ピアノを開ける・真実
取り壊しは来月からと聞いていたが、もうトラックが校庭に入り込んでいてせっせと柵を取り付けていた。いよいよ、工事の準備に入るらしい。
私達は見つからないように裏の方からそっと音楽室へ入っていった。
また、あの得体のしれない恐怖に取りつかれるかもしれないと思っていたが、昼間ということもあるのだろう。そういう怖さはない。そして、ベニヤ板が剥され、露わになっている小さな部屋。いつの間にか持っていたあの真鍮の鍵をピアノの鍵穴に差し込んだ。
もちろん、何の抵抗もなく、開いた。
聡がピアノの蓋を開ける。
「なあ、これでいいのか。これでもう幽霊は出ないのかな」
「わかんない」
私にもわからないのだ。でもしきりに鍵という言葉から、ピアノの蓋を開けて欲しいのだろうと思う。
「あ、なんだ、これ」
鍵盤の上に一通の封筒が置かれている。
私達は顔を見合わせた。
聡はその封筒を手にした。宛名は書いてない。裏には几帳面な字で「東野佳世子」と書かれていた。自殺した教師の名前なのだろうか。私達はその手紙を手にして困り果てていた。その、誰宛てなのかわからない手紙を勝手に開けられない。かといって、誰に見せればいいのか皆目見当もつかなかった。
「おい、どうする」
「うん、誰に見せればいいのかな。警察に届ける?」
そんなことを話していた。
そこへ誰かが来た。
「あっ、やっぱりいた。困るよ。勝手に入られちゃ」
四十代半ばの男性だった。ここの工事現場の責任者らしい。
「学生が二人、こっちへ向かったのを見た人がいてね。来てみたら本当だった。こんなとこで何してる」
責められても仕方がない。けど、この田所と作業服の胸に書かれた責任者は、厳しい物言いの中に優しさがあった。
「ごめんなさい。ただ、ピアノが気になって・・・・」
「ピアノ、これか。中学移転のとき取り残されたものなのかな。全部、持っていっているはずなんだけど」
田所は首を傾げてピアノを見ていた。この人なら話がわかってもらえそうだった。だから、私達は夕べの肝だめしと母に起ったことの話を全部聞いてもらった。
「それで、このピアノを開けたら……そんな手紙が出て来たってことか」
「はい」
それらの事情を聞いて、田所の顔が引き締まった。信じてくれているのだ。
「校長に言っておくよ。このピアノを発見したことも、そしてその中に手紙があって、それは十年前のことに関連があるらしいってこともね。後は校長がなんとかしてくれる」
私達は一応、住所と名前、電話番号を残した。もし、何かもっと事情が知りたい場合、すぐに説明できるように。そして、詳細が明らかになったら、田所の方から連絡してくれるといった。
それからはもう幽霊は現れなかった。母もあんなことがあったが、もうけろりとしている。ちょっと赤かった首もすっかりきれいになっていた。
母は私が生まれる前はもっと敏感で、病院にも足を向けられなかったという。父は全くそれらを感じないが、母の言うことは信じているそうだ。私が生まれて、それが遠のいたらしい。だから、今回の幽霊遭遇は十七年ぶりだったのだ。
そうして一か月が過ぎたころ、聡のところへ田所が電話をしてきた。十年前の事件のことと、ピアノの中に残された封筒のことを全部説明してくれた。
やはり、あれは遺書だった。当時、いじめグループがある生徒を集中的に苛めていた。それを東野先生が庇ったらしい。そのことは校長にも知られることになり、学校でも大騒ぎになった。
その後、停学処分になったいじめグループの矛先が、今度は東野に向けられた。教師をいたぶるのは生徒同士よりも簡単だ。ただ、ちょっとした噂を流せばいいだけのこと。あらぬゴシップをあたかも聞いたかのように流せば、誰が言い出したのかわからないまま、広まる。
東野は婚約者がいるのにもかかわらず、夜な夜な男を部屋に引きこんでいる男好きだ、男子生徒も何人か誘われたと。そんな噂は勝手に尾ひれがついて大きくなっていく。それが保護者たちの耳にも入り、大問題になった。それが本当でも間違った情報でもかまわなかった。生徒たちは、そんな東野を汚いと罵り、授業をボイコットした。もう東野は学校にいられない。さらに結婚式の日取りまで決まっていた話が破談にもなったという。一度広まった悪意のある噂は留まることを知らなかった。その退職の日、誰もいない音楽室の片隅で首を吊った。
明らかに自殺とわかったが、遺書がなかった。残さなかったのかもしれないと考えられていた。誰もがその真実を知らず、男遊びの激しい教師というレッテルを張られたまま、死んでいった。
「あの遺書、当時の校長先生のところへ届けられたらしい。あの遺書が、あの時見つかっていたら、もっと早く汚名をはらせたのにって、・・・・・・。そしてあのピアノ、お祓いをすませて市のコミュニティーセンターへ寄贈されたらしい。誰も十年間触れられていなかったから、今度はセンターで訪れる人たちに気軽に弾いてもらえるようにってさ」
「死ぬ寸前、ピアノの上に遺書を置いて、東野先生、なんで鍵をかけたんだろう。すぐに誰かが開けて見てもらえると思ったんだろうけど、その鍵が首つりの騒ぎでどこかへ行っちゃって、特に無理して開けられないままになっちゃうなんて、・・・・・・思いもしなかったんだろうね」
「うん、その思いが残っていたんだろうな」
私は、聡の顔を見つめていた。
「誰か、頼れる人がいるって・・・・」
「ん?」
「いいなって思う」
聡は嬉しそうな顔をしていた。
淡々と語りすぎました。ホラーを読んで楽しむことと書くということは全く別の作業だと知りました。




