第91話「ミルキスト・シャイン」
「やった!」
ジャスミンは紅い死神の撃墜に成功、そう思った。
だが、次の瞬間──
パパパパン!
背後から、銃声。
まるで背中に針を刺されたような感覚、警報音が鳴り、霊たちが異常を告げる。
(……嘘!? 回避された!?)
咄嗟に旋回を試みた──その時だった。
ドン。
ドン、ドン。
ドォォン。
まるで空に花火が咲いたような、圧倒的な空気の震え。
基地の方角。爆発。何かが、起きた。
そして──ジャスミンの周囲に静けさが訪れる。
「……っ」
霊の声が、聞こえない。
どこからも、誰からも、もう何も伝わってこない。
霊たちの囁きも、精霊の反応も、全てが霧の中に溶けた。
(……故障? いや、これは──)
ホニーの共鳴魔法が妨害されたことがあった。だから、シーレイアの魔術体系への干渉の可能性も指摘されていた。
(ローチェの妨害兵器!?)
──《フェアリーフォール》
テンシェンとローチェが共同開発した、新たなる妨害兵器。
一定空域内の霊・精霊との共鳴を遮断する、完成形の“沈黙の檻”。
かつての《フェアリーダウン》の改良型。
シーレイアの降霊術・精霊術に依存する航空戦力にとっては、致命的な封殺兵器だった。
(なにこれ……声のない空がこんなに、怖いなんて)
今までずっと、空には声があった。
危機を教えてくれる霊、癒してくれる精霊の囁きが。
それが今、何も聞こえない。
その状況が過去に、鉄竜部隊隊長のカンラから言われたことを思い出す。
鉄竜部隊と模擬戦を行い、お互いに講評をした時だ。
「霊都航空隊は降霊術に頼り過ぎた。もう少し自身の操縦技量にも注力した方がいい。」
この時の結果は霊都航空隊の勝利。負け惜しみにとも思えたが、敵が共鳴魔法を妨害したことから降霊術にも干渉する可能性があると上層部からも通達が出ていた。
(懸念が現実になった...)
ただ、死の匂いだけが──近づいてくる。
(ホニー……)
(……ごめん、私。やっぱりホニーみたいにはなれなかった、でも私はただ負けて終わらない!)
紅い死神の銃弾がジャスミンのスピリットに降り注ぐ。
──炎。
機体が炎に包まれながらジャスミンは笑っていた。
空に咲いた紅い花。
シーレイアの貴婦人が、静かに散った。
ジャスミンが撃墜される瞬間フェンの視界外から2機のスピリットの機銃が放たれる。
パパパパ、パパパパ、パパパパ
フェン・ウーランは読んいたように機体を旋回させながら、冷ややかに呟いた。
「貴婦人を囮に俺を討つか。詰めの銃撃が甘すぎる。」
-作戦コード9
それは隊長のジャスミン自らを囮とし紅い死神を撃墜するプラン。
だがそれは霊の支援なき今、フェンの飛行技術の前には敵わなかった。
「上出来だ、フェアリーフォール」
彼の視線の先には、なおも逃れようとする白き竜──ノノレの姿。
「次は、なり損なった星渡りへの引導だ」
紅い死神を抑える者がいなくなり、再び空を裂く。
ノノレは精霊の気配が消えているのを感じていた。
どこにもいない。
どこにも、応えてくれない。
そして次々に、味方の戦闘機が空から落ちていく。
ノノレの背後には、紅い機影。
フェン・ウーラン。あの紅い死神が、執拗に追いすがっていた。
かすめる銃弾。交錯する風圧。旋回を繰り返すノノレは、必死に死神の照準を逸らしていた。
(……この感覚)
霊も、精霊も、共鳴の気配さえない。
声なき空、独りの空──
(あの時と、同じだ)
星環海を越えようとして失敗した夜。
全ての声が遠ざかり、信じるものを失った自分は、ただ空から逃げるだけの存在だった。
そして──
あのときと同じように、また今日も皆の期待を裏切ってしまう。
援護に来てくれた、あの人が落とされた。
ジャスミン・シャマン。
シーレイアのエース。霊都航空隊隊長にして、ホニーの親友。
命を賭けた作戦も不発に終わり彼女は、ノノレの眼前で、紅の炎とともに散った。
(……僕のせいだ)
(僕のために……死んだ)
喉が焼けつくように苦しい。視界がにじむ。
天竜の制御が揺らぎ、思考が濁っていく。
(まただ……僕は、誰かを信じきれずに……)
「アレックス!!」
突然、鼓膜を突き破るような大声が響く。
相棒ベルギの叫びだ。
「俺はお前を信じる! だから──お前も、俺を信じろ!!」
その言葉が、ノノレの胸に突き刺さる。
そうだ。信じると、決めたはずだった。
失敗しても、傷ついても、それでも信じると。
「……ベルギ」
ノノレの瞳に、光が戻る。
「ありがとう。僕はもう、迷わない。信じるよ、今度こそ」
背後でドドドド、と機銃音が鳴る。
フェンは諦めずに追ってくる。紅の影がなおもノノレを狙い続けていた。
「ベルギ、回避は任せた。僕は探る」
「任せとけ!」
ベルギの声が、頼もしく返ってくる。
ノノレは精神を集中し、残された感覚をすべて研ぎ澄ませた。
目には見えない、でも確かに在る何かを──探る。
(……いた)
ごく微かに、空の底で震えている。
精霊たちは“いなくなった”のではない。
何かに深く沈められ、意識を失っているような状態だ。
(これは、外からの干渉。意図的なもの……でも──)
(呼べる。まだ、呼び戻せる!)
だがその間にも、敵機は増えつつあった。
紅の死神に続き、さらに二機、三機とノノレを包囲するように迫る。
「ベルギ、高度目標5000! 一気に引き剥がして、上へ!」
「了解っ!」
ベルギがウーランを振り切るため、急降下に入る。
風が軋み、ノノレの身体に強烈な重力がのしかかる。
視界が揺れる。血が逆流するような感覚。
「くっ……!」
だがその瞬間──
「今だ、いけッ!!」
重力が反転し、天竜が天へと飛び上がる。
追ってきた敵機は、反応が一瞬遅れた。
急降下からの急上昇。
その加速度は常人には耐えがたく、テンシェンの機体は旋回が間に合わず、追尾が切れる。
──高度5000、到達。
ノノレはすぐさま、共鳴魔法の詠唱に入る。
魔力が喉奥から溢れ、両手が空に刻印を描き呪文を唱える。
──星雲に眠りし神々よ
──宵に一等輝く精霊よ
──星渡りのために、顕現し
──精霊の翼よ、再誕せよ
──ミルキスト・シャイン!
銀の魔法陣が、空に瞬くように拡がった。
それは静かに、けれど力強く、全空域へと染み込んでいく。
──そのとき。
紅い閃光が上空に迫ってきた。
フェン・ウーラン。
彼はノノレの機動を読んでいたのだ。魔法発動の瞬間、上昇中に背後を取る──それが死神の策だった。
ドドドド!
銃声が響く。
だがその弾丸は──届かない。
空気が薄い高高度。
限界速度を超えた弾丸は、ノノレの機体に届く前に失速し、消えた。
ノノレとベルギは、空を滑るように降下しながら振り返る。
空の色が、微かに変わっていた。
目には見えずとも、確かに感じる。
──霊たちが目覚め、精霊が再び空に戻ってきたのだ。
紅い死神の脅威は、まだ終わっていない。
だが、たった今。
精霊が復活し、空は再び味方になった。




