第66話 「エトモ十二世」
──コアガル内陸部都市、ロックポー。
周囲を乾いた砂漠に囲まれたこの都市には、戦禍の爪痕がほとんど残っていない。
人々は街路を歩き、店は開かれ、家々には洗濯物が揺れていた。
(……降伏寸前と聞いていたけど、内陸部にはまだ余力がある)
(だけど──ローチェの上陸を許したら、この国は終わる)
マートの背に乗ったまま、ホニーは街並みを見下ろしながら思考を巡らせていた。
やがて、緑の旗と白い大理石の装飾を携えた建物が見えてくる。
コアガル迎賓館──あるいは、それに準ずる王家の施設だろう。
その正門前に、整然と並ぶ二つの影があった。
王冠を戴く男と、背筋を伸ばした文官。
「我が友、ホニー・テンペスト・ドラグーン卿──コアガルへようこそ」
その声音には、王としての威厳と、人としての哀切が滲んでいる。
エトモ十二世。コアガル王。
隣に立つのは、首相ヒヌテ。
「突然の来訪、失礼をお許しください。お二方とも……ご無沙汰しております」
王と首相が直に迎える異例の事態に、ホニーも内心で息を呑んだ。
(……ここまで来て、体面を保つ余裕もないんだな)
国の命運が尽きかけている──そのことが、この形式からも透けて見えた。
***
簡単な挨拶と、報道紙向けの撮影を終えたのち。
ホニーは王らに伴われ、館内へと通される。
部屋の入口には、大きく誇らしげな王家の紋章が掲げられていた。
(……これは、国賓用か、それとも……王家専用の部屋?)
重厚な扉が開かれ、室内に通されたホニーは、天井の高さと装飾の豪奢さに小さく息をついた。
──それはまるで、滅びかけの王国の“威厳”の残滓。
「テンペスト卿。此度のご助力、誠に感謝する」
椅子に腰かけたエトモ十二世は、率直にそう述べた。
「……おかげで、コアガルの寿命も、少しは延びた」
国王としては不適切とも取れる発言。
それだけ、この国が追い詰められているということを意味していた。
「遅ればせながらではありますが、盟友として……我々は必ず力を尽くします」
ホニーは声を整え、冷静に返す。
そして、鞄から一通の封筒を取り出した。
「こちらが、シーレイア連邦国・御使い様よりの親書です。お納めください」
封筒は、王の侍従によって丁重に受け取られ、開封された。
その中身は──
レコアイトスの参戦決定
参戦時期は二ヶ月後
それまでの間、シーレイアからの追加戦力派遣は困難であること
ホニーは、その場の空気が目に見えて重くなるのを感じた。
「テンペスト卿。……これは、事実なのか?」
王の声は静かだった。
だが、その重みは、室内の空気ごと押しつぶすようだ。
ホニーは視線を下げ、呼吸を整える。
──彼女はこの親書を受け取った時点で、すでに内容を知らされていた。
「記載のとおりです。現在、我が国はインスペリ・タベマカ両国との戦線を抱え、
加えてローチェとの全面戦争、そして……テンシェンの動向への備えも必要です」
一息。空気を吸うように、ホニーは言葉を区切った。
「申し訳ありません。現在の戦力では、戦線の拡大は不可能です」
部屋の空気が、沈んだ。
絶望という言葉を、誰も口にしないまま、その色が皆の顔に広がっていく。
「──だからこそ」
ホニーの声が、静かに響いた。
「我々は昨夜、《オペレーション・ファイアーフラワー》を決行しました。
敵の補給と制海権を一時的に奪い、体制を崩す時間を作るために」
それは、精一杯の意地。
短期的な勝利の裏にある“2ヶ月”という現実を、なんとか支えるための策。
王は黙って頷いた。
そして、唐突に口を開く。
「……本件、理解した。テンペスト卿──このあとは少々、私的な話をしたい」
静かに立ち上がると、国王は室内の者たちに退室を命じた。
これは事前に予定された展開。
ホニーも国王に向けられた信書を預かっており、2人で対面した際のみ渡すように手渡されたものがある。
そしてエトモ十二世も、個人的にテンペスト卿に託すべき“別の腹案”を用意していたのだ。
──それは、亡命政府設立の打診と、王家の一部避難についての依頼。
***
ふたりきりとなった部屋で、王は静かに言った。
「……頼めるか?」
ホニーは頷くと、左手をかざした。
『星雲よ 晴れよ 』
御使い様からの“真の親書”が開示される。
そこにはこう記されていた。
──潜水艦による再度の奇襲作戦を準備中
──「援軍なし」という文面は、コアガル内部に潜む降伏派への欺瞞工作
ホニーは内容を一読し、言葉を失う。
これほどの策を、自分の知らないところで張っていたのか。
「……シーレイアとは、恐ろしいな。だが──見事でもある」
王は短く笑った。
そして、自らの親書を封じる。
「これが我らの“第二の命綱”だ。亡命政府設立の打診を含むこの親書を、
御使い様のもとへ、しかと届けてほしい」
国として生き残るため、王は少女へ親書を渡しながら首を垂れる。
「一命を賭し、必ずや──お届けいたします」
頭を下げる王からホニーは親書を受け取り、深く、礼をした。




