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第9話 夜

 

 

「あれ?若ってば何やってんの?」


 俺が部屋の机で書き物をしていると、風呂から上がったソシエが紅の濃くなった髪をタオルで拭きながら部屋に入ってくる。

 以外な事にこの世界には普通に入浴の習慣があった。

 とはいえ流石に現代のように毎日入れるというほどでもないが。

 入浴という概念は確立されているので、魔法で炎と氷を作って奴隷の少女を関心させるというのは無理そうである。


「ちょっと日記をつけてるだけだ。

 もうすぐ終わるから邪魔するな」


「ほえー。日記かぁ。

 随分と殊勝な心がけじゃん。

 ずぼらな若らしくないねぇ」


「だから若だの坊っちゃんだのはやめろっての。

 いくらお家再興狙いの没落貴族とメイドを名乗るように打ち合わせしたとはいえ、普段から言ってるのは不必要に目立つ。

 この日記は後で行き詰まったときに見返す用だ。

 ゴブリンと取っ組み合いしただけの話でも、気付いたことを積み重ねて記録に残しておけば後々何か戦闘の参考ぐらいにはならないかと思っただけだ」


「ふーん、真面目じゃーん。らしくもない。

 チート使って働かずに遊びたいだけなんじゃなかったの?

 別に私はそれでもいいと思うんだけどなー。

 チートで緩く楽しく暮らそうぜ?

 身の回りの世話は私がしてやるからさ」


 ぽすっ、と机に向かっていた頭の後ろに柔らかな重みが覆い被さってくる。

 背もたれのない椅子なのでお互いの体が直接密着して、後ろから抱きついたソシエの仄かな体温を感じた。


「俺はずっとそのつもりだ。

 が、天使に追いかけ回されるのも侵攻してきた魔族に食われるのも嫌だからな。

 ちょっと準備しておけば無惨に死ななくて済むかもしれないなら、その気休めを心の拠り所にしてもいいだろ。

 俺って奴は心底どうしようもないビビりだからな」


「ふっふーん?

 強い強ーいキリエ坊っちゃんなのに何を怖がってらっしゃるんでしょーねぇ?

 可愛いお姉ちゃんがよしよししてあげよーかぁ?」


 人の話を聞いてるのかいないのか、勝手に人の頭をくしゃくしゃと撫で回すソシエ。


「いいから、日記が書きづらいからそこをどけ。

 子供扱いするな俺はお前より年上だ」


「ふふん、ばぁーか。

 おしめまで取り替えてもらってた相手に今さら何年上ぶってんだよ。

 私にとっちゃアンタはまだ12のガキだ。

 確かにガキの頃からぐーたらで無愛想だったけど。

 ……何言われてもそれは変わらねーからな」


「けどな、ソシエッタ。

 ここにいるのは確かに今でこそ、そこそこ見れるナリをしてる子供だけど。

 本当はオークみたいに不細工ででっぷり腹の、顔中脂ぎった息の臭いおっさんだ。

 イケメンになびく現実の女より絵の中の思い通りになる美少女が好きで、日夜妄想してた美少女の奴隷を買って調教する夢を他人からもらったチートで実現させる為に努力している変態なんだ。

 知ってるだろ、言ったはずだ。

 お前自分の意思でそんなやつに付いてくつもりか?」


「わー、そいつはひどい。

 なるほど、救いようのないえんがちょだなー。

 けど、今ここで私の手の中にいるのは、死んだそいつとは違うよ。

 私が12年間毎日世話して見てきた髪の毛サラッサラの銀髪な大貴族生まれの貴公子で、将来は王様も夢じゃない有望な能力を持ってて、しかも世のお姉さま方が目をハートにして家に持ち帰りたくなるような美少年だ。

 おまけに生きるための努力だってちゃんとしてる。

 ほら見ろよこれ、お肌もしっとりもちもちのつるつるだ。

 むきたての茹で玉子みたいだぞ?

