第62話 「存在なき室」
──コアガル首都オペーズ、その沖合250キロ。
定刻通り合流地点に到着したホニー。
だが、海面には船影一つ見当たらない。
「……ここ、合流地点で合ってるよね?」
「うん。間違いない。……でも来てないとなると、まさか──」
沈黙。最悪の想定が脳裏をよぎる。
合流部隊の轟沈。
ホニーは高度を落とし、海面を確認しようとした──その時だった。
ゴォッ……!
海中から白い泡柱が立ち上がり、巨大な艦影が水面を突き破った。
「っ……! 潜水艦!?」
想像を遥かに超えるサイズ。
艦橋に航空機格納庫のような構造まで備えたそれは、もはや潜水艦の範疇を超えていた。
「なにこれ……戦艦より大きい……」
深海から現れた潜水艦のあまりの大きさに息を飲むホニー達。
その時、共鳴魔法で声が届いく。
『全長一六四メートル、シーレイアの戦略兵器・超弩級潜水空母 《アマツ》です、ホニー先輩』
「……ハレ?」
一瞬、戸惑ったがすぐに分かった。
声の主は、御使い様直轄部隊時代の後輩、海龍の龍使いハレ・アツタ。
『お久しぶりです。降下していただけますか? 艦長が作戦のすり合わせを希望しています』
ホニーはマートの背から飛び降り、浮上したばかりのアマツの甲板に降り立つ。
懐かしい再会──それは、静かに始まる決戦の序章だった。
ホニーは、潜水空母の艦内を案内されていた。
先導するのは、かつての後輩──海龍使いのハレ・アツタだ。
「先輩、お久しぶりですね。外交局に異動されてからは、全然お会いできませんでしたし」
振り返ったハレは、心底嬉しそうに微笑んだ。
「うん……忙しかったからね」
ホニーは苦笑いしながら、遠い目をした。
思いがけない久しぶりの再会。そして艦長室までのわずか、限られた時間。
「にしてもハレ、背、ずいぶん伸びたね」
「ですね、この一年で十センチ程」
並んで歩きながらの何気ない会話。
けれど、潜水艦の静かな通路は、どこか異様に感じられた。
やがて、艦長室の前に到着する。
「アツタです。テンペスト卿をお連れしました」
「通せ」
声を受けて、ハレがドアを開ける。
入室を促されたホニーは、すれ違いざまにそっと声をかけられる。
「……ホニー先輩。絶対、死なないでくださいね」
その言葉と共に、静かにドアが閉じられた。
***
「はじめまして、テンペスト卿。この艦の艦長を務める、危機管理局・オフュキウス室長、ヤユス・クキだ」
姿を現したのは、軍服とは異なる黒い詰襟の男だ。
階級章はなく、ただ冷たい視線だけが肩書を物語っていた。
「ホニー・テンペストドラグーンです。よろしくお願いします。……オフュキウス室?」
ホニーは尋ねた。
危機管理局には十二星座に基づいた名がつけられ、12までは存在する。そのどれとも違う名のオフュキウス室──聞いたことがない。
フジワラ立案の作戦、存在しない室、見たことも聞いたこともなかった潜水艦、その事実だけがホニーに告げている。
「そういうことだ。……さて、時間もない。作戦の説明に入ろう」
クキの言葉に、ホニーは無言でうなずく。
***
オペレーション・ファイアーフラワー、内容は明快だった。
《アマツ》に搭載された新型の特殊攻撃水上機 《クサナギ》──その五機で、敵艦隊の中核を叩く。
できる限り、空母を轟沈させろと。
「……五機で、ですか」
ホニーの口から、自然と言葉が漏れる。
「無茶だとは承知している。だが、シーレイアとして今出せる最後の手だ」
クキもまた、作戦の現実味の薄さを自覚していた。
「この《アマツ》も本来はまだ運用段階にない艦だ。だが、時間がない。コアガルを見捨てれば、戦況そのものが崩れる」
コアガルの降伏すなわち、南部戦線への戦力の増強を意味する。
「テンペスト卿、この潜水艦に乗ってみてどう思う?」
突然クキがホニーに尋ねた。大きさなど分かりすいことを問うてるのではない。
「本来は音がするはずなのに、音がない。精霊の気配にも違和感があります」
「そうであろう。この艦は出力過剰で、潜航中の音が大きすぎて使い物にならん」
クキは表情を変えずに続けた。
「だからこそ、龍使いと海龍四組が、共鳴魔法で常時“音”を押さえつけている。力業で、だ」
ホニーはクキの伝えたいことを理解した。
「長期間の運用は不可能ということですね」
「その通り。今夜限りの一手だ。次はない」
ホニーを見据え、クキが口を開く。
「だからこそ、“星渡り”の力が必要なんだ。無謀とは違う。僅かながらも、勝ち筋があると判断している」
「……奇跡は、簡単には起きませんよ」
「だが、テンペスト卿が奇跡を“起こしてきた”ことは、皆が知っている」
クキは一息いれて続ける。
「奇跡は偶然には起きない。今までそうであったように必然が積み重なり奇跡となるのだ。」
***
その言葉に、ホニーの心が静かに波打った。
アクルを守るために沈んだ両親。
何もできず見送った避難船。
性能の劣る戦闘機で、敵に立ち向かった仲間たち。
──奇跡なんて、起きなかった。
でも。
「……もし、誰かが私の奇跡を信じるというのなら」
「空を飛ぶことしかできない私で起こせるものなら、それはもう、全部“必然”にしてやります」
そう言い切ったホニーに、通信士が駆け寄ってくる。
「テンペスト卿、《クサナギ》発艦準備完了とのことです!」
まもなく、《オペレーション・ファイアーフラワー》が始まる。
超弩級潜水空母 《アマツ》を投入した作戦。
なにもないはずの夜の海から現れる強襲部隊。
シーレイアの切り札が、今、戦場へと解き放たれる──




