第87話「不合理の象徴」
南部諸島方面では、レコアイトスとの連携が奏功し、前線は徐々に西へと押し戻されつつあった。
パピト島の全島奪還は目前。
さらにその先──西方に位置する精都アーミムを擁するタワガー島への上陸も、ついに作戦の選択肢に浮上してきた。
「……南部諸島方面の奪還作戦は順調。レコアイトスの参戦効果は、想像以上だ」
報告書を読み終え、シーレイア参謀総監キトラは胸を撫で下ろした。
「コアガルの裏切り……一時は全戦線に動揺が走ったが、結果的には影響は最小限で済んだか」
裏切り直後は混乱した。
だがレコアイトスの艦隊は速やかに反撃に転じ、政府軍の粘り強い対応も相まって、王室側への民衆の支持は低迷。
現在、コアガルはシーレイアへ兵を派兵する余力はなく、内戦状態に突入している。
──問題は、北部だ。
キトラは視線を地図に落とした。
テンシェンの参戦。
北部列島に漂う緊張は、日に日に濃くなっていた。
元よりローチェ極東軍による北島への攻撃は続いていた。
だが、テンシェンの参戦を契機に、ローチェの攻撃は明らかに激しさを増している。
さらに、北部列島南端──ターキュ島沖では、テンシェンとの交戦も始まっていた。
テンシェンと物理的に最も近いこの島が、もしも陥落すれば──
中部、南部の諸島群との連携は断たれ、戦線の崩壊に直結する。
「……作戦会議が荒れるな」
キトラは覚悟を決め、参謀本部をあとにした。
***
同時刻、テンシェン──
首都コーロンの宮殿にて。
玉座に座す天帝チュウエキの前で、宰相スートウが沈黙していた。
「……先ほどの件、スートウよ。余には聞こえなかったようだが」
その声は穏やかだったが、確かに圧を孕んでいた。
「はっ。シーレイア南部戦線に派遣していた兵士の一部より、本国帰還に異議が出ております。その筆頭が……フェン・ウーランでございます」
宰相の声には僅かに迷いが滲んでいた。
戦局の拡大に伴い、これまで義勇兵扱いだった部隊を、正規軍として再編成する──
その指令に対し、南部諸島の前線部隊から異議が上がったのだ。
「あのフェン・ウーランが、か」
チュウエキは眉をひそめた。
フェン・ウーラン。
忠義厚く、技量に優れ、先見の明もある男。
──その男が、自らの立場を危うくするような異議を唱えたというのか。
「……理由は、“星渡り”の撃破を作戦の最優先とすべし、というもの」
スートウの言葉に、天帝は静かに頷いた。
ローチェが南部諸島の作戦目標を“星渡りの抹殺”に定めたことは、すでに知られている。
その裏付けとして、現場からのこうした声が出ているというわけだ。
「他の将官からは、“星渡り”についてどのような評価が上がっている?」
「現代戦においても前線で機能する、希少な天竜使い。そして臨機応変な対応が可能な有能な指揮官──とのことです」
「……その程度の評価で、ウーランも、ローチェも、そこまで固執するものか」
チュウエキは疑問を返す。
「将官レベルで、実戦で星渡りと交戦経験のある者は、ウーラン以外には少なく……現場の“実感”として捉えられているのは彼だけかと」
「……我が国のパイロットたちは、なんと?」
スートウは一度、口を閉ざす。
「……申せ」
チュウエキの促しに、宰相は低く答える。
「“戦場のスコール”──との異名がございます。
編隊で囲んでも逃げられ、対空砲火も予測される。
だが放置すれば、偵察によりこちらの戦力を暴かれる……まさに“不合理の象徴”と」
その言葉に、チュウエキは静かに瞼を伏せた。
(不合理、か──)
ローチェ南部諸島の主戦力の指揮官は極西将軍バルクーイ。
神の域に踏み入れた英雄。
宗派は違えど、彼のリクリス神への信仰は本物であり、将軍としての器もある。
そして、その彼が“神敵”と認定した存在。
さらに、フェン・ウーランまでもがその評価を重ねるのなら──
「……パピト島が落ちれば、これ以上ローチェに付き合う必要はない。
それまでに“星渡り”を殺せ、と伝えろ」
チュウエキのその言葉には、慈悲も情もなかった。
スートウは頭を垂れる。
「御心のままに」
それは、ローチェが唱える聖戦の名のもとに──
テンシェンが実利と信仰を“利用”する、冷ややかな決断だった。
(神に至る可能性……それが真であるなら、それすらも手駒に使えばいい)
チュウエキの視線は、星々の神が座すと言われる東方の彼方を見つめていた。
──新たな神が一柱、加わろうとも。
唯一神リクリスの前では、所詮は有象無象の存在で無力なのだ。
「南部はしばしローチェに任せよ。我らは、ターキュ島より崩す」
天帝の言葉と共に、北方戦線もまた、動き出した。




