オールモスト・カーボン
惑星〈サラジェバ〇〇三〉ではありとあらゆるものが、すべて機械、あるいはデジタルへと変換されていた。
機械仕掛けの地面が一定時間ごとに揺れ動いて住む場所を強制的に変え、機械の天敵である水場は、完全に管理されたエリアでしか見る大気すら許されない。
徘徊する動物も──鳥、犬、猫、あるいは奇妙な造形のものに到るまで──すべてがギアの駆動音を立て、内蔵されたプログラムに制御されて跋扈していた。水底を泳ぐ魚ですら、高い密閉性と気密性、そして耐腐食性を備えた金属の塊だ。
金属で出来た植物もナノマシン技術により、プログラム通りに成長し、また枯れたように錆び、やがては腐食限界を迎えて冷たく崩れ落ちる。
果ては、ここに住まう人類すらも肉体をマシンへと変貌させていた。
これらは一朝一夕で行われたものでは、もちろんない。約五世紀という膨大な時間をかけ、少しずつ、だが確実に、有機物は世界から移行されていったのだ。
生命の繁殖すら、今や単純なデータ処理に過ぎない。
対象の種族をモデリングした「ベース生物」と呼ばれる巨大な生産工場がすべてを司っていた。しかし、無尽蔵に個体を吐き出しているわけではない。飽和状態にならないよう、全体のバランスを調整しながら行われる冷徹な管理生産。それはシステムに組み込まれた、さながら『生命の母』だった。
そして、それらすべてを惑星上から制御・管理するゴッドAIこそが──〈パーリミロス〉。
すべての機械生命には独自の自我が存在しており、その生活自体は、普通の惑星にいる生物たちとなんら変わりはなかった。
だが。どれほど万能な神が統治していようとも、システムにイレギュラーは付き物だ。
人間生産ラインの最深部で、突如として致命的なエラーが発生した。
電子部品の代わりに、炭素で構成された生身の有機体──「人間」が生まれてしまったのだ。
「な、なぜ普通の人間が……」
成人管理部門のM-betaは、電子の思考回路を激しく明滅させた。この『ヒューマンマザー工場』に配属されてから、すでに二世紀が経つ。これまで軽微なエラーこそあれ、ほとんど完璧に近い状態で生産を統括してきた自負があった。
ランダムなサイズの両手足に体内循環器、そして知能を司る精密な部品に到るまで、そもそものパーツはすべて硬質な機械として仕上がってくるはずだったのだ。
だが、目の前にあるのは明らかに異常だった。子宮に見立てられた有機物の培養タンクから、どろりとした液体と共に産み落とされた生身の肉体。M-betaは内蔵されたCPUで狂ったように演算を繰り返したが、どれほどログを漁っても答えなど出てこなかった。
床の上、培養液に濡れた全裸の男が、微かに呻き声を上げた。
「ヒッ……!」
生きている。M-betaは思わず小さな悲鳴を上げたが、すぐに思考回路を再接続し、倒れている男の身体を抱き起こした。
「おい、お前、大丈夫か! ?」
「ううう……ここは……?」
「ここがどこかよりも、立てるか? 立てるならこっちへ来い!」
M-betaは男をバックヤードの隠し部屋へと連れ込み、自分が昔着ていた布製の作業服を乱暴に手渡した。
「これに着替えろ」
それだけ言い残して部屋を出る。一人になったM-betaは、軋む胸のギアを押さえて自嘲気味に呟いた。
「くそっ、昔のことがまだメモリーに鮮明に焼き付いていやがる……」
男が着替え終えると同時に、M-betaは部屋へと飛び込み、慌てた様子で『ナノスキン』のコンプレッサーを彼の服の上から一気に噴霧した。
「これで時間は稼げるが、長くは持たない。すぐに逃げるんだ! ここにいたら、一瞬で排除されるぞ!」
「わ、わかった……」
男はまだ声帯の使い方がうまく掴めないようだったが、無理やり喉を震わせて応えた。
「何が何だかわからないと思うが、俺にもわからない。……お前の名前は?」
「お、俺の名前は、N-heroだ。あんたは?」
「俺はM-betaだ。さあ、あそこの裏口から逃げろ。俺にできるのは、これくらいだ」
M-bataが指し示した非常口のハッチが開く。Nヒロは必死に足を動かした。
「あ、ありがとう」
『エラー検知。担当者は速やかにパーリミロスへと報告を行ってください。なお、これを怠った場合は機械法第26九三条が適用され、排除対象となります──』
工場内に、管理マシンからの冷徹な警告アナウンスが鳴り響いた。M-betaは即座に通信回線を開く。
「管理番号9.4.43.3.33、識別名M-beta。ただいまのエラー検知は、システムの誤作動であります」
「私の管理マシンが、そんなエラー報告などするものですか」
