木漏れ日と海の神謡(うた)
それはきっと、見えないけれどそこにいる。
目で見ることはできないけれど、きっと心のどこかで感じ取れているはずで、俺達が感じているのと同じように、向こうも俺達を見守ってくれているんだ。
神様ってすごいよなあ。
……って思ってねえと神職なんか俺にはできない!
見えないからっていないとは限らない、というのはよく聞く言葉だ。神様とか妖怪とか幽霊とか、そういうものだけじゃなくて、もっと簡単、子供でも分かるいい例がサンタクロースだろう。サンタさんは子供に気付かれずにプレゼントを渡して回るハイスペックじいさんである。遥か昔からいるはずなのに、誰もそのじいさんがトナカイのソリで空を飛び、プレゼントを配る姿を見たことがないという。
俺の家は神社だけれど、小六くらいまでは毎年サンタさんがプレゼントを持ってきてくれていた。ある年、俺はサンタさんを捕獲する作戦を考えた。幼馴染の美幸は「わたしもやる!」とノリが良かったが、もう一人の幼馴染である晃一は「非論理的で成功するとは思えない」と小学生のくせにそんなことを言った。とんでもないガリ勉。昔からアイツはそうだ。
サンタさん捕獲作戦のために部屋中に罠を仕掛けた当時の俺だったが、その作戦は失敗した。仕掛けている途中で母さんがやってきて、「こんなことをする子の所にはサンタさん来ないのよ」などと脅してきたのだ。幼い俺の挑戦はそこで終わった。
だから俺はサンタさんを見たことがない。けれど、いてもいいんじゃないかと思っている。高校生になった今でも、だ。夢は持っておいた方がいいって言うじゃないか。ロマンだ。
そんな俺でも、存在を疑うものはある。
神様、だ。
宮司の息子、この暮影神社の跡取りとして、俺は神を祀らなければならない。
漫画とかライトノベルとかだと、神様を見ることのできる神職とかがよく登場するけれど、あいにく暮影にそんな神職はいない。そもそも、見える神職、というか、見える人間なんて実際にいるんだろうか。少なくとも俺はそういう人間に会ったことはない。
サンタさんは信じるくせに、神様は信じないのか。神社の子なのに。と言われても俺には言い返すことはできない。
いや、だってさ、サンタさんは枕元にプレゼントが置いてあるわけだろ? でも神様は何かしてくれたのかどうかって分からないじゃん。見えないだけじゃなくて、いるっていう証明がないんだよ。
それでも俺は暮影神社の跡取りだから、東京の大学に行って、神職の資格取って、神社を守ってみせるさ。
そこに確かに神様はいるんだ。って、無理にでも思いながらさ。
★
「晃一ぃ、宿題俺の代わりにやってくれぇ……」
夏期講習の帰り、足早に教室を出ようとする腐れ縁幼馴染を呼び止める。晃一は机に突っ伏している俺をゴミを見るような目で見下ろし、リュックを背負い直す。
「悪いな、この後塾なんだ」
「嘘をつくなあああっ!」
俺には塾なんて必要ないからな。ってこの前言ってただろう! このガリ勉野郎!
勢いよく立ち上がり、俺は晃一のリュックにしがみ付く。
「うわあっ」
「俺とオマエの仲だろ? 頼むよ」
「どういう仲だよ!」
「十七年の付き合いじゃないか晃一く~ん」
教室に残っていた面々がこちらを見つめている。笑いを堪える者、すでに噴き出している者、若干引いている者、様々だ。
晃一は俺のことを引き剥がそうと必死になっている。
「一生のお願いだって!」
「今まで何回そうやって言われて宿題手伝ってやったと思ってるんだ。たまには自分でやろうと努力しろ万年赤点野郎」
「赤点は取ったことねえよ! 二だよ!」
「同じようなもんだろ!」
リュックを肩から下ろして振り回す。勢いに負けて俺の手は晃一のリュックから離れてしまった。
晃一はリュックを背負い直し、溜息をつく。
「今日は用事が……」
途端、はっとして窓の外を見る。つられて俺も外を見ると、校門の所に女の人が立っていた。晃一に手を振っているようだった。
「何で学校に」
遠目にも美人だと分かる女の人だ。そんな美女に手を振られているというのに晃一は真っ青になって教室を走り出た。
ふむふむ、何かありそうだな。面白そう。
机の上にあったノートやプリントをリュックに突っ込んで、俺は晃一の後を追った。
玄関で追いつき、靴を履き替えている晃一に近付く。
「へいへい晃一く~ん。あの美人さんは誰? 東雲ちゃんという人がいるのにいいの~」
「五月蠅い黙れ。俺と日和は何にもないってずっと言ってるだろ。そろそろうざいぞ」
逃げようとする晃一を追い駆けて、校門まで来る。
「待ちきれなくて来ちゃいました。ご迷惑だったでしょうか? 大丈夫です? 晃一さん」
透き通るように綺麗な声。漫画でしか見たことがないような見事な銀髪。その美貌の中で妖しさを湛える金色の瞳。夏らしいボーダーのシャツに白いスカートがとても似合っている。
「近くで見るとますます綺麗!」
「おい栄斗……。……ん。え。そういえばさっき……」
晃一は女の人をまじまじと見る。
「何で顕現してっ……!?」
「ああっ、いけませんでしたか? では今から消え……」
「そのままでいいから余計なことはしないでくれ」
一体何の話をしているんだろう。顕現? 消える?
