11話 彼の式神②
同じ頃、甘露桜家では紅葉が入浴しているところだった。
「ふんふふ~ん♪ ふ~ん♪ あーいい気持ちっ♪ 術式も上手くいったかしらねぇ。式神たちは相変わらずキモいけどっ! 私も上達してきて、いよいよ次期当主らしくなってきたわねぇ♪」
上機嫌で湯船に浸かりながら、足を伸ばす。
その時だった。
「ぎゃっ!? 痛ったぁ~っ!! なにっ!?」
紅葉は大声を出し、しぶきをあげながら立ち上がる。
突然、全身に激痛が走ったのだ。
真っ先に目に入ったのは、黒い痣の現れた腕だった。
「は……はぁっ!? なによ、これ……っ!!」
痣のでた場所は、捻れ切れるかのような痛みだ。しかも、みるみるうちに全身に広がっていく。
――呪い返しが起こったのだ。
寿々にその気はなかったが、灰音にかけられた呪いを吹き飛ばしたことで、本来は天に還って浄化されるはずが、術者――紅葉に返ってきたのだ。紅葉の術が完全ではなかったことも理由のひとつだ。
呪いが返ってきたのは初めてで、紅葉はこれが呪い返しだとは気がつかない。それどころか、自分が姉にどんな呪いを掛けたのかも把握していないのだ。だから、この痣が自分の術だとも気がつかない。
「い、意味わかんないッ! なんなのよこれ……ッ!! キモいッ! キモいキモいキモいッ!!」
なんとか風呂を脱した紅葉は父と第二夫人を呼んだが、彼らには痣は見えないという。父は医者を呼んだが、人間の医者にはなにも見えなかった。
「なんでよっ! みっ、みっ、見えるでしょぉぉおおぉおぉっ!?」
「ストレスではないかと……精神の落ち着くお薬を出しておきます」
「はっ、はぁあぁぁああぁああっ!?」
紅葉が暴れたことで、医者の言うことはよりもっともらしくなった。
術者であったから紅葉には多少耐性があったのか――灰音のように気絶することがなかったため、このあと紅葉は三日三晩、自業自得で苦しんだのだった。
布団の中で、紅葉は唇を噛む。
「あぁ、お姉さまがいれば、一日中全身マッサージさせるのに……! 体中が痺れて仕方ないわぁ……! こんな時にいないなんて、なんて役立たずなのぉ……?」
それは、完全に逆恨みで。
「許せないわぁ……。私がこんなに苦しいのに、今頃お姉さまは、あの斎さまと新婚生活を始めてるんだわぁ……。許せない、許せない、許せない……」
呪詛のように、ブツブツとつぶやく。
「幸せになるのは、私の方でなくちゃいけないのよぉ……!」
天井を見上げながら、紅葉は腹にたまる怒りを煮詰めていった。
* * *
寿々に呪いを解いてもらってから、一週間が経った。
朝日が差し込んでいるのに気がつき、灰音はゆっくりと目を覚ました。
まず目に入ったのは、寿々の姿だった。
「お、起きたのかや?」
「寿々ちゃん。おはようございます」
「うむ。調子はどうかの?」
「大丈夫そうです」
あれから――倒れてから三日ほど体が重かったが、四日目からは通常通り動けるようになっていた。それでも大事を取って休んでほしいと言われ、灰音は部屋で療養していたのだ。
この一週間、灰音の部屋には寿々が入り浸り――いや滞在し、回復を助けてくれていた。
一方で斎とはあまり会えていない。彼は日中は仕事などで家にいないことが多く、また灰音も不規則に寝ることを繰り返していたので、タイミングが合わなかったのだ。
「じゃ、妾が使用人を呼んできてやろう」
寿々はぴょんと跳ねながら立ち上がると、廊下を駆けていく。元々、長く勤める使用人には寿々の姿が見えていたらしい。もし、今新しい使用人が来たなら、灰音のせいですぐに見えてしまうだろうが――現状は心配なさそうだ。
やがて使用人たちがやってきた。お湯とタオルで体を拭いてもらってから、着物を着付けてもらう。
部屋に運び込まれたお粥を食べ終わると、使用人たちは全員下がった。
灰音は立ち上がり、窓辺に寄った。
空は晴れており、庭に咲く紅梅の色を鮮やかにしている。
(今日までお仕事についていけなかったけれど、そろそろお役に立ちたい……)
――彼の目になると決めたのだ。
そう決意を新たにしたとき、襖の向こうから斎の声がした。
「今いいか?」
「は、はいっ」
灰音はうわずった声で返事をしてから、部屋の入り口へと向かった。
襖が開き、斎が顔を覗かせた。以前と同様の黒い詰め襟に身を包んで、腰に刀を下げている。
彼は部屋に入ると言った。
「あれから調子はどうだ?」
「はい。おかげさまで……。ありがとうございます」
「そうか。寿々から報告は聞いていたが……まぁ、本当のようだな」
「なんじゃとー? 妾が信用できんのかー?」
「ふん。俺は自分の目で見ないと納得しない」
斎はそう言って、飛びかかる寿々を片手で押さえた。
灰音は頭を下げた。
「あの、お仕事に必ずついていくという契約でしたのに、寝てばかりいてすみませんでした」
「いや。今週は妖怪祓いはしていない。別件の仕事だった。だが、今日は同行出来るか?」
「……! もちろんです。もうしんどくありませんし、ようやくお役に立てて嬉しいです」
「うむ。名医の妾から見ても、もう大丈夫じゃろう。問題ないぞ」
「そうか。では、行くぞ」
「あの、今からですか?」
「そうだ」
そう言って斎は歩き出してしまう。
彼はいつも突然だ。灰音は目をぱちぱちさせて、後に続いた。
「頑張るのじゃー!」
後ろから寿々の声がして、灰音は振り返った。
寿々は座敷童なので、屋敷からは出ないのだという。
手を振る寿々に手振り返しながら、灰音は斎の後について行った。




