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私達は夏期講習の時の友人の話や講師の噂話などに笑い声をあげる。
美咲はそんな中、私が持ってきたゼリーの箱を開けた。かわいいカップに色とりどりのゼリーが並んでいた。
「わあ、おいしそう。早速いただいていい?」
「もちろん」
美咲が皿を取りに台所へ立つ。
「なんか手伝おうか」
と、声をかけた。
「あ、じゃあ、その棚の引き出しに入っているアイスクリームのスプーンを出してもらえるかな。右の引き出しに入ってるから」
「うん」
応接間のソファの横に、立派な食器棚があった。中にはワイングラスや高級そうなティーカップも並んでいる。言われた通りにその引き出しに手をかけた。中には銀色の少し平たい形のスプーンが、きちんと並んでいた。
それを手にした時、私の肌が粟立った。顔と肩にかけてぞくりとした。まるで後ろから冷たい手でうなじから顔を撫でられたかのように。この肌の粟立ち方は霊? 近くにいるってこと?
思わず辺りを見回した。後ろにはいない。
美咲が皿とアイスクリームを手にして入ってきた。聡がもう飲んでしまったフラッペチーノの容器を片づけている。
気のせいかとも思ったが、今もソレは私を見ている。それを感じていた。どこから見ているのだろう。
スプーンを手にしながら立ち尽くしていた。
まさか、目の前?
私はふと、目の前の食器棚の奥を見た。そう、ソレと目があった。
「見つかった?」
美咲がそう声をかけてくれたから、金縛りにならずにすんだ。すぐさま、そこを離れる。
「うん、これでしょ」
三本を手にしてソファに座る。
「すっげえな、アイスクリーム専用のスプーンか。オレんちなんてカレーを食べるスプーンで食うぜ。全部使いまわしだ」
少し大げさな物言いに私達は笑う。
「うちだって普段はそうよ。でもたまのお客さんには使わないと、ずっとそこにおいてあることになるでしょ。使ってあげないとかわいそうじゃない」
ずっとそこに・・・・・・。
そんな言葉にも反応していた。
そう、ソレはずっとそこにいたのか。いつからだろう。どうしてこんなところに、そのまま居続けるのか。
なぜかその響きに物悲しさを感じた。ずっとそこにいたのに、気づかれなかった。誰もわかってもらえない存在。
美咲はゼリーを皿に移し、アイスクリームを添える。
それをなんでもない顔をして受け取ったが、私の意識は、横の食器棚の視線に集中していた。一度気づいた視線からは逃れられない。得体のしれないモノに見つめられていた。そしてさらに、その視線を送ってくるモノも私に興味を持ったらしい。なぜ私だけ、その存在がわかるのか。一体、何者なのだろうという意識なんだろう。全身がぶるっと震えた。
「あ、どうしたの。こぼれてる」
私のスプーンからすくったアイスクリームが溶けてテーブルにこぼれていた。
「ごめん。ぼんやりしてた」
そう言って慌ててフキンでテーブルを拭く。それでも視線は送られてきていた。
「ぼんやりはいつものことだろっ」
聡が毒づくが、そんなことにかまっていられなかった。
いつもならおいしいと思えるアイスクリームも溶けてしまうと甘味の強い液体だ。いつもより喉が渇いていた。
「美咲、悪いけどお水、もらえる?」
「うん、麦茶でいいかな。ギンギンに冷えてるのがあるから」
「うん、ありがと」
「じゃ、食器棚のコップ、取ってくれる?」
美咲がそう言って台所へ行った。
私は全身に力をいれ、視線を送ってくる食器棚の前に立つ。観音開きのガラス戸を開けた。綺麗にそろっているコップを手にした。
その向こうに、二つの目がこっちを見ていた。好奇心いっぱいにあふれているのがわかる。その目じりに小さなほくろ。
けど、それは一瞬のことで、よく見直すともうその目は見えなかった。これが母なら鮮明に見えるんだろうな。そしてその声まで聞こえちゃうのかもしれない。わからないなら無害なんだろうけど、私のこの曖昧な霊感は、ちらちら見え隠れして私自身も落ち着かない。
「ねえ、奈緒と聡くんってどのくらいつきあってるの」
美咲に急にそう言われて滑稽なくらい唖然とし、私達は顔を見合わせた。
「私達、そんなんじゃないよね」
「あ、まあ・・・・・・」
聡が口をつぐむ。私は慌てていた。もっと否定してほしいのに。
「だから、いつも言ってるでしょ。ずっと小学校の時から一緒で、つきあってなんかないよ」
そう言っていた。
美咲は、私の言葉に嘘はないか、吟味するかのように見た。
ギクリとした。その顔にはいつもの人懐っこい美咲じゃない一面が見られたからだ。
「本当にそうなの? 二人を見ているとすっごくいい感じだからうらやましかったの。私、中学まで彼氏がいたけど、別の高校に行っちゃって別れちゃった。聡くんみたいに背も高くて優しくてカッコよかった。聡くんを見ていると彼のことを思い出しちゃうから」
