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第10話 夜2

 

 

「どいつもこいつも、ひとを夢見る乙女か物凄い知恵持った悪女の女狐みたいに言いやがって。

 誰が若の成長物語なんかに期待してるか。

 私の目的?決まってるだろ。

 玉の輿だよ玉の輿。

 イケメン御曹司でチートな美少年に手篭めにされて、毎日美味しいもの食べてバカみたいにベッドの上であんあん言いながら股濡らして暮らしたいだけですよ、わかる?お・坊・ちゃ・ま。

 食べて欲しいのよ、私。

 貴方のものにしてほしいの」


 濡れた唇で蠱惑的に囁きながら、つつ、と俺の胸板をなぞり上げるソシエ。

 誘うように目を細めて頬にかかる髪をかきあげちろりと可愛らしい舌を覗かせる様は、それだけで達せそうなぐらいに甘美な誘惑で、子供の体であろうと背筋がぞくぞくするほどだ。

 サキュバスもかくやの艶姿に理性が発狂しそうな悲鳴を上げる音が聞こえる。

 が、それでも俺は挑発に乗るわけにいかなかった。


「嘘だね。

 だったらアインで良かっただろ。

 お前がそんなやつならな。

 そもそも俺はもう御曹司でもなんでもないしな」


 ソシエの瞳が、凍りつく。

 一瞬外れた仮面のあと貼り付けたのは、より残忍で狡猾な女の顔だ。


「・・・・・ばーか。

 あいつはロクスホートの嫡男で、将来はお姫様みたいな嫁さんとお家の為に結婚するのが決まってる。

 私なんて遊びに決まってるだろ?

 メイドと本気でくっつく貴族なんていねーよ。

 でもキリエ坊ちゃんなら自由の身だし?

 ワンチャンあるかと思ってるんですよ。

 どう?私、案外いい締まりだぜ?」


 耳元に唇を寄せ甘い声で囁くソシエ。

 だがそんな薄っぺらい言葉なんてほとんど頭に入ってこない。

 これが三文芝居にも劣るひどい茶番だなんてお互いに分かっている。

 言ってることが支離滅裂だってことも。

 けど、それでも互いに正反対の事を通したがっている。

 自分の本心も掴めないまま、それに蓋をしてこれでいいんだと言おうとしている。


「いらねえ。

 俺のチートだのいろんな事知りすぎてるし、おっかなくてそばに置いときたくない。

 いなくなってくれるとせいせいする」


「もし私から逃げようものなら、チートでもなんでも言いふらしてやる。

 そうなりゃもう普通には暮らせないね。

 だからアンタは私を連れて行くしかない」


「へっ、んなもん誰も信じないでしょーね。

 そもそもお前にんなことできねーよ」


「・・・・若、それ自分で言ってること矛盾してるってわかってる?」


「・・・・・・・・・・。」


「ぶふっ・・・・・くくふふふ!

 ――――あはははは!」


 一瞬の沈黙のあと口元を抑えて小さく吹き出すソシエ。

 ソシエの指摘する破綻に気づいた俺は心の中で舌打ちした。


「私が若のこと他人に喋ったりできない女だと思ってるのに、知りすぎてるから置いときたくない?

 どういうこと?