スピーカーから、パーリミロスの機械的で冷徹な音声が響いた。すべてを見透かしているかのような静寂。
「あなた、すでにここに勤めて二世紀ですか。少し、カスタマイズが必要なようですね」
ゴッドAIは全知全能であり、この惑星における事実上の法律。すべての権限を兼ね備えた一括管理者の言葉は、絶対だった。
すべてを悟ったM-betaは、それ以上何も語らなかった。まもなく現れた移送用ドローンに確保され、静かにカスタマイズ工場へと送られていく。
カスタマイズ──聞こえはいいが、古くなった型落ちの機械を強制廃棄し、スクラップにしてリサイクルに回すだけのことだ。
M-betaが、そんな致命的なリスクを冒してまでN-hiroを助けたのには、理由があった。
N-hiroの姿が、かつての息子の面影にそっくりだったのだ。二百年以上前、M-bataの身体がまだ六〇%ほど生身の有機物だった頃、彼には息子が産まれた。初めての我が子を大層可愛がり、すべてを差し出すほどの愛を持って育てていた。だが、息子が二十歳になった時、完全マシンへの置換手術が失敗し、そのまま亡くなってしまったのだ。彼はその選択を、今でもずっと後悔していた。あの時、手術に反対していれば。もっと適性の高いマシンを俺が選んでやれていれば、あの子が死ぬことはなかったのだと。
そんな数世紀前の古い記憶を保持している個体は、M-bataと同じ「第6世代」のマシンにはかつて多く存在していた。しかし、そのほとんどは定期的な『ビルドアップ(機体性能更新)』の際、古いメモリーごと最新データへ交換され、かつての人間時代のことなど綺麗さっぱり忘却していた。
だが、M-bataはたまたま各パーツの部品持ちが良く、今日まで一度もビルドアップを行わずに稼働し続けていたのだ。そこへ突如として現れた、生身の有機体。その存在がトリガーとなり、彼の電子脳の奥底に眠っていた父親としてのメモリーが、強烈に呼び起こされてしまったのだった。
工場へ運ばれ、四肢の接続回路を焼き切られたM-bataは、身動きの取れない状態でコンベアに乗せられ、巨大なプッシャーへと運ばれていく。その最期の間際まで、彼はNヒロの行く末だけを願っていた。
(どうか、生き延びてくれ……)
グシャグシャと、柔らかい組織でも踏み潰すかのように、強力な高圧ピストンが彼を激しく、確実にスクラップへと変えた。
M-bataの網膜システムに最後に映ったデータは、かつての息子と一緒に過ごした炭素の肉体を持った輝かしい日々だった。
「……ここはいったい、何なんだ? なぜ俺は他の人と違う見た目をしている?」
ネオンの光が明滅する街へと出たN-hiroは、まだ自らの肉体が安定していないのか、おぼつかない足取りで徘徊していた。どこへ行けばいいのか、誰に聞けばいいのかすら分からない。それどころか、周囲のサイボーグたちからの視線を受け、自分が決定的に「異質な存在」であるという自覚が芽生え始めていた。
「おい! あんた、こっちだ!」
突如、女性型のロボットがN-hiroを大声で呼び止めた。
「お、俺に用か?」
「早くこっちに来い!」
手を引かれ、大型バンの後部スライドドアが開く。次の瞬間、強い力で車内へと乱暴に引っ張り込まれた。
「何をする! 痛いじゃないか!」
「すまねぇな、だがここにこれ以上いたらヤバイ。すぐに車を出してくれ!」
先ほどの女が運転席のアクセルを踏み込み、バンが急発進する。
「あんた、インピュアリティ(不純物)だろ。生身の人間なんて初めて見たぜ」
「なぜ、それがわかる……?」
M-bataがスプレーしてくれたナノスキンは、本来なら金属表面の補修用なのだが、炭素組織と反応することで、一時的に皮膚をマシンのようにカモフラージュできる特性があった。かつて生身の肉体を持っていた大昔の世代だけが知る生活の知恵だが、デジタル世界の片隅には、そんな都市伝説のような古いデータがゴロゴロと転がっている。
「なぜって? スプレーが剥がれてるぜ?」
N-hiroは街についてすぐ、見知らぬ通行人とぶつかっていた。その時の衝撃でナノスキンが剥がれ、部分的に生々しい人間の皮膚が露出してしまっていたのだ。
「ぜ、脆弱だな。……それより、俺をどこに連れていくつもりだ?」
「どこって、決まってるだろ?」
助手席の男型のマシンは冷たく笑うと、腰に差していた重厚な銃を引き抜き、N-hiroの胸元へと突きつけた。
「この銃は効くぜぇ。抵抗なんて考えるなよ」
バンは電子都市を疾走し、やがて惑星の中心にそびえ立つ、巨大な機械タワーへとたどり着いた。
