第8話 四葉亭
「夕暮れ……か。
なんとか閉門には間に合ったけどな」
目的の薬草をいくつか見つけてゼーレヴェに帰還した時には、既に日が沈みかけていた。
あの後も飢えた狼に追いかけられたが、まぁ普通に頑張って倒した。
腕食いちぎられかけたがポーション出せるので問題ない。
ちょっと泣いたけど。
帰りは途中まで歩いたが日の傾き加減から間に合わなそうと判断し、ロクスホートに居た馬を生成して乗って帰った。
一応貴族だから乗れるよ、馬ぐらい。
町中で馬を消すわけにはいかないので、生成した馬は街の手前で消した。
出したものは俺の意思一つでどこでも消せるのもこのチートの強みである。
閉門にぎりぎり間に合った他の通行人たちもほっとした表情で街の中へと入っていく。
外壁の外では閉門に間に合わなかった客を狙った屋台が既に展開を始めていた。
夜は外壁の上にある監視所と外壁の外にある兵士たちの駐屯所から兵士が交代で外壁の周囲を見回りする。
閉門に間に合わなくてもゼーレヴェの周囲に居れば魔物に殺されるようなことはない。
流石に相当数の人間がいる場所にゴブリンなんかは近付いてこないしな。
だがゴタゴタに紛れて盗難被害などは発生するので、商人などは全力で閉門に間に合うよう街を目指す。
乗り物は馬車か馬が一般的だが、たまに兵士なんかはリゼルという始祖鳥みたいな走る鳥の魔獣に乗っている。
走る鳥といえば誰もが連想するのはファイナルファンタジーのあいつだろうが、こっちのはまだ半分蜥蜴のままでランポスに羽毛が生えたような奴なので可愛くはない。
それでもちょっと乗ってみたいが、触ったことがないので俺にはまだ生成できない。
ゆるやかな人の波に紛れながら冒険者協会もある商業区の宿場街に足を運ぶ。
ゼーレヴェには東西南北の四つの門に繋がる大通りを挟んで北西に鍛冶屋や錬金術士のアトリエが並ぶ工業区、北東に商店や宿場街のある商業区、南東に住宅街、南西に衛兵の屯所や市庁舎のような公的機関の集まる市政区がある。
また、街の東端はホルム大河の支流に面しており、東門は港のある水門も兼ねている。
冒険者協会は市政区に在ってもおかしくないと思うのだが、冒険者が街の経済活動に貢献しやすいようにという協会の配慮だろうか。
それとも単に協会でも冒険者用の雑貨を扱ってるからかもしれないが。
一人寂しくソシエの手配した小さな宿屋「四葉亭」に帰ってきた俺は、分厚い樫の扉を開けてベルの音に歓迎された。
「お帰りなさい」
カウンターで番をするまだ若い女将に笑顔で迎えられた。
既婚者だがかなりレベル高い。
大和撫子のような雰囲気もあるふんわりとした可愛い雰囲気の女性だ。
あとおっぱいがでかい。大事なことだ。
ソシエ曰く小さくても知る人ぞ知る冒険者に人気の店だというのも頷ける。
この女将がいるだけでも男たちは通いたがるだろう。
ソシエは昔の仲間に会ったときにこの店の評判を聞いたそうだ。
「おぉー若、帰ったか!
飯の用意は出来てるぜ。
で、初仕事はどうだった?」
一応俺の帰りを待っていてくれたらしく、ソシエはラウンジに置かれたテーブルに座って本を読んでいた。
俺の姿を見て取ると椅子から立ち上がり、八重歯を見せながら開けっ広げな笑顔を浮かべて寄ってくる。
「だから若はやめろ。
予想通りだ、ゴブリンに遊ばれて狼にかじられた」
「ひひっ!そりゃ初日から大収穫だな!
