第56話 「シューティングスター」
アクルより西へ約500キロ。
そこに、敵の新たな前線基地が形成されつつあることが偵察により判明した。
この地点を制圧されれば、アクルは常に空襲の脅威に晒される。
昼夜を問わず、補給線ごと締め上げられることになる。
日中は、カンラ率いる鉄竜飛行隊が爆撃機を率い、基地建設の妨害を続けていた。
しかし、それだけでは足りない。
ついに、夜の空に流星が放たれることになる。
──オペレーション・シューティングスター、発動。
目標は、さらに200キロ西。
前線基地の建設を支援している敵の主拠点──ジャッカ基地への夜間奇襲である。
夕刻、アクル飛行場。
西の空に赤い陽が沈み、夜がじわじわと地平を染め始める。
滑走路に並ぶのは、法術士専用新型爆撃機 《カグラ》。
星々の神への祈りの術式で奇跡を生む、法術士たちが操る機体だ。
轟音とともに一機、また一機と夜空へ舞い上がる。
その後を追って、ホニーとマートも空に登った。
夜間爆撃部隊の総数は、爆撃機16機に天竜2匹。
右側編隊 《オウル》、左側編隊 《カグラ》。
それぞれ1〜8まで番号が振られている。
「マート、極力魔力は温存して。星環海を横断したときレベルで」
「了解。でも、帰りは多分――」
「わかってる。あのときみたいに、空っぽになるってことだよね」
ホニーはマートの言葉を先回りして答え、微笑んだ。
「……私は今度も、自分を、マートを、精霊を信じるよ」
暗闇の中、天竜の背で、ホニーはそっと風を感じる。
その風に、仲間たちの気配が流れてきた。
──共鳴魔法。風を媒体に、意識を繋げる術。
「こちらホニー。作戦通り、これより無線封鎖に入ります。以降の指示は私の共鳴魔法によって伝えます」
声が静かに空を滑っていく。
返答はない。ただ、風が答える。
敵の防空網を避けるため、部隊は南に大きく迂回する。
目指すは、700キロ先のジャッカ基地──真夜中の急襲。
燃料はギリギリ。
編隊の全員が一度でも進路や高度を誤れば、帰還は絶望的になる。
ホニーは集中力を高め、風を通じて隊形を確認する。
『オウル6、向かい風で速度低下。20キロ速度上げて』
『カグラ3、高度が落ちてる。100メートル上昇して』
編隊のわずかな乱れも許されない。
この暗闇では、彼女の声が唯一の“光”だ。
共鳴魔法は全体に指示を送れるが、遠距離通信は負荷が大きい。
後方に控えるもう一人の天竜の竜使いは、ホニーへ10分ごとに定時報告を行うのが限界だった。
──責任はすべて、ホニーにのしかかる。
爆撃機の配置、飛行速度、敵の迎撃の可能性。
ひとつ間違えば、全機が闇に墜ちる。
(シューティングスター。この作戦の成功には──星渡り級の奇跡が必要だ)
ホニーは胸中で呟いく。
それでも、彼女の目は濁っていなかい。
あの夜のように──星を渡り、風を掴む。その奇跡を、今ふたたび起こす。
そして仲間と共に帰ってくるために。
ホニーは耳に響くプロペラ音に意識を集中させながら、遥か西方──ジャッカ基地を目指していた。
(あの時、星環海を渡った夜は満月だった。けど、今日は新月。月明かりすらない)
空を照らすのは、わずかな星の光だけ。
敵に見つかる危険は減ったが、同時に自分たちの“目”も奪われている。
(でも……下に陸が見える。目印はある。落ち着いて、今まで通りに)
ホニーは内心の不安を押し殺し、風に意識を乗せて仲間の気配を探る。
中間地点をやや過ぎた頃、ふと視界の下方に光の筋が見えた。
(この地点にシーレイアの施設はないはず……。タベマカか、インスペリのものか?)
ホニーは即座に判断し、共鳴魔法で各機に通達した。
『付近の明かりを確認。現在地を覚えておいてください。可能であれば航空数値も記録を』
風が再び静かになった時、ジャッカ基地までの距離は残り100kmを切っていた。
『目標まで約100km。敵の索敵圏に入ります。全機、高度を下げてください』
全体がじわりと降下を始める。
暗闇の中で、高度・速度・隊形を維持しながらの飛行。
一機でも乱れれば、全滅の危険がある。
『オウル4、高度が低すぎる。100メートル上昇』
『オウル5、11時方向に微修正を』
ホニーは風を伝って、編隊の微細な動きに細やかに指示を送っていく。
──オウル1、キタヤ・ソーハは、その指示を聞き惚れていた。
(これが、“神話の具象者”テンペストか……)
夜の闇の中、ソーハは思わず息を呑んだ。
自身も優秀な操縦士だという自負がある。それだけに、ホニーの先導は“異常”に映った。
星も、月もない闇の中で──
彼女は16機全ての速度、高度、方向を把握し、狂いなく指示を出し続けている。
そして感じる。この作戦は、きっと成功する。
(……奇跡の体現者になるのは、俺たちだ)
その確信は、ホニーの静かな声と共に芽生えた。
やがて、敵基地まで50km。
ホニーは編隊から大きく離脱し、単独で先行する。
『これより先行して目標上空に入ります。以降は作戦通りに。』
マートの背に乗ったホニーは、一気に上昇を開始した。
黒い空へ吸い込まれるように、静かに、高く。
『オウル1』
その一声で、ソーハはスロットルを開き、急上昇に入った。
『10時方向、微修正』
指示は上昇中も止まない。
上空の暗闇に溶けながら、ソーハは震える指先を操縦桿に固定した。
(この声を信じるしかない。けど──)
『オウル1、ゴー』
ホニーの最終指示とともに、ソーハは機首を下げた。
高度を確保した後、一気に急降下に移る。
音のない闇。
地面は見えない。ただ、速度だけが加速していく。
目を閉じたくなるような恐怖。
その中で、ソーハは爆弾投下スイッチを押した。
直後、機体を引き起こす。
体を押し潰すような重力がソーハを襲う。
息が詰まる──そう思った、その刹那。
――光。
巨大な閃光が、眼下に咲いた。
遅れて、空を引き裂くような轟音が身体を揺らす。
(やった……)
ソーハの投下した爆弾が、ジャッカ基地の弾薬庫に直撃したのだ。
「各機、爆撃開始!」
ホニーの声が再び空に響く。
無線封鎖が解かれ、15機が一斉に続いく。
それぞれが、奇跡の一閃を刻むように。自らが“神話の体現者”であると信じて。
ジャッカ基地には、まだ対空砲火の気配すらない。
完全なる奇襲だった。
カグラに3発ずつ積載された爆弾が、次々と落とされていく。
破壊の光が、夜を照らす。
燃え上がる格納庫、炎に包まれる滑走路。
燃料と火薬が混ざり合う音。
新月の夜は、血のように赤く染まっていった。
任務を終えた爆撃機たちは、身軽になって一斉に反転する。
もはや、この地に用はない。空には再び、星の明かりだけが残る。
高高度からその光景を見下ろしていたホニーは、浮かれる様子もなく、基地の被害状況を目で追っていた。
(……これで、少しは大人しくなるといいな)
祈りとも、報告ともつかない呟き。
マートの背で姿勢を整えると、ホニーは再び風の流れを掴み、そのまま夜の空へと沈んでいく。
炎に焼かれた大地だけを残して。




