そう、それが真鍮の鍵
皆がその小部屋に入った。怖々と。私も後に続いた。
そこにあるのは、どこの学校にもあるピアノ。これはかなりの年代物、古びた物だった。十年前からここに閉じ込められていた。その年の分、埃をかぶっていた。
架純がピアノの埃を指で拭った。一筋の黒い線が浮き出る。
さらにその蓋を開けようとした。すごい勇気だ。さっき、自分がこのピアノを動かそうとして怪我をしたと言っていたのに。怖いもの知らずというか、私には絶対に出来ない行動。
しかし、蓋はびくともしなかった。
「鍵、かかってる。開かない」
架純は力づくで開けようというのか、ガタガタと乱暴に持ち上げようとしていた。
「よしなよ、触らない方がいいって」
真梨香がたまらなくなってそう言った。もし、誰かに気づかれたら・・・・そう思っているような言い方。
「そう?」
つまらなそうな架純。
私は再びものすごい重圧感を覚えていた。まだ、誰かが私の後ろにいる。ぞわぞわと重いモノが肩にのしかかるようにして、私の耳に囁いた。
「鍵」
そして、その瞬間、蓋が開かないままのピアノがポーンと鳴った。
その周りにいた架純たちは飛び上がるように驚いた。
「キャアアアア」
皆が悲鳴を上げた。一目散に逃げ出す。
私は動けないでいた。けど、聡が私の腕を引っ張って、やっと足が動いた。一緒に音楽室を出ていた。腕を引っ張られるその速度は私の限度を超えていた。肺が破れそうに悲鳴を上げていたけど、構わなかった。
あの部屋に一人取り残されるよりはずっとましだった。
私達は自転車を置いた街燈の近くまで、全速力で走った。明かりの下にくるとやっと安心した。皆が呼吸を整える時間を待っていた。
ようやく口が利けるようになると誰からともなく笑いが起こる。それは、とんでもない恐怖を味わったことへのあざけりなのか、まとわりついた怖いものを吹き飛ばそうとしているのかわからないが、私達はバカみたいに笑った。
「ピアノ、あったね」
と架純。そして私を見た。
「ねえ、なんであそこに部屋があるってわかったの。しかも奈緒さんらしくない。ベニヤ板を剥すなんてこと・・・・」
「そうだよね。一番嫌がってたのに」
「あ、ただ、あの板が目に入っただけ、簡単に剥がせるって思ったから、どうせ取り壊されるんだし」
私はそう嘘をついた。
まだ私の中では誰かが私の後ろに立って、「そこ」とか「鍵」なんて囁いたとは言えなかった。あそこが取り壊されたら、きっと実はあの時・・・・と言える気がする。
私達は今度は押し黙った。
帰ることにした。真梨香と架純は同じ方向だ。途中の交差点で別れた。私と美咲、聡は別方向に自転車を向けていた。美咲の家まで送り、聡は遠回りをして私の家まで送り届けてくれた。よかった。今夜、聡が来てくれて。帰り道までのことは全然考えもしなかった。
家に着いた。もうみんな寝ている。
「じゃあな」
「うん、ありがと。気をつけて」
これほど聡が心強い人だったとは思わなかった。これからは見る目が変わりそう。
聡の後ろ姿を見送り、私は家に入ろうとした。ポシェットの中から家の鍵を取り出す。しかし、別の鍵が私の手を外れて、カチャンと落ちた。
「え・・・・」
それを見た私は凍りついた。それは真鍮の鍵。明らかに家の鍵とは違う。古びた長細いピアノの鍵に間違いなかった。
なぜ私がこんなものを持ってるの。なんで私のポシェットに入っているの? ねえ、どうして、誰か教えてよ。
聡を追いかけてみようと思ったが、もう彼の姿はない。とっくに闇の奥に消えていた。
その鍵を拾う。間違いない、これはあのピアノの鍵。あの・・・・隠された部屋にあったピアノの鍵だった。いつの間にか、こんなものが私の持ち物の中に・・・・・・。
誰かにあの時、囁かれた。「鍵」って。
どうすればよかったのか、あの時、この鍵の存在に気づいていなかった。
しかたがなかった。明日、聡につきあってもらい、返しに行こうと思う。
家に入り、玄関の靴箱の上にそれを置いた。家の鍵とその真鍮の鍵を。
そして私は歯も磨かずに、そのまま布団に入った。電気を煌々とつけ、布団をかぶった。暗くしたら、また怖いものが訪れる気がした。このまま寝て、何も考えずに朝になってもらいたかった。