第79話「偶然という奇跡」
神都アマツ──星導教大神殿の最奥、神託の間。
冷たい大理石の床に、幾筋もの祈りの灯が揺れ、まるで神の声が今にも響くかのような、張り詰めた静寂。
その空間に、立っているのは二人だけであった。
「御使い様。神託の間へお呼び出しとは、何用ですか?」
危機管理局長・フジワラは、静かに尋ねた。
この場では、嘘もごまかしも意味をなさない。それを知っているからこそ、彼は飾らない。
「フジワラ局長。あなたなら、理由などお分かりでしょう」
御使い様の声は変わらず穏やかで、それでいて一切の感情を隠していた。
「……レシャスの奇跡、テンペスト卿の件ですね」
フジワラにいつもの胡散臭い雰囲気はない。
「ええ。あれは、私ですら驚きました。……まさか“今”あの域に達するとは」
フジワラもまた率直だった。
神託の間にいる限り、虚飾は意味を持たないから。
「それに、御使い様も私と同じ意見のはずかと思いますが?」
言外に皮肉を込めた問いかけに、御使い様はしばし沈黙する。
その沈黙こそが肯定を示していた。
「……だからこそ、気になるのです。テンペスト卿は“神格化”の領域に入りつつある。想定していた進化の速度ではない」
「“考えたくない”だけでは?」
フジワラはわずかに笑った。
御使い様がテンペスト卿──ホニーを特別視しているのは、もはや秘密ですらなかった。
御使い様は話を戻す。
「となれば、今回の現象は“完全な偶然”ということになりますね」
「ええ。偶然が呼び込んだ奇跡。だが、それが彼女の神性と英雄性をさらに押し上げたのも、また事実です」
フジワラは額に手を当て、小さく嘆息する。
作戦配置は、あくまで合理的判断で、”奇跡”など期待していなかった。
「……レシャスへの配備は、戦力配分と地形戦術の都合。それだけだったのですがね」
「“それだけ”であの戦果ですか。さすが危機管理局長です」
御使い様が淡く皮肉を返す。
「冗談はやめてください。これでローチェは、全戦力を彼女ひとりに向けるでしょう。……正直、予測不能です。星渡りは南部戦線の御印、失うことだけは避けねばなりません。」
珍しく弱音を漏らすフジワラ。
ここは神託の間、そして相手は御使い様と……。
国家の最奥であり、彼が仮面を脱げる唯一の場。
「彼女が死ねば、シーレイア全体の士気に関わる。かといって、前線から退かせれば、それもまた影響を及ぼす、と……」
御使い様もフジワラの言わんとすることを理解する。
ホニーが“有用”であるがゆえに、運用の幅が極端に狭い。
「ですが──」
フジワラは低い声で続ける。
「レコアイトスが参戦するまでの間、我々には“神の奇跡”を使ってでも、敵を足止めする必要があります。
その象徴は、彼女しか……なり得えない」
会話は終わらない。
言葉を交わしながらも、答えの出ない問いが、神託の間に幾重にも漂う。
星々の輝きのような、祈りの灯が部屋を満たす。
***
場所は変わり、ローチェ極西軍本部──アーミム。
重苦しい空気の中、極西将軍バルクーイは静かに戦況報告に目を通していた。
— レシャス基地、大規模空襲により壊滅的被害。星渡りの形跡あり
— メディメ防衛戦、当初優位に進行も、飛行部隊増援により戦線崩壊。玉砕の可能性高
— 大型空母 《コタンコロ》、被弾大破。スコールに逃げた模様。轟沈未確認
「……またか。やはり、星渡りか」
バルクーイは唇を噛む。
──スコールの最中に現れ、鉄壁の防衛陣を崩した空襲。
──メディメに“北側から偶然”現れた援軍飛行隊
──その母艦である《コタンコロ》が、嵐の中へ逃げ込んだという話
どこを切っても“星渡り”が現れ、もはや戦況そのものを支配し決定する存在。
盤面をいくら整えたところで、盤ごと叩き壊されてしまえば意味がない。
「全将官に招集を。……戦線の維持は、必要ないと伝えよ」
「はっ!」
副官が敬礼し、駆け足で部屋を出ていった。
星渡りに盤上で勝てぬなら、星渡りが盤すら壊すのであれば……
バルクーイの結論は、単純で、極端で、そして決定的だった。
現段階でも作戦目標は星渡りの撃破である。
だが、今回の敗北によりバルクーイは方針を大きく変えた。
人の力が及ばざる天候まで味方につける。もはや人の域を超えた存在。
英雄、もしくは神に届きうる存在として対応をすべきと。
ローチェ軍、タベマカ、インスペリ──
そして裏から糸を引くテンシェン。
今占領している、南部諸島の全てを使ってもいい、この“神敵”を討つためならば。
いかなる犠牲も許容できると。もはやこれは、戦争ではない。
星渡りというリクリス神の反逆者への、“聖戦”とする。
バルクーイは、ひとり司令室の奥へ向かう。
そこには、巨大な十字架が立っていた。
常人には背負えぬその象徴の前で、彼は静かに祈る。
「偉大なる唯一の我らが神、リクリスよ──」
「このバルクーイ大司教が、そしてリクリス様から頂いた”不死身”の名とその御名にかけて、下賤なる敵を討ち果たしましょう」
外は晴れていた。
だが、彼の宣誓と共に、雲の向こうに不気味な影がうごめいたようにも見えた。
ローチェ西部戦線の英雄、生ける伝説となった”不死身のバルクーイ”。
自身が再び戦場を、空を蹂躙するため、ローチェ皇帝へ直訴の筆を取る。
「星渡りを討てる者は――僅かだ。」