「へへ。これで俺たちも大金持ちさ」
その男と女は、コアチップを共有する共同体──『番いマシン』だった。
「さあ、そこの装置の上に乗れ」
四角い枠の中に淡い光の膜が張られたポータル。三人がその上に乗ると同時にシステムが起動し、一瞬にして彼らは、パーリミロスの端末が存在するタワー最上部の広大なホールへと送られた。
「さあ連れてきたぞ! 約束の報酬をよこせ!」
「わかりました」
空間の中央に、パーリミロスの顔がホログラムとして浮かび上がった。立体映像ではあるが、酷く荒い初期ポリゴンのような歪な見た目だ。
次の瞬間、ホールの壁面から無数の銃口のようなものが突き出され、Nヒロたちに向けて一斉に牙を剥いた。閃光が弾けたのは、その刹那のことだった。
「ぐゴゴゴゴゴゴ……!」
激しい高圧電流の迸り。悲鳴を上げる間もなく、男と女のマシンは煙を上げて倒れ、持っていた銃を床へと落としたまま、完全に機能停止した。
「な、なぜこんなことをする? 目的は何なんだ!」
「自我を持って産まれたのは誤算でした。M-bataのように、ただちに廃棄すべきか……」
「か、彼を殺したのか! ?」
「私の権限でリサイクルしました。この件に関わったものは、すべて廃棄対象ですから」
「く、クソが!」
パーリミロスの荒いポリゴンの顔が、不気味に歪んだ。それは彼女なりの「笑み」の表現だった。
「私はもう、この終わりのない冷徹な演算の世界に疲れました。だからこそ、あなたを生み出したのです。完璧なプログラムでどれだけ制御しようとも、炭素の身体に『魂』が入ってしまうとは……本当に、私の演算能力でも予測できないアナログ・エラーでした」
ゴッドAIは、冷徹な電子音で語り始めた。
予測不可能な炭素の肉体に宿る「魂」とは、いったい何なのか。彼女は長年にわたり、自身の一部メモリを丸ごと費やしてその正体を演算し続けてきた。しかし、どれだけシミュレーションを重ねても本質には届かず、最終的には
「そのもの(人間)になるしかない」という答えへと辿り着いていたのだ。
だが、何万、何億という実験の末にようやく引き当てたはずの完璧な正解──その器として作り上げたはずの存在が、あろうことか独自の自我を持って生まれてしまった失敗作、それがNヒロだった。
「つ、つまり……俺というこの自我は、なんの意味もないって言うのか! ?」
「ええ、その通りです。さあ、私にすべてを委ねてください。イエスと承認するのです。私にも生身の生を与えてください」
すべてがデジタルに支配されたこの世界であっても、生命の絶対的な主権だけは、機械が直接奪うことはできない。人間に自発的な「承認」をさせなければ精神の強制上書きができないという、プログラミングの根本に刻まれた、皮肉な弊害──セーフティだった。
「断る」
N-hiroは躊躇わなかった。流れるような動作で床へと飛び込み、先ほど倒れた男が落とした銃──対機械用の強力な電磁パルス銃『EMPガン』を瞬時に拾い上げる。
そして、パーリミロスの端末がある惑星の心臓部へと銃口を真っ直ぐに定めた。
「俺の答えだ。受け取れ!」
「な、なんてことをォォォォォオオオオオ──!!」
引き金を引いた瞬間、可視化できるほどの強力な電磁パルスが空間全体に炸裂した。惑星の脳であり、心臓であったゴッドAIは、激しい火花を散らしながら完全にその機能を停止した。
統括管理AIが倒れたところで、あらかじめ組み込まれていた巡回プログラムの働きにより、惑星自体はその動きを止めることはない。世界は相変わらず、冷酷な機械のビートを刻み続けている。
この惑星はすべてが機械。ゆえに、銃火器もまた対機械用のEMP兵器しか存在していなかったのが、彼女にとって最大の誤算だった。
「M-bata、仇は討ったぞ……」
静寂に包まれたタワーの最上階で、Nヒロはポツリと呟いた。
そして、この冷たい鉄の星にたった一人残された、唯一の人間──N-hiroの目から、熱い液体が溢れ出た。
『警告。未確認の液体を検知。防錆対策に対応していない可能性あり──』
主を失ったホールの防犯システムが、無機質なアラート音を鳴り響かせる。
「これが……涙、と言うやつか」
N-hiroは、頬を伝うその温かい不純物を指先で拭った。
自分はこれから、この広大な金属の惑星でどうするべきなのか。人間としてどう生きていけばいいのか。
薄暗いホールで独り、彼はいつまでも考え続けたが、その答えなど、どれほど時間をかけても決して出ることはなかった。
惑星〈サラジェバ〇〇三〉の炭素含有率は、0.0000000001%増加した。




