解答編
この話は『青春の滓』の解答編です。問題編をまだ読んでいない方は、まずそちらからお読みください。問題編をもう読まれた方で犯人が誰だか知りたいという方は、どうぞ先にお進みください。
<回答編>
犯人を知っている、犯人がわかったという俺の言葉に吉岡は、はっと顔を上げ、
「林田を、犯人に仕立てられないかしら――」
と、そんな突拍子もないことを言いながら再び泣き崩れた。
そしてこれではっきりした。やはり三田が犯人なのだろう。
確かにことが明らかになれば株式会社だか有限会社だか知らないが、三別コピーのへ注文は一気に途絶え夫の職場は窮地に立たされるかもしれない。だからといって無実の人間に冤罪を着せるわけにはいかないだろう。それに一応、友人だ。人殺しを放って置くことは出来ないというそんな正義なり大義名分なりを振りかざすわけではない。ここは一市民として警察に通報し、法律で裁いてもらう他ない。
犯人を絞り込むのは簡単だった。俺が床に就いてすぐ寝てしまっていれば、誰がやったのかすぐにはわからなかっただろう。もし俺が起きていようとしたら、つまり隣の隣の俺の部屋に電気がついている状態では、さすがに犯行を起こすほど無警戒でもないだろう。三田は俺の部屋の電気が消えているのを見て油断していたのか。それかそもそもあまり隠す気もなかったのかもしれない。
吉岡は三田が犯人だと確信しているに違いない。なにか手がかりとなるような現場を目撃したのだろうか。まだ三田への疑念の段階ならば、ここまで手のつけられなくなる状態までにはならないだろう。
「それにしてもどうして三田がやったと吉岡は思っているんだ」
吉岡が何を知っているのかを訊ねた。だが吉岡は未だに嗚咽が止まらず、何かを口走っているようだったが全く聞き取れなかった。これでは埒があかない。
「わかった。落ち着いてからでいい」
そう声をかけて吉岡を立たせ部屋から出してやった。いつまでも目の前に血が広がっていては収まりも付かないだろう。
吉岡が犯人でないことは明白だった。吉岡は食後すぐに散歩に出かけてそのあと真っ直ぐ二階の自室に戻った。散歩から帰ってきた三人は漏れなく真っ直ぐ二階に上がっていったのだ。つまり厨房の包丁を調達するチャンスは吉岡にはなかった。
「英里子。何、泣いてるんだ?」
と後ろから声がした。部屋に戻ってこない吉岡を心配したのだろう大橋が階段から降りてきたのだ。
「西田と何かあったのか」
そう吉岡に尋ねながら大橋は何気なく103号室を覗こうとした。慌てて俺は制止した。
「西田が。その、殺されてるんだ。恐らく殺ったのは、三田」
制止したが無駄であった。大橋の体格に俺がかなうはずがなかった。大橋は俺を押しのけると部屋の中を見てしまった。
部屋に入った大橋が固まった。そしてこちらを振り返り吐きそうな素振りをみせたが、ぐっとこらえて部屋を出て廊下に座って吉岡の肩を抱いてやった。
「どうして三田がやったと言えるんだ」
大橋にとっても、もしそうだったとしたらそれは受け入れがたいものだろう。これから先自分の会社のたどる運命を悲観したのか、顔のパーツを中心に集めて本当に辛そうな表情をした。
俺は全員を集めてから説明した方が良いか迷ったが、今は純粋に三田に会うのが怖かった。人を一人殺しているかもしれないのだ。とりあえず大橋にだけでも説明しておこう。一つ息を吐くと俺は話し始めた。
「消去法と、あと最後は吉岡の反応から予想したんだがな。まず吉岡は違うのが始めにわかった。西田は包丁で背中を刺されているんだが、吉岡には包丁を手に入れる機会がなかった。俺の部屋からは一階の廊下や玄関、階段の足音が聞こえるんだが、散歩から帰ってきた人間は食堂方面には歩いて行かなかった。だとしたら厨房にある包丁を手に入れられたのは食後、食堂に溜まっていた俺も含めた男四人だけだ。それで、俺はすぐにお暇したからわからないんだが誰か厨房の方には行かなかったか」
「いや。全員行ったな。冷蔵庫にビールなりつまみなり色々買っておいてあったから、みんな思い思いに色々冷蔵庫から持ち出してた。全員が包丁を盗るチャンスはあった」
「なら話は早い。今のところ容疑者は四人だが、俺は違うとして三人。そして次はお前だ、大橋。お前は違う」
「俺は人殺しなんてしないさ」
「そんなことはわかってる。そういうことを言ってるんじゃなくて、犯人は右利きなんだ」
「たしかに俺は左利きだが、どうして犯人が右利きだってわかる?」
「状況から見て西田は後ろから刺されているんだが、右方向後ろから刺されている。西田がうつぶせの状態で犯人が西田の頭側にいて左手で背中を刺すとそんな状態になるが、目の前に刃物を持った人間が居るにしては西田の部屋は静かだった。西田は抵抗していなかったみたいだ。だから後ろからの不意打ちで刺したのだと思う。それに、犯人が人殺しなんて言う一世一代の出来事に不慣れな利き腕じゃない方で刺すとは思えない」
