第88話「空へ戻る」
パピト島、全島奪還。
その言葉が、もはや絵空事ではなく、現実味を帯びてきていた。
戦線は着実に西へと押し返し、シーレイア南部諸島軍の本部も、ついにアクルから前線寄りのメディメ基地へと移された。
作戦室。
地図の前に立ち、南部司令官ヒサモトが黙考する。
「……詰めが肝心だ」
小さく漏らすように呟く。
隣では、空母 《コタンコロ》の艦長にして、メディメ基地の指揮官を兼任するシマ少将が腕を組む。
「ローチェの陸戦力、妙に粘りが薄いですね。想定よりもずっと」
ヒサモトも頷いた。
「資源が枯渇しているか、仕掛ける余裕がないのか……普通なら、補給断たれてもなお局地戦を仕掛けてくるはずだが」
ローチェ軍が静かすぎる。
パピト島の内部に火種を残したまま、次へ進んでいいものか──
「タワガー島東部への上陸作戦を始めるか、それとも島内の地固めを優先すべきか……」
ヒサモトは唇を噛む。
レコアイトスの援軍により、南部諸島の戦況は確実にシーレイア優位に傾いている。
だが──この“勝っている時”こそ、誤判断が命取りになりかねない。
「本部の判断は?」
「南部諸島は安定している。判断は現地に一任……だとさ」
ヒサモトはやれやれと首を振る。
「テンシェンがターキュ島を狙っている以上、中央もそちらの対応で手一杯か」
シマが苦笑する。
「地固めをしたいのは山々ですが……犠牲の規模を考えると、踏みきれませんな」
防衛強化には兵力が要る。だが、それはすなわち“消耗”でもある。
敵が動き出せば、その余力を失った状態で迎え撃つことになる。
「……分かってるさ。だから地固めはせん。パピト島全域を奪い返す。そのままタワガー島への攻撃も実施する。そう決めた」
ヒサモトの口調は冷静で、そして静かに熱を帯びている。
「テンペスト卿の防衛は、最優先で実施せよ。ローチェの異常な執着──あれは、もう戦術レベルではない」
星渡りが空に現れるだけで、敵は狂ったように砲火を集中させる。
そこにあるのは信仰か、それとも恐怖か。
「……パピト島掃討作戦、件の申請の状況は?」
「通った。結果を“試験扱い”で報告するように、と」
「戦意は?」
「十分すぎるほどだ。むしろ抑えるのが難しいくらいに、な」
シマは力強く笑う。
「成功すれば──」
「アーミムまで、一気に見える」
ヒサモトとシマ。南部戦線の命運を握るふたりの指揮官が、短く視線を交わす。
「メディメはこちらで預かる。コタンコロの戦線復帰、頼んだぞ」
「またドッグ入りさせるような目には遭わせてくれるなよ?」
ヒサモトの冗談に、シマは豪快に返した。
「星渡りの奇跡の対価としては、安いもんだろ」
「……確かにな。では、勝利を頼む」
ヒサモトはそう告げ、作戦室を後にした。
***
シーレイアとローチェ──
もはや互いに、切れる手札を隠す余裕はない。
両者の正面衝突に備え、神都アマツから、竜使いたちを乗せた輸送船が次々と南へと向かっていた。
その中には、ある男の姿もあった。
「……ガンブ大尉。いよいよ、ですね」
声をかけたのは、ホニーの兄、グラル・ドラグーン。
「おお、グラル中尉か。ようやく、天竜が空に戻る時が来た」
かつて“覇王”と呼ばれた竜使い。
戦局の変化と共に、その名を忘れられた男。
今、その顔には皺が刻まれ、白髪も混じる。
だが──その眼はまだ、空を睨んでいた。
「ええ、いつまでも妹だけに天竜の御印を押し付けるわけにはいきません」
グラルもまた、開戦時アクルで負傷しその後前線には出ていない。
妹のホニーだけが、この戦争で天竜としてずっと最前線で戦い続けている。
「今度こそ、奪い返す。奴らに“空”を好き勝手にはさせん」
ガンブは揺れる船の艦橋から南部諸島の方角を見つめる。
再び、天竜とともに舞い上がる者たちがいる。
戦場では時代遅れとされた天竜たちも、新たな兵装を手に入れ、牙を研いでいた。
神話に抗い、神話を背負い、そして神を討つために──
シーレイアの空に、天竜の伝説が戻ってくる。