 そんだけ信用してるなら安牌じゃん」


「お前こそ、あんな雑な嘘で本心隠せると思うなよ」


 薄笑いを浮かべながら俺の瞳を覗き込むソシエと、その翡翠のような瞳を仏頂面で睨み返す俺。

 先に沈黙を破ったのはソシエだった。

 髪をかきあげると、疲れたように薄目で笑う。


「・・・・・やっぱり無理だね。

 臭い芝居で騙すには、私たちはお互いの事を長い間見過ぎてるよ」


 小さな、けれど深い溜め息をついたソシエは体を傾け、ゆっくり俺の上へと落ちてきた。

 全身を暖かくて柔らかい幸福な感触が包む。

 風呂上がりのしっとりした肌は汗か湯かで少し濡れていて、下にいる俺は蒸されているようでもあった。

 首元にあるソシエの頭が息をすると、生暖かい吐息が首の回りに広がってくすぐったい。


「ふふっ、やだ、坊っちゃまびんかーん。

 すぅ……はぁ……あー……坊っちゃんの匂いだー……。

 汗かいてるから濃いねー」


「か、嗅ぐな!」


 普段なら気にしないが、すぐそばで臭いを指摘されてそのまま顔を埋められてると流石に恥ずかしい。

 顔の回りにさらに血が集まるのを感じる。


「やーだよ。

 どれどれ、こっちはどうかな……?」


 もぞもぞとソシエの頭と体が俺の上でずり下がる。

 密着したままの柔らかい体が動くと、一際柔らかい部分や骨のある固い部分の感覚がますます強調されて、それ一つとっても全身の神経が溶けそうなほど甘い。

 ずり下がったことでめくれたソシエの腹の肌の感触が、俺の服一枚を通して伝わってくるのも凶器のようだった。


 そして何より、屋敷で幼い俺の世話をしていたときのような優しい口調が、今の俺には一番の毒だった。

 冒険者だったころの粗野な口調もメイドとしての澄ました口調も彼女のものだとわかっているが、この口調が一番、俺の前でしか見せない表情を覗いている気がする。


「ふふ……坊っちゃんの心臓どきどきしてる。

 すっごく元気だよ。

 この音なら私、嫌われてないよね。良かった。

 あー、ずっと聞いてたいなぁ……」


 囁くように言ったソシエの言葉が、お互いの身体を伝ってくすぐるように登ってくる。

 ソシエは本当に心臓の音に耳を傾けているのか、浸るように黙ってじっとしていた。


「お前……」


「ねえ。本当の事を言おうか、坊っちゃん。

 お互いに。

 やっぱり嘘が通じないのはわかったしさ。

 それでも嘘で騙せたら良かったのにって思うけど。

 言わないとこの夜は終わらない。

 私はそれでもいいけど、坊っちゃんは困るでしょ?

 せーので、ね?」


 自分でも何と言おうとしたのかわからない俺の言葉を遮るように、胸元に頭を置いたままソシエはそう提案した。


「せーの」


 小さな女の子が打ち明け話をする時のように可愛らしく、その合図は出された。

 彼女が提案するままに言っていいのかと思ったが、どのみち他に言うべき言葉もないのだ。


「ついてくるな」なんて言わないで」


 俺の声に被せるように彼女の言葉が聞こえた。

 陳腐な言葉ではあったけれど、使う表現までお見通しか。

 あぁ、これは勝てない戦いかもしれないな、と心底思った。

 彼女にはやっぱり敵わない。


 それでも伝えないわけにはいかないけれど。


「あの家に帰れ、ソシエ。

 お前が俺についてきても良いことなんて一つもない。

 あの家は12年以上一緒にいたお前の家族だろ!

 こんな奴のためにせっかくできた家族を捨てるなんてどうかしてる」


「……そうだね。

 ガイスト様もクロード様もこんな私を拾ってくれたし、目をかけてくれた。

 あの家の子供たちはみんな私を本当の姉のように慕ってくれた。

 嫌な人達も居たけれど、老いも若きもメイド達はみんなあの家を守る兵士達で、戦友。

 私なんかに恋をしてくれた王子様もいた。

 ……………でもね」


 やめろ。

 それ以上言うな。聞きたくない。

 俺は意志が弱い馬鹿なヒキオタだ。

 正解を選ぶ自信がない。

 貴方の勇気を、愚かな決断をそれでも守ってやる自信がないんだ。


「私が好きなのは、貴方。

 私を守ってくれたあの日から。

 私を救ってくれたあの日から。

 私に優しい言葉をかけてくれたいつからか。

 悪い蜘蛛に絡め取られた籠の鳥。

 私は卑怯で恩知らずな女だから、この決断に後悔なんてない。後悔なんてしない。

 それにきっと貴方は、私を後悔させずにいてくれる」


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