第64話 「結末」
クサナギ3・ランテ軍曹は、操縦桿を握る手に力を込める。
(……あの空母、ただの装甲じゃない。完璧な雷撃に耐えたなら、何か“術式装置”がある)
軍艦相手に、それも大型艦の空母相手に機銃掃射が通用するとは思わない。
それでも──破壊すべき“何か”を探す。
夜の闇で視界が不確かな中、機体を限界まで下げ、空母の腹を舐めるように掃射する。
青白い火花が鉄の巨体に散る。
「ランテ、援護する! 対空砲火は俺が引き受ける!」
クサナギ4・オケフ曹長が駆けつける。
「……シーレイアに、勝利を」
「そして、“星渡り”の、奇跡を──」
無線に乗った声が、ホニーの耳にも届く。
闇の中で戦えない自分を、それでも信じて、命を賭けてくれる仲間たち。
それが、どれほど重いか。
「クサナギ5、1時方向へ微修正。1と2は投下準備──投下!」
再び放たれた二発の魚雷。
だが、敵も軌道を読み取り始めていた。
クサナギ2から投下された雷撃。
空母をかばうように、護衛艦の一隻が進路に強引に割り込んでくる。
直後──
ズドォォォオォン! ズドォン!
海面が裂け、水柱が二つ噴き上がる。
一隻の護衛艦が火を噴き、傾きながら航行不能に陥った。
空母にも1本命中し、水柱が上がっている。
だが──空母は、またしても健在だった。
それでも、前回のような異常な魔力反応はなかった。
精霊濃度の減少も、今回はない。
(……今度こそ、効いてる。空母の速度が、落ちてる……!)
勝機を感じた矢先、護衛艦の近くで小さな閃光が弾けた。
(あの光──オケフ曹長……!)
声が出ず、拳が震える。
「……クサナギ5、投下!」
最後の魚雷が、ホニーの命令で放たれた。
白い航跡が、水面を這うように進み──
空母の船腹に、吸い込まれる。
そして──
ズドォォォンッ!!
爆音が闇を引き裂いた。
静寂、水柱。
そして──燃え上がる空母。
精霊の反応はない。魔力の歪みも感じない。
今度こそ、通じたはずだった。
だが。
炎の向こう、空母はなおもその巨体を揺らし、前へと進んでいた。
満身創痍のまま、それでも沈まない。
魚雷、残りゼロ。
《クサナギ》、残り四機。
コアガルの夜に、花火は打ち上がらず。
ホニーの瞳に浮かぶのは、ただ──戦火の赤だけ。
『作戦は失敗、全機、帰投せよ──』
ホニーは、わずかに震える声で命令を下す。
空にはまだ、燃える艦影。
だが、その巨体はなおも沈まず、闇に浮かび続ける。
──奇跡は起きなかった。
そのとき、ノイズ混じりの無線が入る。
「……こちら、クサナギ3。帰投燃料が……足りない」
ランテ軍曹の声だった。
「……シーレイアを、頼む……」
そう告げられた。
直後、炎上する空母で、小さな閃光がはじける。
(……ランテ軍曹……)
ホニーは目を伏せた。
戦争には、勝てない戦もある。全員を救えない局面もある。
──分かっている。けれど。
アクル奪還。シューティングスターの成功。
あまりに順調すぎた日々が、知らぬ間に彼女の心を鈍らせていたのではないか。
(私の判断で、また一人……)
「ホニー。切り替えて。考えて。でないと次は、僕たちだ」
マートが低い声で言う。
「っ……分かってる。全部を背負えないことくらい、分かってる……でも──!」
「それでも、ホニーは“指揮官”だ」
──その言葉は、今のホニーにとって最も痛い言葉である。
息を飲み、涙をこらえる。
震えを押さえ込むように、声を絞る。
『クサナギ1、2、5──アマツとの合流ポイントまで、私が先導します』
***
夜の闇が、少しずつ青に染まり始める。
水平線に、光の筋が浮かび上がる頃──
海面に、クサナギ3機が着水していた。
そのそばに、巨大潜水空母 《アマツ》の艦体が静かに横たわっている。
格納作業が始まるなか、ホニーは一人、艦長室を訪れた。
「失礼します」
開かれた扉の前で、そう告げて中へ入る。
「テンペスト卿。よく戻ったな」
クキ艦長は、思いのほか穏やかな表情を浮かべていた。
(この顔……私が生きて帰ったから? “星渡り”さえ無事なら、それでいいの?)
ホニーは、どこか卑屈な思いに囚われる。
「報告いたします。ランテ軍曹、オケフ曹長が戦死。作戦は──」
そこで、言葉が詰まる。
この作戦のために、どれだけ多くの龍使いと潜水艦が動員されていたのか。
どれだけの命が、コアガルの海に散ったのか。
(これを“失敗”と言っていいのか。……それとも、“そう”としか言えないのか)
「……テンペスト卿。二人の死は、残念だった」
クキは短く言った。
「だが、“本望”だっただろう。君の名のもとに、命を懸けたのだから」
(……それって、“私のために、代わりに死んでくれてよかった”ってこと?)
喉の奥にまで迫った言葉を、なんとか飲み込む。
「インスペリの空母 《キーマ》は轟沈した。
夜明けのコアガルに、盛大な花火を打ち上げることができた。──作戦は、成功だ」
ホニーは、息を呑む。
「……成功? 失敗、じゃなく?」
「君は聞いていないのか? てっきり、艦の者から伝えられたと思っていたが」
クキは淡々と説明を始める。
《キーマ》は、炎上しつつも唯一残った護衛艦に曳航され、撤退を図っていた。
だが、その動きを捉えていたのは、別動のシーレイア潜水艦だった。
ホニー達が向うと告げた海域。
そこに目立つ火柱。
潜水艦にとって、あまりに大きく、あまりに目立つ“的”だった。
「護衛艦ごと、撃沈された。……それが、オペレーション・ファイアーフラワーの結末だ」
ホニーは、言葉が出なかった。
(私が、仕留めたわけじゃない。でも……あの雷撃で護衛艦が減らなければ、《キーマ》は逃げきっていたかもしれない)
「……次作としての潜水艦攻撃は、最初から計画されていた。だが、それは極秘だった。
君に知らせれば、決意が鈍るかもしれないと判断した」
クキの目は揺れなかった。
作戦全体の成否を、たった一人の判断に委ねることなど、許されなかったのだ。
「テンペスト卿──任務はまだ終わっていない。コアガルへの親書の伝達、頼む」
ホニーはうなずく。
「了解です。……その前に一点、報告を」
彼女は空母 《キーマ》の異常性について語った。
「膨大な魔力反応と、それに伴う精霊濃度の急激な低下。
魚雷を2本同時に受けても、なお航行を続けた耐久力──尋常ではありません」
クキは一瞬だけ表情を硬くし、それでも変わらぬ声で答えた。
「……報告、感謝する。神都に戻り次第、本国にも伝えよう。
テンペスト卿、ご武運を」
敬礼ののち、ホニーはアマツから出発し空へと舞い上がる。
マートの背にまたがり、朝焼けの空に飛び出すと、
その下で《アマツ》は、ゆっくりと水面に沈み込んでいく。
「マート、行こう。目指すは──コアガル首都オペーズヘ」
「了解」
ホニーとマートは、一筋の白い線となって、早朝の空へと消えていく。




