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恐怖を忘れた男

作者: 雨降り

 フットは死を恐れていた。物心がついた頃から、それは年を重ねて、大人になってもひどくなるばかりだった。暇さえがあれば「人は死ぬときに何を感じるんだろう」と考え、ありとあらゆる死への手段を調べ、自分はどうなるのか思い悩んだ。そして耐えられなくなり、その不安を減らすため、きまって隣人のネイバーを訪ねるのだった。


「ねえ、ネイバー。僕はどうやって死ぬだろう。仕事中も考えてしまって、手がつかないんだ」

「怖いのは、なんだ。痛みか、死ぬというその事象なのか」

 歳を重ねた人間特有の、低い声が響く。何度繰り返した話題であっても、彼は真剣に向き合ってくれる。毎週彼と話しているが、不思議なことに帰る頃には不安をほとんど感じないのだ。

「両方だ。毎日会社に歩いて行くときも、車に引かれるんじゃないかという想像から始まって、痛みはどうなんだろう、死ぬ瞬間、その後、っていつもノイローゼだ」

「私も若い頃はよく思い悩んだものだ。今だって、消えたわけじゃない。でもね、全てのものは循環する。考えすぎると、死が暇を持て余して来てしまうよ」

 フットは少し笑った。

「死に退屈や暇なんてないだろう」

「あるさ。世の中、生きている奴が多いだろう。死だって暇にもなる」

 続けて、

「死ぬ瞬間というのは、誰にもわからないもんだ。わからないことは怖いかい?世の中、わからないことの方が多いというのに」

「確かにそうであるが…」

「怖いということが悪いんじゃない。恐怖は大切だ。死への恐怖は、生の証とも言える。生きる上で死への恐怖というのは、持たなければならないほどの大切なものだ。これだけは、忘れてはならない」

「そういうものなのかね。わかるような、わからないような。」

 しばらく考えた後、フットは頷いた。

「うん、少し落ち着いた。ありがとう、ネイバー」

 不安の和らいだフットは帰って、翌日の準備をした。


 フットは月に数回ほど、ネイバーの家を訪ねては、会話を続けていた。

 月日が経つにつれ、床につくことが多くなった。年老いた体がゆっくりと弱っていくのがわかった。

「ネイバー、僕が物心ついてからの仲だ。僕も覚悟をしている。きっと君は、長くはないんだろう。」

「そうだな。」

 ネイバーの声は依然、低く落ち着いたままだった。

「言いたくはないが、どうしても気になるもんだ。親友の君だから聞きたい。今ほら、死が近づいてきているわけだろう。今、死は怖いかい」

 ネイバーは少し考え、息を吸った。

「怖くない。」

 ネイバーははっきりと答えた。

「不思議と、怖くないんだ。ちっとも。今まで、元気でいた頃の方が、死というものはずっと恐ろしいものだった。それは、諦めとか受容とかではない。なんというかな。一つの到達点として、私の人生はこのために、死のためにあったようにすら感じるんだ。」

 フットは驚いた。ずっと沈黙が続いた。彼はネイバーを見た。今際の際の親友は、まるでそこが始まりであるように、幼虫が蛹へ、蛹から蝶になるように、ただ幸せそうであった。

 その会話をしたその晩、ネイバーは亡くなった。

 ネイバーが亡くなって、フットは彼のいない生活を送った。やはり死への不安は募っていったが、ネイバーの穏やかな顔を思い出すと不思議と和らいだ。

 さらにしばらく経つと、フットは恐怖を感じなくなっていった。仕事が忙しくなり、薄まった恐怖を流していった。

 そこから数年が経った。ネイバーとの会話を思い出すこともなくなった。結婚し、子供ができた。フットは死の恐怖を忘れていた。

 雨の降る日、帰路の途中、交差点の歩行者信号が変わるのを待ちながら、フットは子供の誕生日のプレゼントについて考えていた。ヘッドホンで音楽を聴きながら、周囲の車の発進した気配で、歩き出した。右折して来るトラックには気が付かなかった。


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