「俺が左利きなのは覚えていたのか?」
「もう六年も前だからね、すっかり忘れてたよ。それに弓道の構えは利き腕とかあまり関係ないからな。元々知らなかったのかもしれない。だが大橋が料理しているときはさみを使っているのを見て左利きなんだとわかった」
「俺はそのとき右手ではさみを使っていたと思うが」
「そう、一般的にはさみは右手で使うものだ。そうじゃないとうまく切れないからな」
「じゃあ何でわかったんだ」
「日焼けの跡だよ。右手首に腕時計の日焼け跡があるだろお前。ほら」
大橋は右手首に目を落として、その浅黒い腕を一回なでた。
大橋はさっきよりもだいぶ西田の死体を見たショックからだいぶ落ち着いてきたようだ。吉岡も今では顔を上げ涙目ではあるものの、表情からは理性が感じられる。
「なるほどな。はさみを振るっている俺の右手に日焼け跡を残っているのを覚えていたのか」
「右手に腕時計の跡があるなら、利き手は左だろう。ま、最初は吉岡が動揺しているのを見てお前が犯人かと思ったがな」
「やめてくれよ。冗談じゃない」
初めは大橋が犯人だと思ったのは嘘じゃない。夫が犯人なら、かばいたくなる気持ちもわかる。だが俺自身、大橋が犯人だとは思えなかった。思いたくなかったのかもしれない。
腕に抱いている吉岡を離してやって大橋は立ち上がった。その表情からは大変厳しいものが窺える。
「それで林田と、三田が候補に残っているわけだが。正直、三田が犯人だとすると俺ら家族にとっては大変厳しい状況になるんだが――」
「そうだろうな。言いにくいことだが、お前の会社はもうダメだろう。ただでさえ危なかったんだろう? さらに殺人犯を出したとなると、注文をとってくれる企業はもうないだろうよ」
「でもどうして、林田は違うと言い切れるんだ?」
「実を言うと、言い切れるわけじゃないんだ」
俺がそう言うと大橋は一気に怪訝そうな顔つきになった。俺は慌てて先ほどの吉岡の状態と自分の予想を説明し始めた。
「お前が来る前、吉岡と死体を発見したすぐ後な、吉岡にはどうやら犯人の心当たりがあるようだった。というか、犯人がそいつだと半ば決めつけて犯人のことを庇っているようだった」
「林田と三田と、庇うとしたら、三田だと? そう言いたいのか」
「そうさ。三田が人を殺していたとしたら夫は職を失う可能性がある上、今の生活も壊れてしまうと吉岡は考えたんじゃないか。だからあんなにも取り乱したのかと俺は思ったのさ」
今はもう顔を上げた吉岡は廊下の一点を凝視したまま動かなかったが、顔にも生気が戻ってきていた。
「そろそろ吉岡も喋れるんじゃないか? 吉岡はどうして、三田が殺したんだと思ってるんだ?」
俺が話しかけると吉岡はびっくりしたように一度体を震わせたが、恐る恐るこちらに首を回した。頭の中を整理しているのか、十秒ほど左上の方に目線を向けていたがポツリポツリとだが話し始めてくれた。
「お風呂場の、脱衣所。帰ってきたあと。海から。お風呂に入ろうと思ったら、三田が先に入っててあいつの脱いだ服が置いてあった。その一番上に、ホルダー?っていうのかな。はさみとかを腰につけるやつみたいなのが置いてあった。最初は三田なりのおしゃれなのかなと思ってたけど外に見えるようにそんなものをつけてなかったじゃない? 海で着替えてたときも、ズボンと一緒に脱いで着たりして隠してたのかわからないけど、誰か三田があんなの身につけてるのに気づいた? それにあれは腰用じゃなかった。太腿につけるようにベルトの長さが改造されていた」
吉岡の話すスピードが徐々に上がっていった。興奮してきているのか肩に力がこもっている。それに、らしくもなく目をぎらつかせている
刃物をしまうものが置いてあったら当然その中身を想像するのは当然のことかもしれないが、その用途にまで想像を膨らませられていれば。そう思ったが、そんなのは詰まるところ結果論である。起きてしまったことは致し方ない。
吉岡はまくしたてるように続ける。
「三田以外が奈深を殺したと言うんなら、どうやって包丁を持ちだしたの? 食堂には四人居たんでしょ? 冬服なら隠せるかもしれないけど、今はみんな短パンにTシャツなのよ。シャツは透けるし形が浮く。なら短パンの中、太腿にでも包丁を括るしかないじゃない! そのためのホルダーだったのよ。あんなもの持ってきてるなんて、最初っから三田は奈深を殺そうとしてたのよ! この旅行の企画も、言い出しっぺも、全部あいつなのにもこれで納得だわ!」
なるほど、うすうす気づいてはいたがやはり三田がこの旅の立案者だったのか。民宿の台帳に名前を書いていたり、民宿のおばちゃんにコンタクトをとったりしていたのも三田らしかったから、そうだとは思っていたが。
――というか三田は? あいつはいま何をやっているんだ?
