玩具を与えられた子供のように、まるで楽しくて仕方がないというように。
次の日の朝、大神官達は扉の前に集まっていた。
「奴らが襲い掛かってくるかも知れません。大神官様は我々の後ろに」
「うむ」
「よし、開けろ」
部隊長の指示を受け、兵士達は扉を開ける。
扉を開けた瞬間に部屋から漂う血の匂い。
部屋の中へ進んだ兵士達は皆一様に言葉を失った。
中は至る所に屍が転がっている。
動くものはもう何もない。
ただ1人、血の海の中で笑う少年を除いては。
勇者降臨の報は1夜にして大陸全土に伝わった。
勇者の存在に後押しされるように、人間と魔族を取り巻く環境は大きく動き始める。