門の所に留まっていたカラスが一声鳴いて飛び立つ。晃一はその鳴き声を聞いてうなだれた。
何なんだ一体。
昔からおかしなやつだとは思っていたけど、カラスの鳴き声がコイツにどれほどのダメージを与えているというんだ。大丈夫かオマエ。
「こんにちは。貴方は晃一さんのお友達? わたくしはレプン……じゃない……。わたくしは逆叉チサです」
どうぞよろしく。とチサさんは頭を下げる。銀色の髪がさらりさらりと動いてきらきら光る。
「晃一、こんな美女とどこで知り合ったんだよ」
額に手を当てて眉間に皺を寄せた晃一が深い溜息をつく。
「余計なことするなって言ったのに……」
「なあ晃一」
「貴方、栄斗さんってさっき言われてましたよね! 暮影神社の?」
チサさんが金色の瞳を輝かせて俺を見る。いくら北海道と言っても夏は暑い。それでも、チサさんは一滴も汗を垂らさず、涼しげな顔をしていた。冷たい空気を自分の周りに纏っているのではないかとも思えるくらい爽やかな雰囲気だ。
「うちの神社知ってるんですか?」
「行ってみたいと思っていたんですよ。いいでしょう? 晃一さん」
なぜそこで晃一に確認を取るんだ。
頭上で旋回していたカラスが「かあ」と一声鳴く。
「分かったよ……。栄斗、チサのことちょっと頼むな」
「頼むってどういう」
カラスが俺達のそばを低空飛行していった。「じゃあ」と言って晃一はカラスの向かった方へ歩き出す。何なんだよさっきから。いや、あっちは晃一の家の方角だけどさ。
校門の前に俺とチサさんが取り残されてしまった。
強い日差しとセミの鳴き声が俺の体温を上げ、汗がじわりと体を覆う。しかしこの汗の理由はこれだけか?
反対にチサさんは相変わらず涼しげな顔をしている。
沈黙の間をセミが横切っていく。
「えーと、じゃあ、行きましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
暮影神社の鎮守の森は元々原生林で、開発が進む中神社と共に残った強運な木々でできている。外の暑さと比べると木の影が落ちているため幾分か過しやすい。
チサさんは鳥居の前で一礼をしてから境内へ入っていく。
「こちらのお社にはどのような神様がいるんです?」
「え? えーと……。少彦名神とかですかね」
いるんです? って言ったよな、今。
「チサさんは神様がいるって信じるタイプですか」
手水舎の前で立ち止まった。銀色の髪が風に揺れる。白波みたいだな……。
柄杓で水を掬っている姿さえ綺麗だ。
この美人、晃一と親しげだったがどういう関係なのだろう。浮いた話とは縁遠いアイツが美人に出会って仲良くなるなんて、そんなことあり得るのだろうか。
「栄斗さんは神様を信じていないんですか?」
濡れた口元をハンカチで拭いながらチサさんが言う。
「神社の子なのに」
ふっ、その言葉、俺にとっては効果抜群だぜ……。
ふざけている場合じゃない。
小さいころから言われ続けた呪いの言葉。神社の子なのに。
人なんてそれぞれだ。何を好きになろうが嫌いになろうが、何を信じて生きようが。誰かにとやかく言われることじゃない。けれど、俺はこの星影の地で、暮影の社に生まれてしまったのだから道は固定される。
チサさんにも笑われてしまうだろうか。サンタさんはいるかもしれないけど神様については自信がないなんて言ったら。
「だって、見えないじゃないですか」
「見えますよ」
ほら、そこに。チサさんが木の根元を指差す。確かにそこには小さなおじいさんが……いるわけないだろう。
「何もありませんが」
「ん、じゃあ。いるじゃないですか。で、いいですか?」
「へ?」
「アニミズムって知ってます?」
「何にでも精霊が宿ってるっていうやつでしたっけ」
「そう」
金色の瞳が優しく笑う。幼稚園の先生が園児に「よくできました」と言っているような笑顔だ。