あんだけ練習してたらゴブリンぐらいワンパンだと思ってたろ?」
「まさか素手の相手にフェイントも混ぜた突きを全部避けられるとは思わなかった。
ブライアンホークかよあいつは」
「まーたマンガの話かよ。
私にわかる例えを出せよな。プンプン」
「口でプンプンを言う女にはロクな奴がいないって噂は本当だったんだな」
「はっはっは。
絞め殺されたいかァ小僧!」
「うわっ何をするやめろ離せ、ジャッジを呼ぶぞ!」
笑顔でヘッドロックを掛けられた。
この技はプロレスがなくとも世界共通らしい。
本気で痛かったので大人しくタップした。
12歳が元冒険者の大人にヘッドロック極められた状態から勝てるわけもない。
大人げないぞ30歳!
女将から仲の良い姉弟を見るような暖かい目を向けられた。
「お前、消えるのか……?」と心配されそうな気持ちになったので一刻も早くこの場から立ち去りたい。
「流石に既婚者は我慢しろよ若。
この世界では犯罪だぞ?」
「俺の世界でも犯罪だ……。
いいからもう飯食いたい。
腹へった……」
「ほいほい」
こいつの細腕のどこにそんな力があるのか、ヘッドロックから解放されたあと小脇に抱えられて冒険者用の厨房へと拉致される。
庶民的な冒険者用の宿屋では食事を頼むことも出来るが、金がない冒険者でも自炊できるように共用の厨房を貸してもらえるのだ。
この場合材料費以外は安価な維持費と薪代さえ払えばいい。
疲れた冒険者にとって自炊は大変だが、野宿でもやることだ。
駆け出しの貧乏冒険者にとって背に腹は代えられない。
野宿よりは寝るとき屋根があるだけましだ。
「ふんふふんふふ~ん」
鼻歌を唄うソシエに抱えられたまま厨房に入ると、既に初老の男と若い男の二人がテーブルに向かい合って酒を飲んでいた。
足音に気づいてこちらを見た二人がぎょっとした顔をする。
「ソ、ソシエさん!?」
「な、なんじゃお主!
その子を何処からさらってきた!?」
その客たちとの顔合わせは済ませていたようだが、冗談ではなく本気で驚いている様子の二人の顔に思わず吹き出してしまう。
「ぶふっ!そ、ソシエ・・・、お前・・・・」
「あんたら一体私の事を何だと思ってやがらっしゃるんですかねぇ・・・!」
俺が聞きたかった事をソシエが自分で聞いてくれた。
笑顔でオーガも逃げ出しそうな怒気を放つソシエに二人の男がたじたじとなる。
「はじめまして。
今日からこの宿でお世話になるキリエです」
「そういうこった。
さっき言ってたうちの若様だよ」
鼻息も荒くソシエが俺を下ろしたので、自己紹介しつつ一礼する。
「なんだそうか・・・僕はてっきり」
「男に飢えた女狐がとうとう少年をさらってきたのかと思ったわい」
「あ、僕はそこまでは行ってないですからね」
「おぅ!?う、裏切りおったなカイぃい!?」
「なぁるほどねぇ。
爺さん、後でゆっくり話でもしようか?」
「わ、わし歳じゃから早く寝ないといかんからな!
遠慮するぞい!」
カイというらしい細目の柔和な雰囲気の男に一抜けされ、ソシエの怒りの視線を一手に引き受けた顔中古傷だらけの初老の男は大きく手を振った。
そのおどけた様子を見て俺とカイが笑う。
「まったく、こりゃあえらい同居人が来たもんじゃわい」
白いひげもじゃのアゴの下の冷や汗を拭うジェスチャーをする初老の男。
一見強面だが、この場の男連中では彼が一番剽軽なのかもしれない。
「はじめましてキリエくん。
僕はカイ・オージェス。
で、こっちの人が」
「バダン・ドルスキーじゃ。
まぁ同じ釜の飯食うもん同士、老いも若きもない。
これも何かの縁じゃ、よろしく頼むの」
「こちらこそ、若輩ですがご指導ご鞭撻よろしくお願いします」
軽く手をあげて挨拶する男達に、俺はもう一度頭を下げた。
「いやぁ、若いのに礼儀正しいねえ。
年食ってもいつまでもやんちゃなどこぞの爺さんにも見習ってほしいぐらいだよ」
「生涯現役でいるためにはわしぐらいで丁度よいのよ。
ほれ坊主まずは座れ。
料理は狐娘がやるんじゃろ」
肩をすくめておどけてみせるカイと、それを豪快に笑い飛ばすバダン。
どうやら先輩風を吹かせて新人いびりをするような連中ではなさそうだ。
俺のような駆け出しも駆け出しの人間には大変ありがたい環境である。
バダンがゴツい手で椅子を引いてくれたので礼を言ってテーブルを囲った。
「二人共やっぱり冒険者ですよね」
「もちろんじゃ。
この店に泊まる人間はもっぱら冒険者ばかりよ。
あの女将に朝の挨拶をするとその日は死なない、と。
この店の隠れたジンクスがあっての」
「バダンが言い出したんでしょうそれ。
まぁわりとこの宿のみんなも信じてますけどね。
僕も出るときはまずハロさん探しますよ。
気休めでもそういうのあった方が煮詰まったときに気分が楽になりますし」
「あの女将さんはハロさんって言うんですか?
