第三夜
「体の調子はもう良いのかい?」
「だいぶ良くなりました、ご心配をお掛けしました」
今回の夜は私の身を案じる言葉から始まった。
先日の怪我はもう殆ど癒えていたし、幸いにして後遺症のような物も残っていない。
相手と私の差を考えればこれはかなり運が良いと言える。
今回ほど自身が魔族であって良かったと思ったことはない、もしも人間ならこうはいかなかっただろう。
私は魔王の傍らに立つ巨人に目線を向ける。
振り下ろされる拳、反撃は愚か防御する事もままならなかった自分、思い出すだけでも恐ろしくなる程だ。
魔王は真剣な顔で私を見て言った。
「それは何よりだ、だが無理はしないように。はっきり言って、君が彼に挑むのはまだ早すぎた。展開次第では最悪の事態になっていた可能性もある」
「はい」
「彼我の実力差が分からないような愚か者でないだろう。今回は特別に許可したがこのような事は今後禁じる、わかったね」
「はい」
頷く私を見て、魔王はまた普段通りの穏やかな表情へと戻った。
「しかしながら、それだけの差があっても無事に済んだのは君自身の強さのおかげだ、そこは素直に喜んで良い」
魔王はそう言うが、私は素直に喜ぶことなど出来はしない。
先程の言葉の通り一歩間違えれば取返しのつかない事になっていたかも知れないのだ。
それほどの差があったというのに、そこを「喜んで良い」と言われてもとても納得出来ない。
そんな私の気持ちを読み取ったように魔王は話を始めた。
「丁度良い機会だから彼について教えよう。戦争の最中、先代の護衛する者として創られたのが彼だ。当時戦争は激化の一途を辿っており、軍の中核を為していた先代は日常的に激戦区に駆り出されていた。他の部隊と違って補充が効く上に、主の指示のもとで死をも恐れない軍団となれば主要な戦場に駆り出されるのは自然な展開だったのだろう」
「そこでは朝も夜も無く戦いが続き、名のある戦士達でさえも次々と斃れていった。戦場の人間とは時に想像を超える力を発揮したし、思いもよらない行動も起こすものだ。彼は人間のそういう恐ろしさを誰よりも理解していた」
そうなのだ。
人間とは生物としては脆弱でありながら、時に信じられない力を発揮する。
己の信じる神の為、王の為ならば自らの命を投げ出す事も厭わない。
異端を滅ぼす為ならばいかなる手段をも用いる種族であり、そういったところは我々魔族の理解を越えている。
「実際、先代も幾度か危険な目にあっていたらしい。そうした経緯で自らの護衛として、また部隊を指揮する右腕として彼が創られた」
魔王は巨人を見上げながら続ける。
「それまでの経験と技術の全てを用いて創られた彼は他の何よりも優れていた。当時は先代という主が居たから今とは比べ物にならない力を有していたし、主として直接彼を指揮した際には分身とも呼べるほどの戦力となっていた。先代が健在だった当時彼と対等に渡り合えた者は10人にも満たなかっただろう、私も随分勉強させてもらったよ。主を失った後その力は弱まる一方ではあるが、それでも彼を上回る事は容易ではないだろう」
そこまで話して魔王は私を見る。
「話が長くなってしまったけども、私が言いたい事はわかってもらえただろうか」
「はい」
「簡単に納得は出来ないかも知れないが、君は若く才能にも恵まれている。現時点での負けを気に病むことはない」
そう言われても負けは負け、私の性分として気に病まない事は難しい。
しかし、力の差は歴然としているのだから今思い悩んでも仕方がないことは理解している。
今に拘らず、先を見据えて行動していけば良いだろうと一先ずは納得する事にした。
「今日もありがとうございました」
そうして私は部屋を後にした。
弟子が去った後、魔王は傍らの巨人に対して語り掛ける。
「思っていたよりも魔力の低下が激しい」
巨人は答えない。
「その時が来るまで、何としても保たせなければ」