■ 前 編
”鯛焼き公園で、放課後 待ってます。
2月14日 ”
その日、いつものように登校し、靴箱前に立って内履きを掴もうとした指先に
最初に触れたのは水色の小さな手紙が入った封筒だった。
背中を丸め、思わずクスリ。笑ってしまったハヤト。
『 いつの間に ”鯛焼き公園 ”て名前になったんだ? あそこ・・・。』
バレンタインデーの朝。
靴箱に入っていた手紙には差出人の名前はないけれど、誰か分からないはずは
なく言葉多くはないけれど几帳面なミノリの文字に、ハヤトは緩む頬を抑えら
れずにその2月14日という日をスタートさせていた。
1月下旬くらいから少しずつ少しずつ、なんとなしにバレンタインの件は
匂わせていたハヤト。
ミノリから、チョコレートを貰えないはずはない。
それにもう付き合っているのだから、例えば ”バレンタインデート ”
するとかなにか少しだけ特別なことをするとか、ふたりで予定を立てたいと
思っていたのだ。
(ぅぅぅううウチに、来る・・・・・とか。
そんなんでも、・・・いいんじゃ、ない、かねぇ・・・。
まぁ、・・・・100パー・・・・ 無理、だな・・・。)
不埒なピンク色の妄想が膨らむばかりのハヤトを余所に、ミノリは
バレンタインの話をしようとすると何故か必ず話を逸らした。
あまり自分から言い過ぎるのも、まるで催促しているみたいで格好悪いので
ハヤトも、
”バレンタインの事なんかそう言えばすっかり全然忘れてたわ~顔 ”
を必死に作っていた。
放課後、ハヤトはいつもの癖で3-Dのミノリの教室へ一緒に帰るために迎えに
行きかけ『ぁ。』 途中で気付いて立ち止まる。
(鯛焼き公園、行くんだった・・・。)
廊下でひとり、クルっと廻れ右をして、ちょっと恥ずかしそうに小走りで
昇降口へ向かった。
校庭脇のいつもの通学路を足早に進む。
冬空の下の校庭は、踏み締める運動部の足跡もつかないため、真っ白な雪が
絨毯のようにキレイに積もっている。
春先までは土の色を見ることは出来ないそれに、少しだけ寂しさを漂わす、
冬季は使われないサッカーのゴールポストが、ぽつんと。
ふと、去年の2月14日を思い出す。
今でもあの日を思うと、容赦なく胸をえぐる痛みが甦った。
ミノリを傷つけた日。
ミノリを泣かせた日。
そして、ミノリを公園でひとり待った日。
あれから1年経って、今、またあの公園にハヤトは向かっていた。
グレーがかったうら寂しげな冬空からは、静かに静かにささめ雪が降る。
幾つもの足が踏み進んだ積み雪はしっかりと道を成し、ハヤトをミノリの
待つ公園へとまっすぐいざなう。
外気の冷たさに頬がチクチク痛い。
少し猫背気味に首をすくめ、ダッフルコートの襟元をしっかり閉じた。
見えてきた公園は、雪の白色と枯れ木の朽葉色、2色だけの世界。
その中にポツンと、小さな小さな赤色が見える。
そこだけ浮かび上がって、際立って、眩しいほどだった。
思わず駆け出したハヤト。
まるで、ずっと会っていなかったかの様な気持ちになっていた。
雪道に足を取られつんのめり、思うようには早く進めず気持ちだけが
急いてゆく。
(早く、会いたい・・・。)
公園入口にやっと辿り着く。
走ったために乱れた呼吸を一旦整え、制服ズボンの裾についた雪を払った。
奥まった位置にあるベンチにちょこんと腰掛ける赤い傘を確かめると、
再び雪道を蹴って駆け出したハヤト。
寒さで赤い頬も、口許も、嬉しさにすっかり緩んでいる。
『手紙・・・ わたしだって、分かった?』
