さようならの霧
そうだね。
そうよ、そうよ…。
さらさらと秋風が蛍の髪を巻き上げる。揺れた前髪が頬をくすぐる。
秋風、と思ったけれど、そうじゃないかもしれない。
今きこえた声は何だろう、ここには誰もいないのに。
そもそもここはどこだろう。
自分はどこからきてどこへ行くはずだった?
僕は「蛍」という名前なのか?
本当に?
遠く遠く見渡すことのできる、街の小高い丘の上。
笑い声がした気がして、蛍は肩をびくりと震わせた。
人間?生きている人間、なんて、ここのところ一度も見ていないという気がする。
そうでしょうね。
そうだろう?…。
闇の反対、まっ白な光に包まれて、くっきりしない街の様子。
蛍の耳元に子供の笑い声がした。ここには誰もいないのに。
子どもの靴が転がっている。枯れたヒマワリがうなだれている。煙草の吸殻、ガムが黒く固まったアスファルトの道路。自分が座っている、丘の上の公園のベンチ。
蛍は記憶を懸命にたどる。
はるか昔のこと、それとも今朝のことか、蛍は起きてから学校へ行こうと思った。
学校は小学校だったかな。中学校みたいな気もする。もしかしたら高校かもしれない。あやふやな記憶をさらう。
とにかく学校へ行こうと思った。家を出たのは自分が最後だった、と思う。
そして外に出てから、そこら一体がコスモスのような色の、霧に包まれていることを知ったのだ。
霧は濃く充満し、ほのかに甘い香りがした。
この霧に包まれると、人間なんか溶けてしまうんじゃないかというような、霧だった。
そして今、晴れ渡った午後の街。
本当に午後かな。もう何十億年も、午後が続いている気がする。
「……。僕も……」
途方に暮れて、蛍が囁く。
昔人間が疎ましかった蛍は今、人間が一人もいない世界の夢を見ているのかもしれない。目が覚めない夢を。
僕も、つれていってほしい。
アクマが僕の願いをかなえてくれてんだ。
笑っていたのはきっと、アクマなんだ。
幼い蛍は考えた。いや、もう老人の蛍かもしれない。
ゆめ。ゆめ。
霧の夢……。
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