犯行の手口からして別に完全犯罪を狙っているわけでもない。だが計画性はある。おとなしく捕まるつもりなら既に電話して自首している可能性が高いが、そうでないとしたら。
嫌な予感がした。
俺は大橋と吉岡に何を言う暇もなく階段の方へ駆けだしていた。二階に上がったはいいがそういえば、三田の部屋がどの部屋か聞いていなかった。とりあえず手当たり次第に手前の201号室のドアノブをひねると鍵がかかっていなかった。
中に入ると大橋がいた。案の定、三田は正面の窓枠から垂れたロープにぶら下がっていた。
二日連続で知り合いの葬儀に参列するという経験をしたことがある人はあまりいないのではないか。昨日は西田のお通夜で、さっき告別式に出てきた。そして今から三田のお通夜が始まる。ここ最近、警察署やらセレモニーホールやらで、ほぼ毎日顔をつきあわせることになっている大橋も吉岡も林田も俺も、内心ではお互いの顔を見るのにうんざりしていた。俺の懸念としては、大橋と吉岡の夫婦仲が悪化するのだけは避けたかったが、まあそれも当人同士次第だろう。
あの時、首をくくっている三田の遺体をロープから下ろした後、三田の遺書が卓袱台の上に乗っかっているのが見つかった。赤いボールペンで大学ノートの切り離した一枚に書いてあった。
前に人が居なくなった。焼香の順番が回ってきたのだ。俺はもうこの二日間、線香から細く立ち上る煙も焼香の匂いにも辟易していた。三田には悪いが俺は必死に吐き気を抑えてなんとか焼香を済ませ手を合わせた。ホールを出ると大橋と吉岡が昨日と同じ服装で待っていた。
俺も昨日と同じなりをしていた。
「まさかあの頃三田と西田が付き合ってたなんてな。遺書を読んで初めて知ったよ」
俺は今回の事件に対する一番率直な感想を口にした。遺書は遺体発見時にも読んだが、取り調べでも何回か読まされていた。
「お前ぐらいだぞ、多分知らなかったの。高二のあの合宿の時は、うん、たしかにあの二人は付き合っていた」
「おれはそういうのに疎い人間だからな」
「それはそうだな」
大橋はそういうとポケットからセブンスターを取り出しておもむろに火をつけて吸い出した。ヒグラシの哀愁を誘う「カナカナカナカナ・・・」という鳴き声が近くの森からぬるい風に乗って聞こえてきた。
「そういえばお前たばこなんて吸うんだな」
「普段は滅多に吸わないが、ここ最近はお香ばっかり吸ってて参っちまいそうだったからな。久々に仕入れてきたのさ」
「納税お疲れ様」
そんな俺の冗談にも大橋は何も反応しなかった。
三田の葬儀の参列者は西田のそれよりも遙かに少なかった。これが人望の差か、亡くなり方の差か、どちらか俺には計りかねた。
「ふっ」と息を吐くと大橋は携帯灰皿に一度灰を落として、
「全く、最高に面白いよ」
と夏の夕方の湿った空気に呟いた。
俺は全く訳がわからんという風にしていると大橋が続けた。
「この前の合宿の時、新潟市に入ったくらいか、車の中で喋ってただろ? 『人の痴話話ほど面白いものはない』っての。あいつも惚れた腫れたの、振った振られたで死にやがった。一人巻き添えにして。だから三田に言ってやったのさ。全く最高の皮肉じゃないか。自分が笑っていたのに気づいたら笑われる側になってやがる」
そういう大橋の声は震えていた。顔を向けると大橋はみっともなく泣いていた。
俺は答えに窮した。だが三田が命をかけて作り出したこんな皮肉な茶番に乗ってやることにした。
「全く同感だな」
この場で故人よろしくその真似をする俺は、さすがに趣味が悪すぎるというものだろうか。
いかがだったでしょうか。犯人わかりましたか?
犯人に至る手がかりを隠匿しすぎてしまい、難易度調整に失敗してしまった感が否めませんが最後までおつきあい頂きありがとうございました。
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