走ってやって来たハヤトを、ミノリがクスクスと愉しそうに笑って見つめる。
『ぜーんぜん、分かんなかったー。
誰に告られんのかと、ワクワクしてたのにー。
なーんだ、ミノリかー。』
『じゃぁ、いいよ! あげないからっ!!』
ふたりで顔を見合わせ笑い合う。
雪が舞う野外の公園だというのに、何故だかふたりになった途端、寒さは一切
感じなくなっていた。
今日一日、何故か一度も姿を見掛けなかったミノリ。
いつも廊下や体育館や移動教室で少なくとも一日一度は見掛けるのに。
『今日さ、一回も見掛けなかった・・・。』
ハヤトが不思議そうに、気になっていた事を口にしてみると、
『必死に見られないように隠れてたからね。』 とミノリが肩をすくめて笑う。
『 ”会いたいな ”って思ってもらえるかな~、と思って・・・。』
恥ずかしそうに目を伏せてクスクス笑っている。
『どうだった?』 ミノリが悪戯にハヤトを覗き込む。
『・・・大成功じゃね?』
まんまとその作戦にハマった一日だったという訳だ。
ふたり並んで、雪を払ったベンチに座る。
遊ぶ子供のいない公園遊具には、まっさらな雪がやさしく降り積もる。
ほんの少し、コート越しの二の腕と膝を互い触れ合って座るその距離。
足元にはハヤトのスノーブーツと、ミノリのムートンブーツが仲良く並ぶ。
ミノリが膝の上に置いた布トートバッグから、薄桃色の包みを取り出した。
そして、それを両手で持ってにこやかにハヤトへ差し出す。
『チョコレート、受け取って下さい。』
頬を緩め嬉しそうに笑うハヤトへ、ミノリが続ける。
『このチョコは、ね・・・ 高1のわたしから。』
『ん?』 首を傾げるハヤトへ、ミノリが言う。
『ぁ、と言っても。 別に2年前のを持ってきたんじゃないよ?
1年生のときも渡したくて作ったんだけど、渡せなくて・・・
その時のレシピ残ってたから、また作ったの。
ちなみに、渡せなかった手紙も入ってるから・・・
・・・手紙は帰ってから読んでよっ!!』
ハヤトが手の平の包みに目を落とし、なにも言えず口をつぐんでいると
『で、コレは。 去年のわたしから・・・。』
赤い包みがハヤトの手の平に乗せられた。
あの日、この公園で受け取るはずだったチョコレート。
あの朝に靴箱に入っていたミノリからの手紙は、今でも大切にしまってある。
『・・・ありがと・・・。』
(ヤバい・・・ 泣きそう・・・。)
『そして、コレが今年の分。』 そう言って屈託のない笑顔を向け、
水色の包みを差し出した。
『・・・・・・・・。』
声が出せないでいるハヤト。
3年分の想いに胸がいっぱいで、気を抜くと泣きそうで。
『ハーヤートっ??』 俯いているハヤトを覗き込むようにミノリが見つめる。
そして、クスクスと笑いながらハヤトの左手をにぎった。
ミノリの手があたたかすぎて、やさしすぎて、泣きたくなる。
泣く理由には弱いだろうか。
泣いたらまた笑われてしまうだろうか。
するとミノリは、泣きそうに喉元を強張らせ何も言えないでいるハヤトを
やさしく見つめた。
目を細め微笑んで、そっとハヤトの左耳に小さく耳打ちをする。
(・・・・・・・・。)
ハヤトの頬に、堪えられなくて雫がこぼれた。
小さく肩は震え、3年分のチョコは宝物のように胸に抱いて。
そんなハヤトに、やわらかい眼差しを向けるミノリ。
ハヤトの肩に手を乗せ少しだけ身を乗り出すと、涙つたうその冷えた頬に
唇を寄せ小さくキスをした。
『3年かかって、やっと。 ハヤトにチョコ渡せた・・・。』
そう言うミノリの顔は、凛としてどこか誇らしげに輝いていた。