「ここ北海道には、昔からアイヌの人々が住んでいましたよね。本州にも言えることかもしれませんが、昔の人々はありとあらゆるものに精霊の姿を見たんです。森にいるフクロウも、山にいるクマも、海にいるシャチも、アイヌの人々にとっては神でした。神々の世界から人間界にやって来た時、神々は動物の姿を取るんです。そう考えれば、何でも神様ですよ」
手水舎の前を過ぎ、チサさんは拝殿の方へ歩いて行く。歩くのに合わせて銀色の髪がゆるゆる揺れる。
そうか、確かにアニミズムという考えで見てみれば木だって神様になり得るのか。
拝殿の前に行くと、社務所にいた巫女さん達がにやにやしながらこちらを見ていた。違いますよそういうんじゃないです。綺麗な人だなとは思うけど……。
二礼二拍一礼をして、チサさんは俺を振り向く。
「信じるも信じないも、それは自由です。けれど、そこにいるのかもって思うと楽しくないですか?」
銀色の髪。金色の瞳。今目の前にいる美人のことを女神と形容するのも間違ってはいないだろう。
無理に信じるんじゃなくて、いるかもしれない、それでもいいのかな。
「栄斗さん、シャチって好き?」
「かっこいいですよね。どうしたんですか突然」
「うふふ、ありがと」
「え?」
チサさんが髪を掻き上げる。右耳が露わになり、シャチの飾りの付いたイヤリングが姿を見せた。
「わたくし、嬉しいです。お話楽しかったですよ、栄斗さん」
「あ、はい、どうも」
「あまり晃一さんを待たせるのもよくありませんね。わたくしが頼んだことなのに」
銀色の髪を揺らして、チサさんは参道を戻っていく。
「あ、待って……」
チサさんは歩いていて、俺は走っているはずなのに、なぜか追いつかない。鳥居のところまで来て、チサさんが俺を振り向く。右手がイヤリングに触れている。
「また会うことがあったら、もっとお話ししましょうね。貴方きっと、いい神職になります」
イヤリングが外される。銀色の光を残して、その姿が木陰に消えた。
鳥居を抜けて彼女が消えた方を見ると、晃一が立っていた。背を向けていて、俺には気付いていないようだ。
「シャチの骨格標本を探すなら、やっぱり博物館に行ってみようと思うんだけど、いいか。おまえの知り合いは見つからないかもしれないけど……。探してくれるだけでありがたい、か。うん、そう言ってもらえるとこっちもやる気出るな」
誰と話してるんだ?
「晃一」
「わ、栄斗」
晃一の前には人は誰もいない。いるのは石畳の上にいるカラスだけだ。
「オマエ、鳥と話してたわけ?」
「そ、そんな変な顔で見るな。で、電話だよ電話」
晃一は携帯電話をポケットにしまう。
「あのさ、頼まれたチサさんいなくなっちゃって……」
「ああ、それは大丈夫だ。ここに……。……さっきすれ違ったよ。用事を思い出しちゃったって……」
何もない方を見ながら晃一は言う。小さく頷いているようにも見えたが、きっと見間違いか何かだろう。
「もしかして惚れたのか」
「ばっ、なっ、何っ、違っ……! 綺麗な人だったけどさ……」
「ふうん……」
何もない方を見ながら晃一が薄く笑う。見間違い……なのかな……。
★
たぶん、神様とか妖怪とか幽霊とか、そういう概念的なものだけじゃないと思うんだ。
目に見えるものだけが全てじゃない。
チサさんが言うように、アニミズムっていうのも一つの考えだと思う。けれど、それをそのまま信じちゃおうとは思わない。答えっていうのはやっぱり自分で見つけてこそなんだと思う。
いい神職になるってチサさんは言っていたけれど、俺にとっていい神職とはなんだろう。
ま、そのうち見えてくるだろう。あれ、さっき目に見えるものが全てじゃないって自分で言ってたじゃないか。うーん、まあいいか。
それはきっと、見えないけれどそこにいる。
目で見ることはできないけれど、きっと心のどこかで感じ取れているはずで、俺達が感じているのと同じように、向こうも俺達を見守ってくれているんだ。
それを伝えていけたらいいよな。