「ええっ、聡が格好いいっって? うっそでしょ」
大げさに表現していた。口ではそんなふうに否定していた。でもそれは嘘だった。
聡は子供から大人へと成長し、時々私を戸惑わせるくらい素敵に思える。近くで話したり、以前のように手が触れただけでもどきりとした。今まですぐ目の前に視線を感じていたのが、いつの間にか上から見下ろされ、聡が私の横にいてくれると守られているような安心感があった。
そんな体の成長と私達の精神的な成長は追いついていないようで、特に私はそれを大げさに否定していた。気恥ずかしい、ただそれだけだった。
「確かに背は高くなったわね」
そういうと聡も負けてはいない。
「えっ、奈緒、最近お前、ドンドン縮んでいたのかと思ってた。ああ、オレの背が伸びたのか」
そんなことを言って、うっしっしと笑う聡。
「もうっ、そんなことばかり言うんだからっ。聡、今日はうちに寄らないで帰ってもいいわ」
「ええ~っ、奈緒のお母さんの手料理、食べたい。お母さんが誘ってくれたんだろっ、絶対に行く。奈緒がなんて言っても行くっ」
私達は美咲の前でいつものやり取りをしていた。
「いいな、そういうのがうらやましいの」
美咲はポツリと言った。
それからなぜか私達は気まずい雰囲気になっていた。急に美咲がふさぎ込んだのだ。なにかを怒っているようなそんな感じ。
すると食器棚の目がこっちを睨んでいるように思えた。この目は美咲の感情に左右されているらしい。
そう、一度そっちの世界に触れるとどんどんわかってしまう。
いけない、波動が落ちている。なぜなのかわからないが、今の美咲から発せられる氣はネガティブなもの。こういう雰囲気になるとマイナスの念に引き寄せられて、他の悪いモノまでが近寄ってくるから。
私は、その雰囲気を変えるために、いきなり食べ物の話をした。
先週行ったばかりのスパゲッティ屋の話、すごくおいしかったからだ。人はおいしいものを食べる時、幸せの因子が働く。私もその時のことを思い出して、良い氣を意識して発っした。
スパゲッティの話をすると美咲の表情も明るくなった。こんな変わった和風のトッピングがあったとか、イカ墨のスパゲッティには興味はあるが、お歯黒のようになるらしいなどの話で私達は笑った。
よかった。これでネガティブ因子が吹っ飛んだ。あの食器棚の目を見ると、今は穏やかにしていた。
夕方になり、そろそろ帰ろうという時間まで、私はその視線を感じていた。
「遅くまでお邪魔しました」
玄関先で靴を履いた。外はまだ暑そうだ。けどあの視線から逃れられる。
「いいの。お姉ちゃん、仕事でいつも遅いの。私は自分の分だけご飯作って食べて、お風呂に入って寝るだけだから」
美咲はそう言いながらも淋しそうだ。
「一人で怖くない? こんな大きな家だから」
ちょっと聞いてみた。もしも美咲が、あの視線を感じていたなら怖く感じる時もあるだろうから。
けど美咲は首を振った。
「怖くないよ。誰もいない時ってゲームやテレビ、し放題だし、見放題でしょ。冷房ガンガンにきかせて毛布かぶって寝ちゃうし」
そう言って笑った。その笑顔には嘘はなさそうだった。
私達は美咲の家を後にした。
そうか、美咲はあの視線をまったく感じていないらしい。普通の人でも、もし霊がいたら何となく違和感を感じたり、自分の波動が下がっているときには嫌な気分になったりする。
ならば、昔からいる地縛霊のようなモノなのかもしれない。母に相談してみようと思った。
聡はうちに来ていた。母が聡をお気に入りにしているから。今日は特に休みだから、聡の好きなビーフカレーだった。母は上機嫌で聡に大盛りのカレーを手渡す。
「もうっ、なんで聡の大好物を作るの? 私はカレーならシーフードが好きなの知ってるくせにっ」
そう、普段なら煮込みに時間のかからないシーフードなのだ。それを今日は大きくぶつ切りにした牛肉がゴロゴロ入っているビーフカレー。肉もほろりと口の中でとけるくらい柔らかい。
「コトコトと二時間くらい煮込んだのよ。嫌なら奈緒は食べなくてよしっ」
と、私の皿を取りあげようとする母。
「嘘よ。ごめんなさい。いただきます」
母は、聡がいると私には冷たいと思う。
前の話で、奈緒のお母さんがほうきで家の中を掃くということを書きました。これは、数年前、ヒーラーさんが書くことに執着している私に助言してくれたことです。
「頭ばかり浮き出ていて、下半身が埋もれてる。書きたいってことはいいけど、他のこともちゃんとした方がいいよ。足が床に根付いてるみたいだから、いつも書くことで使っているテーブルの下、ほうきで掃いてみて」と。
ほうきで、そういうものを除去することができるみたいです。