 ほらむにむにー」


 言いながら指先で軽く俺の頬を引っ張る。


「そりゃチート引き当てた時に、悪さしないよう天使と色々交渉したからな。

 奴隷にする美少女に嫌われないよう、イケメンの家系に転生させてもらった甲斐があったってもんだ」


「うんうんそいつはグッドだ。

 天使様もなかなかいい趣味してるじゃねーか。

 案外むっつりだぜきっと」


「あのなソシエ」


 どうあっても俺の頭の上からあごをどかせるつもりがないらしい、今年で30才になるはずのフォークテイルの娘さんに俺はため息をついた。


「本当にお前、なんでついて来たんだ。

 俺はチート使ってやりたい放題したいだけって知ってるだろ。

 大義も名分もなけりゃ、善意も慈悲もない。

 あるのは性欲と野心と、コンプレックスを払拭したいっていうどうしようもないコンプレックスだけだ。

 お前や爺さんが期待してるような、将来有望な少年の成長物語はどこにもねーよ。

 俺は30過ぎて未だに童貞こじらせてる救いようのないおっさんだ」


「なんだよ今さら。

 そんなこと百も承知だしー。

 あんなにノリノリで芝居させて連れてきたのにもうハシゴ外すのか?」


「あーそうだ。その通り。

 丁度良かったから利用しただけで、勝手についてきたメイドなんぞいつでも捨てるよ。

 中身はヒキオタニートのクソヤロウだからな。

 だから今ならあんな頭のおかしい世間知らずのボンボンにはやっぱり付き合いきれません、私の目が間違ってましたと頭下げるだけで大貴族のメイドに戻れるぞ?

 お前、あの家で一番偉い爺さんに気に入られてるし、ご機嫌とれるし仕事もちゃんとこなすから親父たちにも重宝されて将来安泰だろうが」


「そんな中二病なこと言っちゃってる若も嫌いではないぜ。

 それに童貞のお坊っちゃんは知らないのかもしれないが、結局女が一番憧れる将来安泰はイケメン御曹司捕まえることさ。

 いくら気に入られてもあの爺さんはもう結婚できねーしする気もねーよ。

 あれで案外愛妻家だしな」


「自分で言ってて虚しくならねえの?

 お前に惚れてたイケメン御曹司がいるだろうが」


「・・・それ以上言ったら温厚な私でも怒るぞ。

 激おこだぞ」


「…………ロクスホートに戻ってアインとヨリ戻しゃいいだろ。

 あいつは今でもお前に惚れてるぞ?

 童貞の俺でもわかる」


「……っ!あーもう怒った!

 これはお仕置きのお時間ですね!

 覚悟しろよ坊っちゃん!

 朝までフルコースだぜ!」


「ちょ!おま!

 何しやがる、物理は反則だろ!?」


 バックドロップするように両手を組んで、俺をテディベアか何かのようにあっさりと持ち上げるソシエ。

 軽くなった体重が今だけは恨めしい。


「ええいじたばたするな!

 宿屋だぞ!筒抜けだぞ!

 昨晩はお楽しみでしたねって言われるぞ!

 ああ、これは既成事実確定ですね!」


「じゃあ離せ!

 まったく何がしたいんだお前は!」


「決まってんだろ!」


 ソシエの叫びと共に感じる一瞬の浮遊感。


「なっ、馬鹿!」


 ほんの数秒解放された直後に感じる急激な重力。

 俺はソシエに抱えられたままベッドに飛び込んだ。


 ベッドには布団が敷いてあるものの、現代のようにバネ仕掛けになってるわけじゃない。底板はただの堅い木の板だ。

 叩き付けられた衝撃に一瞬息が詰まる。

 だが俺はクッションにするべきでないものを間に挟んだおかげでまだましのはずだ。

 俺の下で「ぐえ」なんてあからさまな声を出したバカよりはずっと。


「うえっほ!――げっほ!」


「このアホたん!!

 子供とはいえ訓練で筋力つけてる男の下敷きになればそりゃむせるわ!

 大丈夫か!?」


 慌てて身を起こし体を丸めるソシエの背中をさする。

 その姿には普段のやり手な姉御気取りや無理矢理さばさば系の雑女みたいな範囲気はなく、まるで15かそこらの体の弱い喘息の小娘みたいだった。


「うー……ばか、重いぞ!」


「馬鹿はお前だ。

 ホント、何がしたいんだ」

 

 冷静ぶった返しをしているものの、顔を赤くして涙目の上目遣いで睨んでくる、紛れもなく美少女なその顔にドキリとしたのは墓まで持ってく秘密にしたい。

 突然の珍行に本気で困惑しつつもポンポンと軽く背中を叩いてやると、ようやく少しは楽になったのか俺の肩に手が伸びてきた。

 支えにして起き上がりたいのかと思ってされるがままにしてやったのだが、予想以上の力で引っ張られベッドに倒れ込む。

 逆にソシエは起き上がって俺の真上にのし掛かり、ちょうど馬乗りになられた形だ。


「ぶべっ!?

 お、お前ひとが心配して、せっかく少しは優しくしてやってんのになぁ……!」


「どこが優しいんだよバカ御曹司。

 お前のはビビってるだけだろうが」


「っバカ、近い近い!」


「近くしてんの。」


 下腹部の上に感じる柔らかな重みと心地よい体温。

 爛々と燃えるように光る瞳に至近距離から睨まれ、呼吸さえまともに吐き出していいのかわからなくなる。

 机に置かれたランプ一つの薄明かりの中で、そこだけが怪しく光る翠玉の瞳から魔法にかかったように目を離せなくなってしまった。


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