箱
「ちょっとよろしいですか」
と。
振り向くと現代日本に似つかわしくない黒いローブが目に入り、思わず身構えた。
顔は隠れている。
中性的な声のせいで性別すらわからん。
もしかしてこれがコスプレイヤーという奴なのか、なんて思ったらそう警戒するものでもないか、という気もしてくる。
「なんでしょうか」
と、とりあえず返事をしてみる。
彼か彼女か知らないが、その人は懐をまさぐって何やら箱のようなもの、いや箱か、箱を取り出して見せた。
立方体の形をした、毒々しい色の装飾が施された重そうな箱であった。
「これをご覧になってください」
「見てますが」
「いえ、そうではなくて、中身を。今開けます」
カチャッ。
「さぁ、ご覧ください」
「何が入ってるんです」
「見ればわかります。ささ、どうぞ」
ひょい、と上から見せてもらうと、ミニチュアの部屋が入っていた。
こげ茶色が多めの、何だったか、クラシックとでも言うんだったか、そんな部屋だ。
インテリアとかの知識はないが、何となくいい雰囲気の部屋だとは思った。
「いい雰囲気の部屋だと思いますけど、その、なんでこれを僕に見せて見せてくれたんですかね」
と顔を上げると、目の前は壁だった。
クラシック調の。
嫌な予感はしてたんだけどねぇ。
振り返ると案の定クラシックな部屋だった。
そして灰色のスーツの50代くらいの男性が椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。
男性はこちらに気付くとカップを持ち上げて「やあ、どうも」と声をかけてきた。
「どうも」
と返す。
「君も気付いたらここにいたって感じかな。まあとりあえずそこに座ったらどうだい」
この人もそうなのか。
「では失礼します」
男性とテーブルを挟んだ向かいの席に座らせてもらう。
「随分と落ち着いてらっしゃいますね」
「ハハハ、まあここまで現実離れしていると焦るのも忘れるものさ」
「ところで、今起こっていることについて何かご存知ありませんか」
「いや、多分君と同じことしか知らないだろうな。私はローブを着た奴に突然話しかけられて、箱の中を見ろと言うんで見てみたらここに瞬間移動していた、という流れだよ。君の方はどうだい」
「同じです」
「そうか、だがまあ今のところ命は安全だろうし、焦ることはないさ」
「安全なんですか」
「わざわざ閉じ込めるのだから何か我々に利用価値があるんではないかな。それにその辺に食べ物や飲み物も置いてあるし、私はどちらかというと、ここは待合室のように感じられるかな。まあ何にせよ何か動きがあるのを待つしかないだろう。君が来る前に部屋を一通り調べたけど特別なものは無かったしね」
「そうですか」
もっともだ。
気長に待つとしようか。
「コーヒー以外に何か飲み物はありましたか」
「コーヒーは苦手かい。それならそこの棚に紅茶があったはずだ」
棚を上げるとティーバッグがあった。
その隣にクッキーも。
雰囲気のある部屋なもんで、茶葉が置いてあるんじゃ、入れ方なんて知らないぞなどと考えていたのは取り越し苦労だったようだ。
「ポットはそこにあるよ」
指差す先を見るとポットがあった。
電気ポットかい。
雰囲気ぶち壊し。
その前に電気が通ってたことが驚きだった。
驚きつつ紅茶を入れて席に戻る。
クッキーをつまみながら紅茶をいただく。
うまい。
少し沈黙が続いたところで、男性が
「もし暇ならチェスでもしないかい」
と切り出してきた。
チェスもあるのか、この部屋は。
「いいですよ」
男性は紅茶のとは別の棚からチェスセットを取り出した。
そしてそれをこちらに持って来ようとした時、男性の席にローブが座っていた。
「うわっ」
男性も同じような声をあげていた。
「いや、突然すみませんね。あなたはやっぱりいいや。元のところに返して差し上げます」
とローブはこちらを指差した。
なんとまあ、気まぐれにも程があるってもんだ。
男性が、
「あの、私は」
と言うと、ローブは食い気味に
「あなたはここでお待ちください」
と両手の平を男性に向けた。
「あれ、そうですか」
「はい、そうです」
ローブはこちらに向き直して懐から箱を取り出す。
「では、この箱を見てください」
「見てますよ」
「いえ、中身を」
ここで男性のことが気になった。
男性の方をチラッと見ようとする前に男性が口を開いた。
「いや、何とも間の悪い人ですね。今、私とそこの方でチェスをしようとしていたのですがね。私はここに残ってあげるのですから、せめて一局くらいさせて貰えませんかね」
「えぇ、んー。仕方ないですねぇ。では一局だけ」
「ハハハ、どうもどうも」
ということで男性と、ローブに見られながらチェスをする事になった。
と言ってもチェスは出来こそするが強くはないので男性に駒を次々取られていく。
クイーンを取られたところで負けが見えてきた。
「ハハハ、チェックメイト」
ううむ、鮮やかに負けた。
「はい、ではこの箱の中身を見てください」
と間髪入れずにローブが言う。
んん、何というか、ひとり残される男性が不憫だ。
「あの、ここに残ってもいいですか」
「え…、まあいいですけど。いても邪魔になるわけではないですし。いや、私はてっきり帰りたいのだと思ってましたよ」
「いやいや、その方は私に気を使っているんですよ」
続いて男性はこちらに言った。
「いやなに、そんなに気にしなくていいさ。このローブの人も悪い人じゃなさそうだし。それに気を使わせて君をここに残してしまう事の方が私には酷ってものだよ。君は心置きなく帰ってくれ」
「さすがにそう言われたら帰るしかないですね」
「じゃあ、結局帰るんですね。紛らわしいなあ。では改めて。この箱の中を見てください」
じゃあ最後に男性に挨拶しておこう。
「では、お邪魔しました」
「ハハハ、またいつかね」
ひょい、と上から見せてもらうと……さて、何が見えたでしょう。