珍しい名前ですね」
「ハルナ・ローラン縮めてハロさんだよ。
あの人の愛称さ。
これもバダンが考えたんですか?」
「いや、わしがEランクじゃった頃にはもうハロと呼ばれておった。
もうニ十年近くも前の話じゃが女将はまったく変わらんのう」
なるほど歴史のある店なんだな、と受け流しかけて思わず立ち上がりそうになった。
「・・・・・え?え!?
女将さんいったいいくつですか!?」
「僕もさすがに初耳ですよ!
あ、あんなに若々しいのに!?」
「ハロ嬢の実年齢はこの店のトップシークレットよ。
本人に聞いてみろ。
さっきの狐娘より朗らかな笑顔で人生の終焉を感じさせてくれるぞい。
経験者は語る、じゃ」
バダンの恐ろしいカミングアウトに俺とカイがごくりと唾を飲む。
「なんでも妖精族、ニンフの血を引いとるらしくての。
連中はわしらより遥かに長生きするのよ。
・・・もしかしたらわしより年上かものう」
「そ、それは・・・」
「あまり考えたくない、かな・・・」
思わず息を飲んで黙り込んだ俺たちの横から、ソシエが食卓へと皿を差し出した。
「レディの年齢詮索するなんざ、紳士としての躾が行き届いてねーなこのトーヘンボク男どもは。
ほれ、ソシエさんの美味しい料理ができたぜ。
噛んで称えろ、飲んで褒めちぎれ」
フサフサの尻尾を立てて無い胸を張るソシエ。
自身に満ちた言葉にたがわず、皿に盛られ湯気を立てるシチューはとても食欲を誘う匂いをしていた。
「おお!こいつは驚いた!
どんな大雑把な料理が出来上がるかと思えばこれは・・・!」
「お世辞抜きでとてもおいしそうですね。
華のないものしか作れない自炊組としては羨ましい限りです」
横から覗き込んで感嘆の声をあげる二人の声を聞きつつ、俺はシチューに木のスプーンをつけた。
口元で冷ましてから口の中へ流し込むと、野菜の甘みと牛乳のまろやかさが溶け合った優しい味がする。
食べれば心まで暖かくなるような見事なシチューだ。
「さすがソシエ。
口を開かなけりゃ超一流メイドだ」
「エグザクトリィ。
お褒めに預かり光栄でございます」
胸の前に手を当て優雅な老執事のようにお辞儀するソシエ。
そう。こいつは粗野な口ぶりに似合わず、ロクスホートのメイドの中でも一、ニを争う女子力を持っていたりするのである。
「ほうほうどれどれ」
「わしらも毒見をしてやろう」
「あ、こらオッサンども!
お前らはもう飯も酒もやったんだろうが!
こら!若の分が無くなるだろ!」
こいつらも無限増殖持ちなんじゃないかと思えるほど、どこからともなくスプーンを取り出して俺の皿からシチューを奪っていく二人。
「あらまーこいつは確かにイケル!」
「正直わしらはお主の事を見くびっとったぞい狐娘」
「やかましいわ!
私の料理が食いたかったらしかるべき材料費を払え!」
自分のシチューをよそって席につくソシエ。
俺たちはこの後も取るに足らない雑談に花を咲かせた。
それはロクスホートとはまた違う、楽しい食卓だった。