Ep.3 『西のエース』
牛丼屋でありながら、客の誰ひとりとして箸を進めている者がいないという状況は早々お目に掛かれない。しかし今、この店ではまさにその状況が訪れていた。
なぜならば、客ではない者が空になったドンブリの山を次々と積み上げて高くしており、店内の人間は皆その光景に呆然と見入っているからである。
ドンブリの山を積み上げている、ゴッズ精鋭怪人の一人ダヌギンは20杯目のおかわりを注文した。それを受けて、店内で唯一手を動かしている人間、即ち牛丼の用意をする店員の男が急いで20杯目の牛丼を盛った。
「遅い! さっさと次の牛丼を出さないか!」
ダヌギンが店員に怒声を浴びせた。その間も、ダヌギンはテーブルに置かれている紅ショウガを口に放り込んではシャクシャクと咀嚼している。
店員の男が20杯目の牛丼をダヌギンの前に置いた。ダヌギンはすぐさまドンブリを持ち上げ、タヌキのような顔のその大きな口に牛肉と米を掻き込んでいく。
「あ、あの、お客様……」
店員がもじもじとダヌギンに話し掛けた。
「なんだ」
ダヌギンは牛丼を掻き込む状態のまま、店員には目も向けずに返事をした。
「だ、代金の方はちゃんとお支払していただけるのでしょうか……?」
その瞬間、ダヌギンはテーブルの上で山になっているドンブリの塔を払い、全て床に落とした。ドンブリの割れるけたたましい音に、店員はおろか、店内にいる人間全てが飛び上がった。
「貴様! ゴッズ精鋭怪人であるこの俺に、金を請求するというのか!」
店員はダヌギンのドスの利いた鋭い声に縮み上がり、「と、とんでもございません! 失礼いたしました!」と頭を下げて厨房へそそくさと引き上げていった。
ダヌギンは床に散らばるドンブリの欠片を踏みつけて砕くと、
「ふん、当然だ! このダヌギン様の空腹を埋められるだけでも光栄な事と思え!」
と、とても不条理な事を言った。
その時――。
「狸が牛を食うってのは自然界では中々お目に掛かれない光景っすな」
店の入り口から大柄な男がよく通る声で言い、店内の者達の視線を一斉に集めた。
男の姿もまた普通の人間とは大分違うものだった。茶色い岩のような肌に、戦闘用の黒いチョッキを羽織っている。目や鼻や口こそ普通の人間と同じだが、頭髪はなく、頭がサメの背びれのようにとんがっている。
一見するとゴッズの怪人なのではないかと勘違いされそうなものなのだが、彼こそはカナラズのウェスト支部を代表する戦士『ブッチャ』なのである。
ブッチャは店内を大股で進み、ダヌギンの向かいの椅子に腰かけた。両者が見合う。
「貴様、カナラズの戦士か」
ダヌギンがブッチャに箸を向けて訊いた。
「ウェスト支部所属、ブッチャだ」
ブッチャは口元に微笑を携えたままダヌギンを見据えて返した。
「なんだと? では、貴様があの剛力人間ブッチャか」
「そうっすな」
するとダヌギンは、ぶははははは、と唾を飛ばして笑い出した。そして、「面白い。貴様を食後のデザートにしてくれるわ」と嬉しそうに言った。
ブッチャはテーブルにある紙ナプキンを2、3枚取ると、顔に飛んできたダヌギンの唾をさりげなく拭いた。
「お前は随分な大食漢らしいな、怪人」
ブッチャは使い終わった紙ナプキンをクシャクシャに丸めながら言った。
「ゴッズ精鋭怪人ダヌギンだ」
ダヌギンはドンブリに残っている牛丼を食べながら返した。
ブッチャは椅子にゆったりと座り直すと、「俺も胃袋には自信がある。どうだ? 大食い勝負といくか」と驚きの提案をした。
カナラズの戦士であるブッチャが、このはた迷惑な怪人を店内から追い出してくれるものだとすっかり思い込んで期待していた店員達は、ブッチャのこの明後日な方向を向いた天然発言に思わずひっくり返りそうになった。
しかし当のブッチャはそんな事には一向に気付く気配も見せず、やる気満々で店員に牛丼を注文した。
ブッチャは、フェア精神にのっとり、まずは自分も牛丼を20杯食べてから、改めてダヌギンとの牛丼大食い勝負に臨んだ。
店員達は呆れ返り、最早何も言うまい、と二人の大食漢の大食い勝負を見守ることにした。
負けた方が全ての牛丼代を支払うというルールのもと、ブッチャとダヌギンのこの大食い勝負は、およそ8時間にも渡る長丁場となったようである。